結婚式で捨てられた花嫁を救ったのは、偽牧師でした
その結婚式には、四人の被害者がいた。
「では、式を執り行います……か?」
牧師は戸惑いながらも、花嫁に問いかける。
彼女は泣きながらも、確かに頷いた。
だが、花嫁の隣は空っぽのままだ。
「コホン。新郎は不在のため省略いたします。新婦エリーゼ・リエットは、永遠の愛を誓いますか?」
「誓いません」
一人目の被害者は、誓わない花嫁エリーゼ・リエットだ。
二人目と三人目の被害者は、その後ろでむせび泣いている彼女の両親ということになる。
「……これをもちまして本日の式は結びとなります。花嫁に幸あらんことを」
そして、最後。
四人目の被害者は花嫁の幸せを祈る牧師――いや、牧師のフリをしていた男。クロヴィス・ロックウェルだった。彼は被害者でもあり、加害者でもあるということだ。
この日、花嫁エリーゼは二人の男に騙されいた。
(どうすんだよ、これ)
泣きたいのは、クロヴィスも一緒だった。
クロヴィス・ロックウェルは、元々エリーゼのことを知っていた。
行きつけのパン屋の看板娘であり、彼女もクロヴィスの顔くらいは知っていたはずだ。むせび泣いていた彼女の両親はパン職人ということになる。
結婚式場で顔を合わせたときには、お互いにひどく驚いたものだ。
『今日の結婚式は、あなたが花嫁なんですか?』
『あら、お客様は牧師先生だったんですね。驚きました』
こんな会話の応酬をした数十分後、一向に現れない新郎が、実は結婚詐欺師だったことが確定する。
悲劇をたくさん見てきたクロヴィスだって、こんな悲しい状況は初めてだった。
疲れ果てた結婚式の翌日。しばらくパン屋も休業するだろうと思いながら、クロヴィスは店の前を通った。
学校へ向かうときの最短ルートからは外れるが、毎日ここを通っているからだ。
「おはようございます、牧師先生。昨日はお恥ずかしいところを見せてしまいました」
「え」
「ずいぶんとお若い方だから、ずっと学生さんかと勘違いしてました。牧師先生だったんですね」
「それはどうも?」
彼の予想は大きく外れ、エリーゼは通常運転でパンを売っていた。店の奥を見ると、両親はせっせと窯に薪をくべている。憎しみの炎があがっていた。
クロヴィスは真新しい白いシャツの襟を正し、持っていた教科書をジャケットにねじ込んだ。
「あの……大丈夫ですか? さすがに今日は休んだ方がいいかと」
心配になって声をかけると、彼女は「いいえ」と首を横に振る。
一つにしばり上げられた赤毛のポニーテールが、右に左に芯を持って揺れる。彼はそれを目で追った。
「悲しいことがあったからこそ働くんです。悲しいときの人間って、暇ができるとすぐに泣いて時間を潰そうとしちゃうから。それにお金もとられちゃいましたし、稼がないと!」
「あー……被害金額はどれくらいですか?」
こちらのことを牧師だと思い込んでいるからだろう。エリーゼは小声で金額を教えてくれた。
「なるほど。結構な金額ですね。騎士団に通報は?」
「それが、あまり話を聞いてもらえてなくて。それでご相談があるのですが……」
クロヴィスは思考を巡らせる。確かに騎士団は結婚詐欺などの少額詐欺を後回しにしがちだ。特に、今回の犯人は行方知れず。これ以上、追いかけても成果は出ないだろう。人手も足りていないだろうし。
「あのー、牧師先生?」
「……え? あぁ、俺のことか。なんでしょう?」
「お力添えをいただけないでしょうか? あなたに同行していただければ、騎士様もお話を聞いてくれると思うんです」
「牧師として?」
「はい。どうか、わたしをお救いください。ダメでしょうか……?」
きっとダメでしょうねぇ、と濁して断りたかった。
しかし、彼女のポニーテールまでしょぼんと萎れていたので、クロヴィスの口からは「神の御名において、お救いしましょう」なんて、それらしい言葉が出てしまうのだった。
善は急げとは言うが、スピードを出しすぎると悪い方向へと滑落しかねない。
しかし、エリーゼは早い方がいいからと、仕事を終えたらすぐに騎士団に行きたいと言う。
仕方がないので、放課後にパン屋の前で待ち合わせすることになった。
幸いにも、彼は騎士団に顔が利く人間だった。騎士団内部を歩けば、大体の騎士は敬礼をしてくるほどだ。
