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拝啓 自分様  作者: 荒川 晶
各々の日
42/43

各々の日 3

「そうだ、変わるといえば」

 チヨは二人の右腕の傷を指摘した。同じ場所に怪我をした跡だった。

「その場所って、私の写真の腕の黒ずみの位置と同じなのよ」

「それって……」

「少なからず歴史を変えたということね。恐らく自分達の未来を変えたのでしょう」

 そう言って、チヨも腕を捲ると二人は目を丸くした。

「チヨさん、それ」

「どうやら、私もまた自分を変えてしまったようね。でも娘も無事だったから、そこはほっとしているわ」

 チヨはちらりと紅茶を入れて、お客と話しているオーナーに視線を移す。つられて二人もその元気な姿を目にする。

「でもこれで未来が変わったら……」

「大丈夫よ、これからの未来はあなた達が自分で作っていくのだもの」

 不安がる二人をよそにチヨは柔らかく微笑む。

 そんな彼女に二人はホッとした。

 チヨは笑うようになっていた。チヨ自身も自覚しており、この時代に戻ってきてから、正しくは子供と会ってからだという。彼女は言った。一生の宝物がまた目の前にある、と。

 その後、祐樹は藍の家庭教師をすることになった。彼女は出された課題をこなし、着実に力をつけていった。チヨとの約束を守るため、あの時代の、今では過去となった時代の人々の協力を無にしないために、彼女は一歩ずつ前進していった。夢や目標というものは、人をそこまで動かせるものなのだと、客観的に祐樹も教えながら感じていた。


 それから二年が経った――二年という月日はあっという間であった。特に過去のあの数ヶ月が濃厚で、とても一日が長く感じたために、現代での一日はより早く感じた。

 藍はギリギリまで詰め込み、最後の模試の判定もC判定ではあったものの、念願の慶應文学部に入学が決まった。彼女はこの瞬間をどれだけ夢見たことか。だがそこは彼女のゴールではなかった。まずは手紙を手に入れるために教授に気に入られる必要がある。そのために彼女は研究室に何度も足を運び、成績も程々を維持し続けた。そしてついに、その日はやってきた。

 教授は、藍がチヨの知り合いだということを知ると、一年生の夏休みに、チヨ同伴の下で、藍と祐樹に手紙を見せてくれるというのだ。勿論、教授代々、この日まで開けてはならないと言われていたため開封をしていない。教授が信じてくれるかは別にして、その日理由を説明して、なんとか受け取れないか交渉することになった。

「そんな馬鹿なことがあるのか」

 教授は一通り話を聞くと、開封された手紙と目の前の二人を見比べた。

「信じられないでしょうが本当なんです」

 チヨは二人の代わりにそう答えた。

「しかし、じゃあチヨさんも君らも一度は死んだということなのか」

「死んだと言うより、死にかけたが正しいですが、そんな感じです」

 藍はあえてニコリと笑ってそう放った。

「信じられん……もし本当だとすると、この手紙は君らが書いたもので……」

「ええ、歴史的には価値はあまりないわ」

 淡々と、でもにこやかにチヨも言う。女性の笑顔はどうしてこうも有無も言わさない恐さがあるのだろうか、と二人を見ながら祐樹はひっそり思った。

「できれば詳しく調べたいが、どうやら君らのものだし、これは返すべきなのか」

「そうしていただけると嬉しいです。私達の宝物でもあるので」

 ずっと笑っていた藍もその時ばかりは真顔になった。

 教授は頭を抱えながらも、「前向きに検討する、少し時間をくれ」と言って、延期にされた。それから数ヶ月が経ち、そのまま手元には戻らないだろうと思い、ため息をついていた日々の矢先に、藍の下へ教授はやってきた。

「いくら調べてみても君達の物だという証拠しか出てこない、これを返そう」


 更に数十年が経過した。

 藍も祐樹も社会人になっていた。藍は歴史学者に、祐樹は産婦人科医に。

だがその間も刻々と時は刻まれている。

 チヨは、亡くなった。八十年の命だった。死にかけるのではなく、本当の死。

 藍と祐樹は再び、葬式の場で顔を合わせる。お互いに不思議な感覚だった。死ぬという感覚を体験しているだけに、またチヨが動き出すのではないか、どこかで会えるのではないか。そう思ってしまう。だが、今度こそ、チヨは目を覚ますことはなかった。

 棺桶を開けるとそこには白く、細くなった、お婆さんが横たわっていた。紛れもなく、チヨだった。

「チヨさん……」

 冷たくなった頬にそっと触れる。その瞬間に二人は数十年も前の記憶が走馬灯のように思い出された。

 困り果てていた二人を受け入れ、部屋を与え、着るものも食べるものも与えてくれた。福沢さんに会わせてくれたのも彼女の紹介だった。彼女の出したお茶は少し苦く、それでいてほっとするような風味だった。毎日忙しそうに働いていた彼女を横目に、二人は自分達のしたいことについて少しずつ考えるようになっていった。死ぬということと、生きるということ、時代を変えてはならないという制限、そして現代に戻ってきてらかの彼女の働き――色々なことが蘇る。彼女が彼ら二人のために費やした時間はどれくらいのものだったのだろうか。二人がそんなチヨさんを嫌いなわけがなかった。寧ろ、大好きだった。

「ありがとうチヨさん」

 二人は感謝の意を込めて、お互いの宝物――あの手紙――をチヨの棺桶にしまう。

「チヨさんがいたから、ここまでこれました」

 二人は手を合わせる。

 死は必ず訪れる。その訪れをどう迎えるかは、生きていく中で決まっていく。生きて、夢を追って、大人になって、そして死んでいく。そしてまたきっと生まれてくるのだろう。この当たり前のようなサイクルに、彼らはやっと気が付いた。

「生きます」 藍はそう呟き、「見ていてください」祐樹はそう呟いたのだった。

 もう全く匂いのしない、ボロボロの匂い袋が藍の手元で揺れた。


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