雪山にて
「さ、寒い……」
いつも着ているロングコートの肩にも、少しだけ雪が積もっている。
「れ、冷静に考えたら俺バカじゃねえか……」
今の季節は冬、更にシュベルク山という一年中雪が降る山が寒さに追い打ちをかける。一歩足を進めるたびにザクザクと音をたてるほどの雪が積もる山道、そんな中を俺は中途半端な耐寒装備で一人歩いているというのだ。
「こ、こうなると分かっていたら、普通に遠征の方を選んでいたぞ……」
今頃他の街であの二人は歓迎を受けているだろう……温かいスープつきで。
無意味な事を考えながら、俺は一歩一歩山道を歩いている。
今回の装備はというと刀を一振りとインナーに防寒装備をつけて、後はいつもの黒のタイラントコートを身に着けている。
刀はいつもの黒刀ではなく、今回は太刀にしては大きめの刀である《蝦蟇野太刀》を装備してきた。これは戦闘開始の最初の抜刀限定で鞘の鯉口に仕込んであるガマの油が刀身に移り、そして抜刀時の摩擦によって刀が燃え上がるというギミックが仕込まれている。
「……それにしても久々にキーボード無しで喋っているな……」
――ここで唐突だが俺が所持する特殊装備アイテム、《キーボード》について話しておこう。
今までの話から、俺はほぼキーボードでしか発言をしていない。直接人と会話をするなど、元引きこもりの俺にとっては到底できっこないからだ。そのためこのゲームに入ってすぐに、このゲームを支配する管理人の《システマ》から発言用のキーボードを貰っている。戦闘中などは基本的に、片手のブラインドタッチで発言をしている。
しかし今は周りに誰もいないため、独り言ということでキーボード無しで呟いている。
「ラストでも連れてくれば良かった……」
俺は前回の経験から見返りを恐れて、今回TMであるラストを連れて来ていない。つまり俺は今ガチぼっちという訳だ。
「……寒い…………」
その時ひときわ強い突風が吹き荒び、それと同時に地面を大きな影が通り過ぎてゆく。
「――ッ!」
俺はとっさに柄に手をやり辺りを見回した。だがどこにもそれらしきものは見当たらない。
『上か!』
俺はキーボード片手に上を向いた。するとそこには凶暴な小型の飛行種であるワイバーンが、悠々と空を旋回している。
『マジかよ!?』
俺は予想しなかった事態に対し、思わず抜刀してしまった。紅い炎が轟々と燃え上がり、刀身に落ちようとする雪を次々と溶かしてゆく。
『……ん?』
だがワイバーンは襲ってくる様子など無く、俺が歩いてきた道の数メートル後ろの地面にその巨大な体躯を着地させた。
『……なんだお前かよ』
俺はたった今、ワイバーンの主がよく知っている人物だということに気づいた。そして無駄に一回抜刀してしまったことに気が沈んでしまった。
『円卓会議にいないから他のクエストに行ったんじゃなかったのか?』
「いえ、貴方が一人で討伐に出かけたことをシロさんからお聞きしたので…………それよりも、いい加減そのキーボードで会話するのを止めませんか?」
『やだ』
「……もう!」
俺の目の前で頬を膨らませている少女は、あの《殲滅し引き裂く剱》のメンバーの一人。彼女の名前はイスカ。職業は竜騎士、レベルは94。気真面目そうな少女で、俺としてはとても扱いづらい。だが何故か向こうはこうしてしょっちゅう俺に絡んでくる。迷惑な話だ。
「Aランクの討伐と聞いて念の為に来たんですけど、案の定といった様子ですね」
『何が?』
「凍えながら進んでいるだろうと……今回TMは一緒じゃないんですか?」
『家に置いてきた』
「……そうですか」
少し嬉しそうなのは俺の気のせいか? まあ確かにあいつの豊満な胸と並べられると可哀そうだけども。
「……どこをじろじろ見ているんですか」
『なんでもないよ』
「見てましたよね絶対! あんなに大きくなっても将来垂れるだけですよ!」
NPCと張り合うなよ……それにあれは魔族だからまた違うと思うぞ?