エリーゼは「先生ってすごいんですね」と、隣で感心していた。ははは、と笑っておこう。
話を通しやすい人物を呼び出し、クロヴィスは終始牧師として振る舞うことを決意する。
弥縫策であっても、彼女には牧師という存在が必要だと思ったからだ。
「ゴホンゴホン。お待たせしましたー。あれ? 訪問者は牧師先生とパン屋さんだと聞いてたけど、なんでクロヴィ――痛っ!」
「ああ、申し訳ございません。足を踏み間違えてしまったようで。今日は牧師として訪問していますから、よろしくお願いいたしますね。リオネルさん」
「はぁ?」
騎士リオネルは風邪を引いているらしく、咳をしながらクロヴィスをじーっと見てくる。そこから隣にいるエリーゼへと視線を移して「あぁ、あれか!」と言った。
「っていうか、まだ牧師を続けてたんですか」
「え? 先生、辞める予定があるんですか?」
「いえ、そんな予定はありませんよ、エリーゼさん。リオネルさんは、もう少しお静かに。彼女の身に起きた悲劇を思えば、そんな快活な声が出せるものですか」
「わぁ、なんか牧師っぽいですね。ゴホン」
「どうも。早く風邪が治るといいですね。さあ、エリーゼさん。被害状況の説明を、今一度」
エリーゼは結婚詐欺師との出会いから話をしていく。
彼女の恋愛模様など、別に聞きたくはない。でも最後まで耳を傾けた。聴取ではなく、彼は彼女の悲しみを傾聴しているのだ。
「事情はわかりました。結婚詐欺師のトライトは騎士団も目をつけているのですが、いつどこに出没するか把握できていないのが実情です」
「把握するのが、きみの仕事では?」
「ゴホンゲフン。いやぁ、先生は素人だからわからないでしょうけどね? やつが次のターゲットを見つけ、動き出すのを待つしかないんですよ」
「ははは、素人質問で申し訳ないね」
騎士リオネルが言い切ると、エリーゼは手先をこねこねと動かし、なにかを逡巡しているようだった。
それを見逃さず、クロヴィスは彼女の言葉を引き出そうとする。
「言いたいことは、全部言わないと後悔しますよ」
どの口が。自分自身を蹴り倒したくなる。
「先生……ありがとうございます。あの、結婚式の翌週の日曜日に好きな観劇が始まると言っていたような気がして。それも嘘かもしれませんが……。なんかもう、なにを信じていいか、全部に自信がなくて……ごめんなさい」
クロヴィスは毎日パン屋を訪れていた。どんな嵐の日だって、エリーゼはいつも笑顔だった。
朝早くからパンの香りを身にまとい、客がくれば元気いっぱいの挨拶で迎えてくれる。きめの細かい美しい手を小麦粉だらけにして、真っ白なエプロンが茶色になるまで毎日働くような、一生懸命な娘だ。
それがどうだろうか。こんな風に俯いて、か細い声で話すようになってしまったのだ。
なんだか悔しくて、クロヴィスはテーブルの下で両手をぎゅっと握りしめた。
「観劇? 結婚詐欺師トライトの目撃情報は、どれも近隣に劇場があったような」
騎士リオネルは書類を引っ張り出して、目撃情報を洗い出す。
エリーゼの証言は、それまで集められていた目撃情報の点と点を線で繋いだのだ。やつは重度の観劇マニア。だからロマンス演技が得意だったのだろう。
「エリーゼさん。情報提供ありがとうございます。必ず犯人を捕縛してみせます」
「は、はい! よろしくお願い、します」
深く頭を下げるエリーゼの隣に立ち、クロヴィスも同じ深さまで頭を下げ、それらしく祈りを捧げた。
祈るだけで救われるなら、いっそ本物の牧師になってもいいんだ。そうすれば、もう彼女を泣かせることもない。
しかし、クロヴィスは帰宅後、いつもは必ず開く教材に一切触れず、デスクいっぱいに地図を広げた。祈って待つのではなく、犯人が来るだろう劇場を推測するのだ。
次の日も、その次の日も、彼は準備を続けた。劇場付近に赴いて場所を確認したり、犯人の情報を読み込んだり、とにかくできることを全部やった。
彼は劇場付近に身を隠し、騎士たちが犯人を捕縛するのを見届けたかったのだ。そうしなければ、悲しい記憶はいつまで経っても払拭できないと――。
「……俺がそうなんだから、きっと彼女もそうだよなぁ」
一抹の不安を感じた彼は、翌朝にパン屋で彼女に声をかけた。
「牧師先生、どうなさいましたか?」
