覚悟の日 3
「あなた達は強いわね。私は弱いわ……。死への恐怖が拭えない。だから、私はこの時代にいて、代わりに患者さんを診てきた。でもそれは後付の理由であって、それが本当の理由ではないの。私は怖い。だから……戻れない」
その悲しそうな瞳に二人は一瞬自分の中にある恐怖に怖気づきそうになった。それは彼らも同じなのだ。死と隣り合わせの『戻る方法』。怖いわけがないのだ。少なくとも、一歩間違えれば死んでしまう。それではダメなのだ。死んではいけない。でも死にかけなければならない。彼らは皆若い。若いからこそ考えてしまう。この時代に生きてもいいのではないかと――
坂本はここはふざけていい時ではないというのはわかっているようで、真顔で彼らの後に言葉を放った。
「おんしらの言うことが本当かどうかはわからんけんど、もし真実だとするなら、おんしらは死なないといけないのか」
坂本の問いに三人は互いに目配せする。そして、それに応えたのは藍であった。
「正しくは死にかけないといけないんです」
自分達の道を切り開く方法をどうしても知りたかった。藍だけではない。祐樹もチヨもだ。
彼らは薄々気付いていた。この時代の者の手が必要だと。三人が久々に揃った数日前と今日では、そう思うことが最も大きく違うことだった。
「だが死ぬわけではないのだろう」
坂本は下唇を突き出し、顎に手を添え、ぽりぽりとそこを掻いた。これは彼の考えている時の癖のようだ。
「そうだな……未来に残してきた一番の気掛かりはなんじゃ?」
「えっ」
そんな突然の質問に藍と祐樹は目を丸くする。したいこと、やりたいことは考えてはいたし、それが戻る理由だと思っていたが、気掛かりと言われるとまた違う気がする。坂本以外の全員は何を突然と思ったが、その奇抜さが彼の魅力でもある。言われるがまま、目線を落として、考え始めた。
気掛かりなこと、それを少しでも解決することで、坂本は皆の不安や恐怖を少しでも改善できるのではないかと考えていた。何故なら人が不安におののく時はその後のことを考えてしまうからだ。ただ自分が消えるだけの恐怖ではない。恐らく残された者のことも考えての感情なのだ。
そして、藍だけはほんの数秒黙るだけで、すぐその答えが見つかった。
「気掛かりは家族と友達です。心配してるんじゃないか、とか、自分は元気だということを知らせられたらいいのに、と思う……」
それを言われ、祐樹もふと父親のことを思い出す。喧嘩ばかりしていたが、結果的には自分を想ってのことだったのではないかと思えるようになっていた。藍の家族や友達を想う姿を、この時代に来た当初は正直なところ冷ややかな目で見ていた自分がいた。親なんて、とそう思っていた。でも今は違う。医学の素晴らしさを伝えようとしていた父親に、そして命を張って産んでくれた母親の姿が浮かぶ。彼にとってこの数ヶ月は親を誇りに思えるようになる期間にもなっていた。
「私も、家族です」
そう言って祐樹は少し恥ずかしそうにして呟く。だがこれが彼の今の本音なのだ。
「そうか。やっぱりそうやねゃ」
坂本は何やらウンウンと頷くと、手をぽんと叩き、またにこりと笑った。
「手紙じゃ」
「手紙?」
藍と祐樹の声が被る。
「根本的な解決策にはならんけんど、おんしら手紙を書くといい。戻れたら万々歳。万一戻れなかったとしても……もしかしたら御両親に届くかもしれん。一つの賭けじゃ。やらんよりはマシじゃろうて。わしもよう姉に手紙を書いちゅうがよ」
坂本は当時、大量の手紙を残していたことで有名である。特に姉の乙女には頻繁に書いていたそうだ。彼らしいと言えば彼らしい提案なのだ。
『現代(平成時代)』でこそ、メールが一般的になっているが、手紙を貰う時の嬉しさは昔から変わらない。一人一人の想いが一つ一つの文字に込められている、そんな気がするからだ。それに、メールは送ってしてしまえば、勝手に消えていき、そうでなくても機種変更すれば確実に消え後形もないが、手紙は捨てない限りずっとそこにあることを証明してくれる。それらが、ネット文化の発展した今日までも手紙と言うものが残っている理由なのだ。藍達は他の選択肢がない、ということ以外にも、未来に向けて手紙を書くということに少しだけ胸がはずんだ。
だが、一つだけ問題がある。
「それを誰が保管していくんだ?」
祐樹の純粋な疑問だった。確かにそうなのだ。保管をするということが最も難易度が高い。
「あ」
ふとそこで藍は坂本の真似をして手をぽんと叩いた。
「福沢さんは?」
それを聞いて祐樹とチヨは「ああ」と妙に納得する。そう、彼は慶應大学の創始者なのだ。長い期間、保管できるかもしれない。




