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溺るるは慟哭のヴィクティム  作者: 神宅 真言
三章:贄の叫びと、黒い影
26/61

3-05


  *


「お帰りなさいませ、カナメ様」


 カナメと安田さんが静宮邸に帰り着くと、玄関で待ち構えていたかのようにシズクが出迎えた。カナメのコートと帽子を受け取りながら、あら、とシズクは声を上げる。


「安田さんもご一緒だったのですか? もう、そうやっていつも安田さんばっかりカナメ様と……! あ、まだ上がらないで下さいまし安田さん、脚を拭いてからでないと座敷には上げられません!」


 少し拗ねたようなシズクの声色に、きゅう、としょんぼりした泣き声を漏らしながら安田さんがうなだれる。その遣り取りにはははと笑いを漏らし、カナメはシズクの抱えていた自身のコートを取り上げた。


「シズクさん、自分の事はいいですから、先に安田さんを拭いてあげて下さい。それから少しお腹が空いているようですので、良ければ何か餌をやっては貰えませんか? 良い働きをしてくれたので。お願いです」


「そうなのですか? カナメ様がそう仰るのなら……」


 カナメの言葉に不満げながらもシズクは頷き、安田さんを清めるべく水場へと濡れ布巾を作りに行った。その姿を見送ってから、カナメは客間へと足を向ける。障子戸を開けるとストーブで暖められた空気がカナメを包み、血が全身に巡る感覚にカナメは大きく息をつく。


 コートや帽子を片付けカナメは座卓に腰を落ち着けると、灰皿を引き寄せ煙草に火を点けた。壁の掛け時計を見上げると、昼食にはまだ幾らか時間があるようだ。どうしたものかと思案しつつ紫煙を吐く。と、不意に障子戸の向こうから声が掛かった。


「カナメ様、少し宜しいですか」


 どうぞと声を返すと、現れたシズクが頭を垂れる。


「一応井戸さんにお電話を掛けてみたのですけれど、今日はお爺さんの日出男さんが少し体調を崩されているとの事で、話を聞きたいのなら明日にして欲しい……と仰っておりました」


「ああ、集落の纏め役の家ですよね。連絡を取って下さったのですか、ありがとうございます。しかしお身体の調子が悪いのなら、今日の明日では迷惑ではないですかね」


「いえ、軽い風邪なので薬を飲んで一日寝れば直ぐに治るだろうから、と」


 シズクの言伝てに短くなった煙草を潰し、ふむ、と腕を組んでカナメは思案する。そしておもむろにまた煙草に火を点け、ゆっくりと吸い込んでから紫煙と共に言葉を吐いた。


「先方がそう言うのなら、言葉通り受け取るのが良いんですかね。……では、明日の午前中にお伺いしたい旨、伝えて貰えますか?」


「分かりました。そのようにお電話しておきますね」


 それでは、と頭を下げて立ち去るシズクを見送り、カナメは紫煙をくゆらせる。ゆったりと流れる煙を目で追っていると、今度は安田さんがやって来た。人間よりも一足先に昼食を平らげたのだろう、重そうなお腹を庇うようにストーブの前でごろりと丸まった。


 暖かさにうとうとしている安田さんをわしわしと撫でながら、もうじき運ばれてくるであろう昼食に思いを馳せる。カナメの仕事は規則的な生活とは程遠い率が高く、食事もその例外ではない。こんな風に毎日三食、手の込んだ料理が食べられるなどいつ振りだろうか。楽しみにしていないと言えば嘘になる。


 しかし、沢田に話を聞いた後の時間をどうしたものか、とぼんやりと思案する。元々は井戸家を訪問するつもりであったが、それは白紙になってしまった。集落の四方に祀られているという祠を巡ってみるべきだろうか。東の山を降りて『子供寮』にも一度顔を出したいと思っているのだが、時間的な余裕を考えると厳しいかも知れない。


