決意の日 3
「初めは親父に反対したよ。俺は医者に興味ないって。何より大変そうだってのは親父見ていて感じていたからね。でもやりたいこともないくせに反論するなって怒鳴られた。親父はよっぽど俺を医者にさせたかったみたいだね。ましてやこの不景気なご時世だし、反発して路頭に迷う気かって言われたんだ。ニートになんかなろうものなら追い出してやるとまで言われたよ。確かに偏差値も高かったし、就職に困らないだろうしってなんとなしに思ってたら結局はこうさ。入ってまだ少しだったけど、失敗したかなって正直思った。授業は多いし、勉強ばっかりでそこまで医者になりたくなかったから楽しくなくてさ」
藍は一通り聞いて、自分とは程遠い世界の話なのではないかという感覚を覚えた。それこそ未来から幕末に来るくらいの遠さを感じた。そして同時に、彼に少し同情する。
藍には特に夢がない。それは祐樹も同じなのだ。だが祐樹は知らないうちに他人に道を決められ医者になるというレールに乗っていた。
「この時代にきて思ったんだ。競うものや虚栄心が必要ないってなんて楽なんだろうって。勿論俺達にはわからない競争や虚栄心はあるんだろうけどさ。そうだとしても美味しいお菓子もあるし、怖いけど武士もいる。未来では壊された建物もここには沢山ある。見るものが全て新鮮なんだ。なのになんでわざわざ特別やりたかったわけでもない医学に接しないといけないんだろうって考えちゃったんだ。そりゃ松本良順には会ってみたいけどね」
祐樹は置かれた串団子を手にとり口に頬張る。それから苦笑いして小さいため息をつく。
「あーあ、言っちまった。ただの愚痴なんだけどさ。こんなこと聞かせて悪いね」
藍は首を横に振り、少し黙ってそれから頷いた。
「あのさ。今だから言えるけどあのおじさん……田中さんの所にいる時、祐樹くんのこと、『この人なんて人なんだ』って思ったの。医者になって人を救う気がない人なのかって。私のおばあちゃんが、ちょっと前……と言っても、こっちに来る前だけど、死んじゃったの。多分寿命だったんだろうけど、担当していた医者がすごく態度が悪くてね。心ない言葉でおばあちゃんが傷つけられて家族全員で怒ってた。すごく嫌な気分になったの。それを思い出してた」
藍は彼と出会った時、そして京都に来るきっかけになった出来事を思い出す。続けて彼女は口を開く。
「でも今は違う。医者も、その学生も色々な事情や感情があるんだってことがわかった。もしかしたらその担当していた先生も辛いことや嫌なことがあったのかもしれない。でもね、やっぱり、もしも私達が元の時代に戻れたとして、この先祐樹くんが医者になったとして、医者として、私達みたいな人をなるべく出してほしくない」
藍は真剣な目をして彼にそう伝える。祐樹もただ黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「ここでの色々な体験は悪いことではないんじゃないかって思うの。医療に対する見方も変わるかもしれない。行くだけ行ってみて、やるだけやってみて、辞めたかったら辞めるってどう? 大阪でも歴史は見れるだろうし、お試し体験的な感じで言えばわかってくれるんじゃないかな」
あまり普段見せないような瞳で語った後に、我に返ったように照れて笑い、彼女は「以上です」と付け加える。祐樹はそれを聞きながらお茶をすする。もぐもぐと残った団子を口にして、しばし無言で何か考えている。
「そうか……体験か……」
彼は口の中に残る団子を噛みしめながら串を見つめる。
「よし。ありがとう、わかった。行ってみるよ」
ごくりと団子をお茶で流し込み彼は決意を言葉にした。
藍もそれがいいよと笑顔になると目の前のお茶を飲み干した。
だが祐樹は真面目な顔をして次の言葉を放った。
「でもその前にやりたいことがあるんだ――」
――翌日、祐樹は荷物をまとめ京を去った。
チヨは松本さんによろしくとだけ言って地図をくれた。忙しそうに診察をしていて、見送りはしなかった。
藍がただ一人、その後ろ姿を見送った。どこか心細くなったのは言うまでもなかったが、彼女には使命があった。祐樹から渡された手紙を彼女は握りしめた。




