一人の日 1
祐樹が出ていってから一ヶ月ほど経った。恐らく二人がこの時代に来てから二ヶ月は経過している。
京の町はじめじめした暑さを増していた。
藍はその暑さをやり過ごすため少しでも涼もうとして、鴨川付近で散歩することが増えていた。二ヶ月となると彼女もやることがなくなる。
時折、刀を持つ武士とすれ違ったり新選組を見かけると以前の巻き添えがトラウマになっているのか、彼女の身体が勝手に緊張するがそれ以外は至って平和である。
藍には幕末の知識はほとんどないためこれから起こることもわからない。祐樹が出かける前に色々聞いておけば良かったと思うときもある。
祐樹からは連絡がない。というよりも、連絡の取り方や連絡先をもしかしたら知らないだけなのかもしれないが。
彼女は今までの人生で一人で行動することがほとんどなかった。こんなに長いこと一人で散歩することもなかったし、何より誰かがいないと不安に感じる。最近やっと一人でいる不安にも慣れてきたが、祐樹のように一人でお茶を飲むことなど怖くて未だできないでいるのだ。
パタパタと団扇で扇ぎながら、藍はぼんやりとクラスメイトのある女子のことを思い出していた。一人でいることを好み、何をするのも一人。嫌われているわけではなかったが、独特の世界があり人が近づけない。藍は時々彼女を見ては可哀相だと感じていた。
(可哀相なんじゃなくて、私が臆病なだけだったんだな……)
彼女は少し前までは一人で行動することが勇気のいる行動だとは考えてもいなかった。一人ということは、全ての決断は自分でするということ。周りに流されなんとなくフワフワやってきていた藍には簡単なことではなかった。また、他人に可哀相だと思われているのではないかと考えてしまい怖くなる。
(はぁ、帰りたい)
家族も友達も恋しかった。彼氏はいなかったが気になる同級生もいた。でも今はそんな小さな恋心も空しいだけだ。藍はホームシックになっていた。彼女には淋しいと弱音を吐く相手もいない。涙こそ出ないが代わりに深いため息がでる。
歩く足を止めて三条大橋に寄りかかり、鴨川を眺める。
「そこにいんのはどこぞかの変人一家のお嬢ちゃんか?」
そんなナイーブになっているときにどこかで聞いたことのある声がした。藍が声の主の方を振り返ると、私服を着た新選組の原田が、同じように団扇片手に歩いて向かってきていた。彼を見かけたのは池田屋からの帰還以来である。
「こんな真っ昼間に何やってんだ。黄昏れるにはちと早ぇぞ」
「びっくりした……今日はだんだら着てないんですね」
「そりゃあ非番だからな。あ、そうそう」
そう言って近付くと藍の耳元で「池田屋の件ありがとうな」と耳打ちする。どうやら永倉から聞いたようだ。
「信じてないんじゃなかったんですか」
「信じてないぜ? でも礼言うくらい普通だろ」
彼はケラケラと笑う。
久しぶりにチヨ以外の人と話したので藍も無償に嬉しくなってなんとなく顔がにやける。
「そういや、もう一人の男はどうした?」
「今は大阪に行ってていません。医学の勉強とかなんとかで」
「へぇ。じゃあ今はあのお医者と二人だけってか?」
藍は頷く。
それを見て原田はにやりと怪しげに笑う。
「じゃあ今から挨拶にでも行くか。あのお医者、俺の好みなんだよ」
「なっ……困りますよ。それにチヨさんは毎日診察で忙しいんです」
藍は表情を一変させ不快感をみせ、慌てて断った。仮にも女しかいない家なのだ。妙なことがあっても困る。
「オイオイ、そんなトゲトゲすんなよ。それとも何か。あんたは先の時代から来てあいつら以外に友達いないから俺に取られたくないのか?」
彼は相変わらず悪戯っ子のように冗談を言って笑う。
一方、突然友達がいないことを指摘され藍は顔が熱くなるのがわかった。ナイーブな今の彼女には禁句だ。藍は手が出そうになるのを必死に堪えて、作り笑いをする。
「関係ありません。急用思い出したんで帰りますね」
相手は侍だと自分に言い聞かせて奥歯が砕けるのではないかと思うほど噛み締めながら原田の横をすり抜ける。
「なんだ。本当に友達いないのか」
原田は最初からかうように彼女の後ろ姿を笑って見送っていたが、無視してずんずんと遠ざかる背中に頭を掻いて顔をしかめる。
彼は早足で藍を追いかけ横に並ぶと、彼女はまた作り笑いをした。
「なんですか」
「あのな……目が笑ってないんだよ。怖い女だなァ……」
「それだけのために追いかけてきたなら二度と話しかけないでください」