 カナメは短くなった煙草を揉み消し、また安田さんの毛並みを堪能する。どうやら安田さんはぐっすりと眠ってしまっているようで、されるがままだ。


 そうして漫然と過ごしている内に、声が掛かり待ち兼ねた昼食が運ばれて来た。


「ありがとうございます。これはまた、とても美味しそうだ」


 配膳された食事を前にカナメが相貌を崩すと、どうぞ、とシズクも笑顔で茶を注ぐ。


 本日の昼食の献立は、きのこや山菜のたっぷり入った鶏釜飯、ほうれん草の白和え、そして茶碗蒸しに香の物。大振りの茶碗によそわれた釜飯のおこげからは香ばしい匂いが漂い、カナメの食欲を再現無く刺激する。


 いただきます、と箸を取りカナメはまず釜飯に手を付ける。シャキシャキとしたきのこの歯応えとほろり崩れる鶏の身を程良い味付けの米が包み、山菜が風味の彩りを添えている。おこげの部分が思った通り香ばしく、ぱりっとした食感が口を楽しませてくれる。


 白和えは味噌ではなく醤油仕立てだが甘味が強く、また丁寧に擦られた滑らかな食感が箸休めに丁度良い。優しい味付けながらもよく効いた胡麻が全体の輪郭を整えている。茶碗蒸しには銀杏と鶏肉、そしてかまぼこと椎茸が入っており、とりわけ椎茸は小振りながらも肉厚で、芳醇な滋味を醸し出す。


「どれもとても美味しい。特にこの、おこげの部分というのは堪りませんね。釜飯の醍醐味です。自分は昔っからこのおこげの部分が好きでして」


「うふふ、そんなに気に入って貰えるのでしたら作り甲斐があったというものです。まだ沢山ありますので、良ければお代わりもご遠慮無く仰って下さいませ」


「すみません、それでは是非もう一杯」


 カナメの屈託の無い言葉に笑顔を浮かべ、シズクは差し出された茶碗に釜飯を再度よそう。美味しそうに食べる姿にふふ、と笑みを零した。


 そしてさほど時間を掛けず、カナメは粗方食事を平らげた。注ぎ直した茶を差し出しながら、シズクは口を開く。


「あれから井戸さんにお電話しまして、明日の午前中という事で了承頂きました」


「ありがとうございます。お手数お掛けしました」


 最期の一粒まで綺麗に食べ終え、カナメが茶を啜る。お気になさらず、と言いながらシズクがちらり時計を見遣る。


「それで、沢田さんは一時過ぎには身体が空くと思うのですが、……沢田さんとお話した後はカナメ様、どうされますか?」


 そうですね、と思案しながらカナメも時計を見上げた。夕食は七時頃というのが静宮邸の通例だ。沢田との話は一時間程で済むだろう。であれば、およそ五時間近く余白が出来る事になる。


「……沢田さんに話を聞いた後、一度山を降りて『子供寮』に行ってみようかと考えています。道子さんの様子がおかしくなったのは子供寮の当番を終えてからだと聞いているので、何か切っ掛けが分かれば、と」


 纏まった時間は貴重だ。ならばと、カナメは『子供寮』を訪問する考えをシズクに語る。祠は少しの余裕があれば、何かのついでに立ち寄る事も出来るだろう。後回しにしても問題無い。


「ああ、あすこですか……。確かに往復すると時間が掛かってしまいますものね。分かりました。でも早めに帰って来て下さいませ、幾ら道が整備されているとは言え、陽が落ちると山の中は危のうございますから」


「ありがとうございます、気を付けます」


 心配げなシズクの表情に、懸念を払拭させようとカナメは笑顔で応じた。そしてふと思い出し、ストーブの前で寝息を立てている安田さんを振り返る。その仕草に、食器を片付けながらシズクは苦笑した。


「あの、多分ですけれど、安田さんは『子供寮』には行かないと思いますよ」


「え、そうなのですか。何故です?」


 不思議そうなカナメに向かって、シズクは悪戯っぽい口調で理由を述べた。


「以前行った時に、子供達に揉みくちゃにされたのだそうですよ。それに懲りたのか、安田さんは二度と子供寮には近付こうとしないらしいのです。それどころか、集落に子供達が帰って来る土日には、安田さんは子供の居ない家に引き籠もる始末だとか」


「ははは、それはまた……! 安田さんにも苦手なものがあったとは」


 その話を聞いてカナメは盛大に噴き出した。つられてシズクも笑う。


 そして安田さんはキュウゥと眠そうな泣き声を上げ、寝惚けた顔で身じろぎをしたのだった。


  *


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