覚悟の日 5
「なんで、左之さん達が……」
藍が辿り着くと、松本の宿の前で、男五人が異様な状態にあった。藍は刀を手にしている原田の目を見つめた。原田と藍に目配せしているも同じく刀を手にし、殺気を消さないのは新選組の鬼副長である土方だった。彼らに対峙しているのは、坂本で彼は困ったように顎に手を添え、もう片方の手を懐に忍ばせている。三人を仲介するように立ってため息を吐いているのが松本で、その横で眉間にしわを寄せているのが福沢だった。
藍には状況を把握するには時間が必要だった。
「坂本には色々と用事があるんだ。それはわかっていただろう」
土方は原田の代わりに答えると、原田がその横で目を伏せた。
「それでお前は何の用だ」
土方は相変わらず、刀を下ろそうとはせずにそう尋ねる。
「私は、坂本さんの忘れ物を届けに……」
藍は手にしていた匂い袋を見せると、坂本が目を輝かせて「おー」と刃物を向けられているにも関わらず、藍の傍に寄った。坂本がここまで余裕があるのも、北辰一刀流という流派の刀遣いだからだろう。天然理心流の遣い手である新選組の幹部隊士が二人掛かりで坂本を抑えにくるのも無理はなかった。
「探しちょったんぜよ。さんきゅうぜ」
覚えたての英語を披露しながら、緊張感のない坂本は嬉しそうにして藍から匂い袋を受け取る。だが、その一瞬だった。
原田がその坂本の手元を狙って刀を振り下げたのだ。藍がいるからか、その剣技に覇気はないものの、充分すぎる威力だった。だが、それを坂本は懐に忍ばせていた腕を引き抜くと、何か固いもので刀を瞬時に受け止めた。
「卑怯って言葉を知っちゅうがか?」
「悪いね、仕事なんで」
坂本の手には銃が握られていた。その拳銃が刀を受け止めたのだ。
原田は拳銃を目にすると目つきを変えた。
「左之さん……」
そこに立っているのは藍の知る原田ではなく、一番最初に会った時の、血に染まったあの新選組の原田であった。
「坂本、お前を捕えさせてもらう」
土方もじりじりと間合いを詰めていく。
「そうもいかないんだがにゃあ。おんしらはこれを知っちょるが?」
にやりと笑うと所謂レボルバー式の銃を、彼は脅しのように一発地面に打ち込んだ。
辺りに銃声が響き渡ると、道行く人々がその音に驚き恐怖した。当然藍も、例外ではなかった。
「坂本さんやめて!」
その一発で藍は青ざめて思わずそう放った。同時に彼女の足は坂本に向かい、彼の手を捕える。
「ちょ、危ないき!」
彼女は坂本から銃を奪った。いや、奪おうとした。だが、手に握っていた汗が彼女の運命を変えた。彼女の予想以上に重量のあるそれは彼女の掌をすり抜け、再び拾おうと瞬時に思った時には、それは地面に落ちていた。
藍は運動会の徒競走を彷彿とさせる大きな響き渡る音を耳にした。銃口からは煙が出ており、火薬の匂いがした。そんなことを思った刹那だった。赤い色が地面に飛び散った。それが自分のものだと気付くにはあと数秒必要であった。数秒後に藍は全身が急激に脈打つのを感じた。今までに感じたことがない脈打ちだった。そして激痛が右大腿を襲う。しかしそれも束の間であった。すぐに頭の中が真っ暗になり体が急激に冷えていくのがわかった。
(私、死ぬのかもしれない)
初めての死の感覚だった。冷静にもそんなことを思ってしまう自分に笑いそうになるも、そのための力さえ出ない。彼女は必死に口を開くと、周りの者が寄ってきてそれを聞き取ろうとした。
「坂本さ、ん、福沢さんに……手紙を……」
「今はそれどこじゃないきに! 喋ったらあかんぜよ!」
「なんてこった。出血がひどすぎる。間に合わねえ、おい、誰でもいい。チヨさんと祐樹を呼んで来い! それと、ここじゃ野次馬が増えて不潔になる、宿の中へ運べ!」
松本は慌てて服を脱ぐと、出血している箇所に押し当て圧迫する。それでもどんどんと服は赤く染まって行く。
チヨ達のところまで走って四、五分だ。往復約十分。藍の体力は保つのだろうか。
坂本が松本の言葉を聞くや否や、「わしが行ってくる」と言って全力で駆け出した。
「おい、藍坊、目を開けろ。藍坊、あんたは俺が斬るんだろ。こんなの約束してねえ!」
原田は藍を抱きかかえ宿の中へと入ると、彼女の手を握りしめ声をかけ続ける。
「なぁ松本先生。こいつは助かるのか」
原田が尋ねると、松本は黙ってしまう。
「医者なんだろ!」
「うっせえ! 人の命はどうしようもできないこともあるんだよ! いいから、おめえはこの子に話しかけてろ! 耳ってのは最後まで聴こえてるって話だ、奇跡が起きるかもしれねえ」
松本も苛立ち、藍の唇がどんどん紫色になっていくことに恐怖を覚えていた。
「福沢さん! 新しい布をどんどん持ってきてくれ。あとは綺麗な水と、できるかわからねえが血管の縫合をするためのタコ糸と針、足を縛るための縄も持ってきてくれ!」
この様子に土方だけがただ何も言わずそれを立って腕を組んで見つめていた。「すまねえ」そう呟き彼はその場を去って行く。新選組の副長である彼が坂本たちと手を組んで人助けする訳にはいかない。それを見越してか、松本も去って行く姿を横目で見ていたが何も言わずに目の前の出血と戦う。




