傭兵はどこから来たのかな
北イタリアの地図をあとがきに再掲します
1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 ジャン=ステラ
広場の真ん中に座っているサルマトリオ男爵が、怪訝そうに僕の方を見ている。はぁ、と溜息をついたあと、さらに言い募ろうとする。
「いえ、ジャン=ステラ様が私の話に耳を傾けていただければ、イシドロスが黒幕だと」
「いや、もう結構」
溜息をつかれるのも腹が立つし、同じことを何度も聞きたくない。そもそもサルマトリオ男爵がここにいるのは、イシドロスの話をしたいからではなく、サルマトリオ男爵の反乱嫌疑のためなのだ。
さあ、原点に立ち返ろう。
「そもそも、この場はサルマトリオ男爵の反乱容疑に対する処分を言い渡す場なんだ。イシドロスの事はどうでもいい」
「チッ」
サルマトリオ男爵の舌打ちが僕の耳に届く。お母さまにも聞こえたみたいで、渋面が深くなっている。
ーー さっきの溜息といい、舌打ちといい、態度悪いよね。なぜわざわざ心証を悪くするように行動するんだろう
お母さまは何か言いたげだが我慢している。この場は僕に任せてくれるみたい。お母さまに小さく頷き、サルマトリオ男爵の査問を開始した。
「さて、サルマトリオ男爵。2点聞きたいことがある。申し開きがあれば言いなさい」
「はい、なんなりとお聞きください。ありのままお答えいたします」
サルマトリオ男爵は気持ちを切り替えたらしく、イイ笑顔を僕に投げかけてくる。さきほどの溜息と舌打ちが嘘みたい。
ーー 最初っから誠実そうな態度をとっていたら、騙されていたかもね。
「謀反したと疑われていることは認識している?」
「もちろんです。だからこそ城を出てこの修道院まで申し開きのためにやってきたのです」
「その割にはイシドロスの批判ばかりしていたよね。でも、それはもういいや。ではサルマトリオ男爵に教えてもらおうか。知っての通りお母さまと僕は傭兵に襲われました。サルマトリオ男爵の領地でね。
お母さまと僕が訪れる事は事前連絡してあったのに襲撃されたのは、サルマトリオ男爵が謀反していたからではないのですか」
「領内に流れ者の傭兵が侵入してきた事を事前に察知することができなかった事は誠に遺憾でした。その結果、アデライデ様、ジャン=ステラ様が流れ者に襲われる事になってしまった事についてお悔やみ申し上げます。しかしさすがアデライデ様ですな、いとも簡単に傭兵を撃退したと聞きました。さすが武名高かった先代トリノ辺境伯オルデリーコ様の御息女だと、臣下として誇りに思っております」
サルマトリオ男爵がお母さまの方に笑顔をむけ、調子のよい事を言う。
なあに、その答え方は。煽てておけば煙に巻けるとでも思ってるの? 僕も馬鹿にされたものだね。
「お母さまを褒めてくれてありがとう。まずは1点。傭兵に襲われたことは把握しているのね。では次。サルマトリオ男爵は傭兵を雇って入れていましたね」
「ええ、その通りです」
「雇い入れたのはなぜ?」
「もちろん自分の領地を守るためです。トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世の戦争が一段落したという情報を聞きました。戦争が終わり失業した傭兵が北イタリアに流れてくることを警戒したからに外なりません」
この間までイタリア中部ではホノリウス2世とアレクサンデル2世の2人が、ローマ教皇の位を巡って争いを繰り返していた。これはホノリウス2世を支持する神聖ローマ帝国とアレクサンデル2世を推すゴットフリート3世の代理戦争みたいなものだったが、結果的にゴットフリート3世が戦争で勝利を収め、アレクサンデル2世がローマ教皇となった。そして戦争が終わり不要となった傭兵が次の戦場を求めて各地に散っていく。その情報を得ていれば、流れ者の傭兵を警戒するのは当然だといえる。
「確かに流れ者の傭兵に対する警戒は必要だろうね。放置しておくと山賊になるしね」
「ええ、ジャン=ステラ様のおっしゃる通り。ですから傭兵を雇い入れたのです」
「うん。そして雇い入れた傭兵に僕達を襲わせた、と」
「めっそうもございません、主君たるアデライデ様を襲わせるために傭兵を雇い入れる事なぞ、神に誓ってありません。それ以上はジャン=ステラ様といえど、侮辱がすぎますぞ」
「そう? それでも不自然なんだよ。 なぜ傭兵が中部イタリアから戦争がないトリノ近郊に流れてくるのさ。傭兵なら戦場がある所を目指すでしょう?」
「さあ、傭兵などという平民の考えなど貴族たる私が理解できるとは思えませんな」
「そうだね。第二にトリノ辺境伯の領土を超えてさらに先に進もうとするとアルプス山脈が行く手を阻むんだよ。辺境伯家が警備している峠を超えようと思う馬鹿はいないだろうね」