『そんなことはどうでもいい。それで、俺をカナイ村まで乗せてくれるってか?』
「どうでもいいって……っ、もういいです!」
イスカはそういうと口笛を吹いてワイバーンを返してしまった。
『お前何してんの!?』
「へ? 私のワイバーンは二人乗りできませんよ?」
『じゃあお前本格的に何しに来たの!?』
竜騎士から竜取り上げたら唯の騎士でしょうが!
「だからっ! ……だから、その…………気になったから追ってきたんです悪いですか!?」
そんなムキにならなくてもいいじゃないの……まあ今までぼっちだったし、話し相手ができただけでもまだマシか。
『とりあえずさっさと山超えるぞ。もうすぐ夜にもなるし、その前にこの山を登りきっておきたい』
「……そうですね」
俺の提案を素直に受け入れると、イスカは後をついてくるようになった。
◆ ◆ ◆
山頂に近づくにつれ、吹雪もより激しくなっていく――
『――吹雪いてきたな』
「そうみたいですね……」
イスカも防寒対策が未熟だったのか、肩をすくませて俺のすぐ後ろをついて来ている。
『……おい、さりげなく俺を風よけに使うなよ』
「いいじゃないですか、こういう時くらい役に立ってくださいよ」
そう言って俺の背中に引っ付いてくるが正直歩きづらいし、ラストが普段から引っ付いてくるのを経験していると哀しいものがある。
「…………」
「……何ですか?」
『…………何もねぇよ』
「……むぅ」
それにしてもすごい吹雪だ。フードで防いでいるとはいえ雪で視界が真っ白だ。
『……これ以上進むのは難しいな、適当に洞窟でもあったらそこで一晩過ごすか』
そう言って俺は横穴が無いか注意深く探しながら山を登り続ける。
しばらくすると、真っ白な中にぽっかりと黒い穴が空いているのが見える。
『……おい、横穴ならあったぞ』
「良かったです……」
そういう彼女の身体が小刻みに震えているのを、俺は背中越しに感じている。こりゃ急いだ方がいいな。
『急げ、横穴に入ったら火を焚いてやる』
「あ、ありがとうございます……」
やっとのことで洞窟に到着すると、顔を真っ赤にしているイスカを岩壁に持たれかけさせ、適当に木の枝でも落ちていないか洞窟の奥を探し始めた。
『……おっ、あったあった』
俺は少ない木の枝を拾い集め、一か所にまとめた。
『今火を起こしてやるから』
凍えているイスカにコートをかぶせ、俺は腰元の太刀を抜刀した。だが刀は燃え上がらず、その場はしんとしている。
『……あれ?』
俺は首を傾げながら納刀し、再び刀を振り抜く。だが一向に刀が燃える様子はない。
おかしいな、《蝦蟇野太刀》は一回だけなら抜刀するだけで火が――
「あっ!?」
「へっ? どうかしたんですか?」
『……お前のせいで一回抜刀しちまっていたことを思い出したんだよ!』
これじゃ火をつけることが出来ない。それに最初の予定ではこの山を一日で抜ける予定だったから所持品に温かい食料も入れていない。
『……うぅ、寒い!』
俺はコートを抜いたせいでさらに寒さを感じるようになった。両腕を組んで、イスカの隣に座りこんで同様に震えるしかない。
『……防寒対策舐めてた俺の失敗だ』
全く、この一年半で俺は何を学習して来たんだか。
「……あの」
『……ん?』
イスカは何をしようとしているのか、俺と向き合うようにして抱きついて座り込む。
『お前何してんの!?』
「ひ、人肌で温めあえば寒くないんじゃないですか!?」
『えっ、お前もしかして朝までこうするつもり!?』
「そうですけど! ……何か文句でもあ、あるんですか!?」
開き直ってなおさらくっついてくるイスカを前に、俺はなすがままに抱きつかれて身動きが取れなくなる。
「……温かくなるまでですからねっ!」
ぎゅう、と引っ付かれると確かに心なしか暖かくなった気がする。恥ずかしいけど。
イスカの方はというと、真っ赤になった顔を隠すかのように、俺の胸に顔をうずめている。
「………………んっ……」
だいぶ温まってきたのか身体についた雪も解け、イスカが体勢を変えようと動くたびに濡れた音を鳴らしている。
「……んぅ……離れるとまた寒くなっちゃいますし、このままでも……いいですよね?」
『……分かった、だが――』
キーボードが打ち込みにくいからもうちょっと隙間を開けてくれ。