「エリーゼさん。明日、しらみつぶしに劇場を巡ろうなんて考えてませんよね? 捕縛されるのを見届けようと思っていたり?」
彼女は肩を大きく揺らした。ポニーテールがぴょこんと跳ねる。わかりやすい。
「はぁ、やっぱり。やめといた方がいい。犯人があなたを見つけたら、罠だと気付かれて逃げられてしまうかもしれない。捕縛されたとしても、恨みを買ったら危険です」
「そうですよね、わかっています。でも、このままじゃ、わたし……」
もう二度と恋ができないかもしれない。そう言って、彼女はまた俯いた。
「……わかりました。じゃあ、折衷案。こうしましょうか」
下手に禁止すると、逆に躍起になるのが人間だ。傷ついた人は自身を顧みないことも、よく知っていた。
クロヴィスは、翌朝にエリーゼを迎えに行くことにした。
用意していた目立たない紺色の服を着せ、赤毛を隠すために帽子を被せる。
同じく、目立たない格好をしたクロヴィスの先導で、目星をつけた劇場の前にあるカフェに入店した。
「ここにいれば、犯人が捕縛されるところも見られるはず」
「ありがとうございます、牧師先生」
「あー……ははは、ドウイタシマシテ」
そろそろ牧師ではないことを告げた方がいいのだろう。
(嘘なんて、つくときは簡単なのになぁ)
あの日、クロヴィスはとても簡単に偽牧師を引き受けた。
それを思い出しながらアイスコーヒーをぐるぐるとかき混ぜていると、彼のアンテナがぴこんと反応する。
歩き方、服装、事前に頭に叩きこんでいたそれらの情報と、劇場前を歩いている人物のそれが一致する。
「犯人が来た」
「え? どれですか?」
「ほら、モニュメントの前にいる男。黒い帽子を被ってる」
彼女は目を凝らし、しばらく観察してやっとわかったようだった。結婚を誓った元恋人だというのに、一発で見抜けなかったのだ。
「きみと会っていたときと、雰囲気が違う?」
「はい。全然ちがう。別人みたい」
男は猫背の姿勢でおどおどと歩いている。すれ違う人をいちいち観察し、近付かれるとビクッと肩を震わせて帽子を被り直す。詐欺師の中でも、とっても小物の詐欺師に違いない。
「そっかぁ。あの人は初めからいなかったんですね。なんか……すっきりしました」
「そう?」
クロヴィスが笑うと、彼女も頬をあげて笑った。グラスの中で、カランと氷の解ける音がする。豁然一笑、彼女らしい笑顔だった。
働き者のエリーゼは、犯人捕縛の瞬間を見届けるよりも、早いところ店の手伝いに戻りたいという。クロヴィスは一瞬だけ悩んだが、結局二人でカフェを出た。
しかし、劇場の中で、すでに事件は起きていたのだ。
「捕まえろ!」
「待て、逃げるな!!」
突然、劇場から数人の騎士が出てくる。どうやら彼らは劇場内で速やかに捕縛する作戦を立てていたらしい。寸でのところで逃げられたのだろう。
クロヴィスが周囲を警戒すると、ちょうどこちらに向かって走ってくる男がいた。トライトだ。
やつの手にはナイフが握られている。カフェのテラス席に座っていた女性客が大きく叫ぶ。
秋晴れの日差しが犯人のナイフに反射し、それがちょうどエリーゼを照らした。帽子から出ていたポニーテールの毛先が、激しく揺れる。
「おまえは……エリーゼ!? そうか、おまえが情報提供者か!」
トライトはエリーゼに刃先を向ける。
彼女が「牧師先生!」と助けを求める声をあげたと同時に、クロヴィスは前に出た。
(牧師の俺じゃ、誰も守れない)
脇に差していたナイフを引き抜き、少し屈んで相手のナイフの側面を狙ってなぎ払う。押し負けたトライトは体勢を崩し、ナイフを落とした。
いつもだったら、ナイフを奪って締め技で降伏させるクロヴィスであるが、今日の彼は違った。職務でここに来ているわけではない。彼女のために、ここにいる。
よろけたトライトの喉を狙って、クロヴィスは掌底を決める。続いて、腹に正拳二発。ラストは横腹に回し蹴りを入れてやった。
計四発。あの日に泣いた人数の分、叩き込んだ。
最後の蹴りで吹っ飛んでいった犯人に、騎士が大慌てで駆け寄る。
「クロヴィス先生! なにやってんですか! これ、生きてる?」
「騎士団の大会優勝者が本気で犯人を伸しちゃまずいでしょーが!」
「正当防衛だ。大体、おまえたちが逃がしたのが悪い。次の訓練、覚悟しとけよ?」
