秘密の日 3
「祐樹くんに、藍くん。今日はわざわざありがとう」
祐樹と藍は福沢諭吉に出迎えられ、冷たい麦茶を飲みながら一息ついていた。
なんとなく福沢のもとで休み、既に約一時間はいる。一時間というのも、福沢のところへ来てから鐘が二つ目を告げたのをきいたからだ。一つで約三十分であることを彼らは学んでいた。
「今は攘夷だのなんだので、危なくてな。あまり下手に出歩けないんだ。助かったよ」
一万円にかいてある顔からは想像ができないような笑顔をみせる。彼らの知ってる福沢諭吉よりも大分若く、印象としては、おじさんというよりかはどこか青年らしいところがあった。
よく考えればあの一万円札の人にも若かりし頃があるのは普通であるが、どことなく知った顔だけに違和感がある。
しかし予想外な柔和な表情に親しみを感じて祐樹は先程から質問を繰り返している。
「福沢さんは医学の知識があるんですか」
「ないこともないが、私の専門は海外の学だな。洋学の塾を江戸で開いた。エングリッシュを学ぶためにこないだメリケン国にも行ってきた。あの国は凄い。私達に足りないものを持っている」
聞くと三年前の一九六一年から一年間、幕府の遣外使節の付き添いとして欧米を訪れたらしい。
江戸で開いた塾が後の慶應義塾へと発展するのを今の彼が知る由もないが、この時代には明治時代以降、著名になる人物が既に陰で才を現している。
幕末という激動の時代には多くの人物が行き来するためこうした人物にスポットが当たることは少ない。しかしこの時代があってこその後の彼らなのである。
「どうかね。今夜おチヨさんも誘ってみんなで食事にでもいかないか」
福沢は言った。祐樹と藍が勝手に決められることではない。二人は顔を合わせアイコンタクトをとるが、祐樹は正直まだ色々と話しをしてみたかった。
「チヨさんに聞かないとわからないです」
藍は言う。しかし続くようにして祐樹も口を開く。
「私はもう少し福沢さんと話しがしたいです」
福沢は目を丸く開いて微かに口元だけ笑みを作る。腰を上げると何やら身仕度を始めた。
「わざわざ来てもらって申し訳ないが今からチヨさんに会いにいって直接話しをしよう」
祐樹と藍は了承して立ち上がり、自分達も荷物を手に取る。
「三条辺りから、行こう。スーバニアを買っていきたい」
「スーバニア?」
「手土産のことを英語でいうんだよ」
祐樹の横で、藍はこの時代では珍しい横文字に首を捻った。つい祐樹は口を挟みそうになったのをぐっとこらえた。この国で英語の知識を披露するわけにはいかない。
英語の癖がついているのは確かに少ないがこの時代彼だけでないだろう。有名なところではジョン万次郎や勝海舟。後々には坂本も英語の勉学を始めるのだ。
それから刻々と時間は過ぎていった。目当てのスーバニアはねじり菓子だった。意外なことに祐樹の好物がチヨの好物でもあったようだ。
それからと、三条でついでに行き着けと思われる店に福沢は入り、半時(今で言う一時間)くらいしたらまたくるからと告げていた。どうやらここが夕飯処となるそうだ。
四条までは会話していればあっという間だった。
診察中だったチヨはひょこりと現れた福沢をみて、少し驚いた顔をしてから軽く頭を下げた。一人診終わると夕飯の件について聞き、すんなりと了承した。彼女はまだ患者は十人くらいはいるので、先に行っててくれと告げる。スーバニアを手渡され、チヨの顔に一瞬笑みが浮かび、奥に行ってそっとその包みを置いていた。
いったん別れ、また来た道を戻る。着く頃には京都料理が並べてあった。食べて飲んでいるとしばらくしてチヨも合流した。
しかし、その陰では彼らが予想だにしないことが進んでいたのだった。