「ふんっ。それは傭兵が愚かだっただけでしょう」
サルマトリオ男爵の口調が乱暴なものになってきた。顔からは余裕が減ってきたように感じる。苛立たし気に足が小刻みに揺れている。
「第三に、トリノ辺境伯の直轄領では傭兵の出現は報告されていなかった」
ですよね、とお母さまに確認をとると、「ええ、確認されていません」と大きく頷いてくれた。
「それは恐れ入りますが、単に見落としていただけでしょう。なにごとも全て完璧にとはいかないものです」
「そう、完璧にとはいかないよね。なにせサルマトリオ男爵が城に集めていた傭兵が来た事もわからなかったからね」
「ええ、そうでしょうとも、そうでしょうとも」
してやったりとばかりにサルマトリオ男爵がにっこりとほほ笑む。勝った!とでも思っているのだろう。
「つまり、トリノ辺境伯の直轄領を通ることなく傭兵を集めたんだよね。つまり南東側、サボナかジェノバで傭兵を集めた、と」
サルマトリオ男爵領の北はトリノの町、西はアルプス山脈、そして南側はアルベンガ離宮があるトリノ辺境伯直轄地である。そして東はモンフェッラート侯爵領。仲の良いモンフェッラート侯爵から傭兵に関する報告は来ていない。一番警戒が薄い地中海に面する南東側から傭兵を密かに雇い入れた可能性が一番高いだろう。
「それがどうかされましたか。どこに問題があるのでしょう」
「つまり、わざわざ僕たちに知られないように集めたという事だよね。では、何のためこっそりと傭兵を集めたの? 僕とお母さまを襲撃するため、と疑われても仕方ないよね」
「めっそうもございません! 先ほどから何度も申し上げているように、アデライデ様に逆らう事なぞ全く考えておりません。だからこそ、こうして身一つで御前に出向いたのではないですか。私の赤心をお疑いになるのですか」
ーー 口だけなら何とでもいえるよねぇ
おもわずぼそっと呟いてしまったけど、仕方ないよね。
「ジャン=ステラ様、私を侮辱なさるのですか!」
サルマトリオ男爵が顔を赤くして大声を出す。でもそんなの知らない。さっき舌打ちしたことも、ため息ついたことも僕は覚えているよ。
「ん? 僕は何もいっていませんよ。ね、お母さま」
「え、ええ。私は何も聞いておりませんよ」
僕はすっとぼけ、侮辱の言葉を口にしていないとお母さまに確認する。話をふられると思っていなかったのか、お母さまはちょっと驚きながらも、同意してくれた。 でもね、おかあさま、今にも吹き出しそうですよ。いろいろと鬱屈する思いがあるのでしょうけど、もうちょっと我慢してくださいね。
ふぅ、と大きく息を吐き出し後、次の言葉を切り出した。
「このままでは埒があきませんよね。サルマトリオ男爵は謀反していないと主張するけど、証明するものがない。では、僕たちを襲った傭兵の頭に直接話を聞いてみましょうか」
「そ、それには及びませぬぞ。そもそも平民の言葉に耳を貸すのですか! 私と平民を同列に扱うということですぞ、なんという侮辱か」
サルマトリオ男爵がものすごい勢いで捲し立てている。
「あのさぁ、サルマトリオ男爵。そういうけど証拠がないんだよ」
「証拠ならありますとも!」
「どこに?」
「私の言葉こそが証拠です」
自信たっぷりに胸を反らせたサルマトリオ男爵が言い切った。
ーー あなたの言葉なんか信じられるわけないでしょう?
どこからそんな自信が湧き出てくるのだろう。頭をかち割って中身を調べてみたい衝動にかられてしまう。
「なるほどなるほど、平民よりも上位者であるサルマトリオ男爵の言葉が正しいと」
「それがこの世の道理です!」
「上位者の言うことには従わないといけないよね」
「その通り!」
「じゃぁ、サルマトリオ男爵は謀反人だね」
「どうしてそうなるのです!」
「だって、男爵よりも伯爵である僕の方が上位者だよ。上位者の言うことには従うんでしょ?」
「そんな理不尽がまかり通っていいとお思いですか?」
「いいや、これっぽっちも思っていない。だから傭兵に話を聞くんだよ。傭兵に話を聞いたら、もしかしたら謀反の疑いが晴れるかもしれないんだよ。それでも話を聞くことに反対しますか?」
僕は出来るだけいい笑顔で、サルマトリオ男爵を諭すように語りかけた。対照的にサルマトリオ男爵は苦虫をかみつぶしたような顔で僕を睨んでくるが、そんなのもう気にしない。
「お母さまもこれでいいですよね」
「うーん。まぁ、サルマトリオ男爵も言葉がないみたいだし、良しとしますか」
あれ? お母さまも平民から話を聞くことに躊躇いがあるのかな。ちょっと歯切れがわるいけど、同意してくれた事だし、ちゃっちゃと話を聞く事にしよう。
「それでは、傭兵の頭に質問します。嘘偽りなく答えてくださいね」




