降り続ける六月の雨に、花は散る―― 11
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重く黒い六月の雨の中、私は天羽邸を訪れた。
傘の代わりに〝魔女の杖〟たるヤイバを手にして。
今日こそは――そう、心を決めて。
私はひとの想いをカタチ造る記憶を刈り取る〝魔女〟だから。
母を亡くしたあの日、ココロに決めた事だから。
もう、降りられない。
もう、止める事は出来ない。
この一年の間に、私は既に多くのひとの想いを刈り取ってきたのだから。
その事に言い訳なんか出来ない。いや、してはいけないのだ。
――自分のしてきた事は、きっと正しい事ではないから。
この【セカイ】での正しさなんて、私には分からない。
何が正しいなんて知らない。
それでもひとのココロを刈り取る度に、手にしたヤイバを振う度に、言いようのないオモイを感じてきた。
イタイ、とすら感じた。
それが自分の中にわかだまって、心を重くしていく。心を鈍くしていく。
形の無いオモイが、私の心を押し潰そうとする。
いっそ、潰されてしまえばいいのかもしれない。
何も、感じなくなればいいのかもしれない。
そうすれば、こんな想いをする事だって無くなるに違いないから。
きっと、彼の――殻木田くんの事だって。
いや、もしそんな私だったら彼は出会った頃に、私に笑い掛けてくれただろうか?
心迷う。
それも、今日で――
天羽邸の庭先から彼女の、天羽桜の様子を窺う。
天羽桜は家の軒下で絵を描いていた。
淡い色の桜の花の絵を。
彼女が筆を置く。
絵を――最後の絵を描き終えたのだろうか?
雨に濡れて鬱陶しく張り付く髪を払いながら、彼女に近づいていく。
絵を描き終えてから、彼女は静かに目を閉じていた。
ヤイバを振り上げる、そんな彼女に向かって。
この間のように身体が、手が震え始める。
心を殺す。必死に押し殺す。
振り下ろそうとして、彼女を見つめ続けている内に私は気が付いた。
絵を描き終えた彼女は、殆ど息をしていなかった。
彼女の――天羽桜の生が今、終ろうとしていた。
ただ事を成した、その後に。
そんな彼女の、静かな最後さえ私は――刈り取ろうというのか?
押し殺した筈のココロがザワメキ出す。
止めろ、ヤメロ、やめろ、ヤメロ――
――ウルサイ!
心が揺れる。
〝魔女〟としての自分と、〝人〟として自分の境で。
瞼を頬を流れる滴が伝う。
――それでも、ヤイバを振り下ろそうとした。
その時、彼女が微かに目を開けてこちらを見て、手を伸ばした。
小さな子どももあやすように、優しく微笑んで。
そして、そのまま体勢を崩して地面に倒れ込んだ。
「あ……」
私はヤイバを降ろして、彼女の様子を覗き見る。
天羽桜は、息絶えていた。
「ああ……」
強く降り続く雨の中で溜息を吐いた。
終わった。終わってしまった。
全てはただ、曖昧なまま私が手を下す前に。
その事に、安堵もした。
けれど、とも思う。
変わらない、何も変わらない。
私が天羽桜を理不尽な力で刈り取ろうとした事実は。
最後まで優しく、強かった彼女を傷付けようとした事実は。
季節外れの桜の花が散る。
魔法の源であった人物を失って。
雨に降られて、地面に堕ちていく。
「……先輩?」
声が聞こえた。
その声はずっと望んでいたもの。
ずっと、会いたいと思っていたひとのもの。
わたしの、わたしの一番、大切な――
――だとしても〝今〟は一番会いたくなかった。
こんな、私を見ないで欲しかった。
こんな、私を知って欲しくなかった。
振り返れば、私と同じように雨に濡れた殻木田くんがいた。
ここまで走って来たのか、彼は荒い息を吐いていた。
ヤイバを握る私の傍には、倒れ込む天羽桜の姿。
ああ――
もう一度、溜息を吐く。
本当に最悪だ。
でも、何でだろう?
何となくこんな日が、こんな時がいつか訪れるような気がしていたのは。
地面に堕ちた淡い桜色の花が汚れて、穢れていく。
◇
雨が――降り続いている。
冷たい滴が、六月に咲いた季節外れの桜の花びらを散らしていく。
青空の見えない灰色の厚い雲の下で、雨に濡れた制服姿の先輩が立ち尽くしていた。艶やかな長い黒髪も、重く湿り気を帯びていた。
手には見慣れた不可思議な青白い刃。
足元には、うつ伏せに倒れた天羽さんの姿がある。
見えた横顔――穏やかに目を閉じた顔付きには生気が感じられなかった。
「……せん…ぱい」
まさか、と思った。
先輩は――その天羽さんの命を奪ったというのか?
疑惑を必死に振り払う。
そんな筈が無いじゃないか。
俺は知っている、先輩の笑顔も可愛らしさも。
彼女の戸惑いも。
それから大切なひとを亡くした悲しい過去の事を、押し隠している事も。
そんなひとが――誰かの命を奪ったりするだろうか?
「先輩……」
呼びかける。
振り返る先輩。相貌が俺を捉える。物憂げな瞳はやはり崩れない。
彼女は何も答えない。何も答えてはくれない。
冷たい雨が、容赦なく俺達の身体に降り注ぐ。
雨に濡れるふたり。
どうして先輩は、何も言ってはくれないんだろうか。
何か言ってくれれば、きっと言葉を掛けてあげられるのに。返す事ができるのに。それなのに――
「からきた…くん……」
彼女が俺の名前を呼んで、ただ俺を見つめ続ける。
降り続く滴が頬を伝って、落ちていく。
その様がまるで俺には、泣いているように見えた。
暫く雨の中で立ち竦んだ後にもう一度、呼びかけた。
「せんぱい…何か言って下さい……」
けれど彼女は、首を横に振る。
それが何に対する否定なのか分からなかった。
天羽さんを――手に掛けた事に対する肯定なのか?
あるいは、その否定なのか?
それとも。
分からない。何も答えてくれない先輩の事が分からない。
そこには俺の知らない彼女がいる。
彼女は何も言わない。
それは彼女が、魔女だからだろうか?
彼女は魔女だった――ひとの理から外れた存在だった。
だから、命すら刈り取ったというのか。
俺は何か言って欲しかった。
何でも良かった。
否定の言葉でも、肯定の言葉でも、謝罪でも、雑言でも、悲哀でも。
何かを言ってくれれば、抱きしめる事が出来るのに。
例え、彼女が何者であろうと抱き締めたのに。
俺自身の先輩への想いと一緒に。
降り続く六月の雨に、花は散る――散って汚れ、穢されて、流れ逝く。
すいません。今回は時間が掛かりました。
しかし、いよいよ冒頭へと至りました。
この章も後、四話で終了です。