クロヴィスが叱ると、騎士たちは震えあがって素早くトライトを捕縛する。まったく、どうしようもないやつらだ。
とは言え――どうしようもないのは、クロヴィス・ロックウェルも一緒だ。彼は諦めたようにため息をついて、エリーゼに向き直った。
「怪我はありませんか?」
「はい。危ないところを助けていただき、ありがとうございました。牧師先生はお強いのですね。びっくりしました」
思ってた反応と違う。クロヴィスはずっこけそうになりながら、胸ポケットから胸章を取り出した。騎士団の証だ。
「先生は先生でも、普段は騎士団の養成学校や訓練の教官をしています。学生でも牧師でもなく、騎士なんです」
「え? じゃあ、結婚式の牧師先生は……?」
「潜入捜査でした。あの日、トライトが結婚式を挙げるという情報が入ったんです。確証がなくて人員は割けなかったのに、担当の騎士リオネルが体調を崩してしまって……。彼に頼み込まれて、急遽代理で牧師役を引き受けました。騎士団の寮内で非番だったのは俺だけで、悩むことすらしなかった。そして、一切事情を伝えないまま、あなたを囮にしました」
クロヴィスは頭を下げた。申し訳ありませんでした、と。
彼女はすぐに言葉を返してくれなかった。気まずそうに、ただ指先をこねこねと動かしている。
(そりゃあ嫌われるよな……)
虫けらのように嫌悪されたとしても仕方がない。あの男がエリーゼを騙したように、クロヴィスも彼女を騙していたのだから。
怒られて平手打ちでもされたら、いっそ諦められるかも。想像しただけで死にたくなった。
「あの……えっと、元牧師先生? 騎士の先生? なんとお呼びすれば?」
パッと顔をあげると、彼女は苦笑いをしていた。呼び方がわからず、迷っていただけだった。
「……クロヴィスです。クロヴィス・ロックウェル」
「クロヴィスさん、結婚式の日、あなたがいてくれて良かったと思ってます。それから、今日も。ありがとうございました」
「え、それだけ? また泣くかと思ってた……」
クロヴィスが弱々しく本音をもらすと、その自信のなさが彼女に伝わったようで、逆にエリーゼは上を向いて笑う。
「ふふっ、騙されたのは悔しいですけどね。でも、牧師先生じゃなくて騎士の先生であっても、クロヴィスさんがしてくれたことは何も変わりませんから。もっと早く言ってくれれば良かったのに。何度も牧師先生って呼んでしまって、逆に恥ずかしいくらい」
彼女が笑って許してくれたことが嬉しくて、こんな都合の良いことが起こるなんて思いもよらなくて、クロヴィスは緩まりそうな頬をきゅっと結んだ。
「そりゃあ……男に騙されて泣いてる女に、実は俺も騙してたなんて言って、また泣かせたくないでしょ。毎朝パン屋で会うときみたいに、いつも笑っていてほしいし」
そう言うと、彼女は目を丸くして、肩を少しあげた。帽子から出ているポニーテールの毛先がぴょこんと跳ねる。
「毎朝、そんな風に思ってくれてたんですね。でも……あら? なんか気になってきました。『全部言わないと後悔する』ので聞いてもいいですか?」
「……どうぞ」
「騎士団の寮と養成学校って隣同士ですよね。どうしてうちのパン屋に毎日通ってるのかなーって。騎士団の付近にはパン屋もたくさんあるし。そんなにうちのパンが好きなんですか?」
バレたか。クロヴィスは揺れる赤毛に釣られて、右に左に目が泳いでしまう。毎朝、彼女を目で追うのが癖になっているのだ。
乱れた紺色のジャケットの裾を正し、ふーっと一呼吸。
「言わずに後悔するのはもう御免だから、全部言うよ。ただ、話せば長くなりそうだから……これだけは先に言っておこうかな」
剣ダコだらけの手を差し出し、彼女に向き合った。
「毎日通うほど好きだったのは、パンだけじゃない。きみの結婚式の日、牧師の俺がどれだけ泣きたかったか、知ってる?」
クロヴィスは彼女の手を握った。ずっと好きだった。そう伝えながら――。
【結婚式で捨てられた花嫁を救ったのは、偽牧師でした】完
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ヒロインにたじたじになっちゃう、ちょっと悪い男を書くのが好きです。
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