超・免罪符
1063年8月上旬 ドイツ シュヴァーベン大公領 ラインフェルデン ジャン=ステラ
「なあに簡単さ。『天国に行けるよう聖ペテロにお願いします』って書けばいい」
「なっ」
思わず絶句した。いや、絶句せざるをえないよね。
目を見開いてピエトロお兄ちゃんをまじまじと見つめてしまう。
「ピエトロお兄ちゃん、正気ですか?」
「俺はそれほど変な事を言っているつもりはないんだけどなぁ」
思わず素で問いかけてしまった僕に対し、お兄ちゃんが苦笑を返してきた。
だけど、お兄ちゃんの正気を疑った僕は決して間違っていない。
それほどまでも、お兄ちゃんのアイデアがひどい。酷すぎるもの。少しは反省してもらいたいのに、お兄ちゃんはどこが悪いのか、ぜーんぜん分かっていない。
「天国に行けるよう聖ペテロにお願いします」、だなんて言語道断。宗教改革の原因となった免罪符をかるーく超越しちゃってるじゃない。
免罪符1枚につき、罪を一つ免除する。たったそれだけの効果しかないのに、どれだけの人が購入したことか。
それが、羊皮紙一枚だけで、罪を免ぜられるどころか天国へいけちゃうんだよ。一体、免罪符何枚分の効力を持ってるのやら。
悪人であればあるほど、お得なこの一品。これを手に入れれば如何なる悪事に手を染めようとも、天国へいけるのだから、悪い事をし放題ってことじゃない。
もちろん、こんな眉唾ものを信じて買う人は少ないだろう。
しかし、教皇庁において預言者であることを真面目に審議されている僕が、こんな天国行き片道切符を発行してしまうのは超絶にまずい。
11世紀にカトリックとプロテスタントの争いみたいな宗教戦争が勃発しかねない。ジャン=ステラ派と反ジャン=ステラ派に分かれた血で血を洗う争い。そんな争いの中心になんて、僕はなりたくないもの。
だからこそ、首をぶんぶんと左右に振ってお兄ちゃんのアイデアを否定する。
「さすがにその案は無理。ぜったいに無理。採用できません」
戦争のことが頭に浮かんでしまった僕の声は、自覚できるほどに震えている。
「そうは言うがな、ジャン=ステラ。それが羊皮紙に高い値段をつける一番簡単な方法だと俺は思うぞ」
「確かに買ってくれる人はいるかもしれませんが、その案は却下です、却下。そもそも聖ペテロにお願いできるかもわからないんですよ。それに、聖ペテロが僕のお願いを聞いてくれるとも限りませんよね」
そもそも中世イタリアに生まれ変わった時だって、誰にも会わなかったのだ。死後に聖ペテロに会えるかどうか、僕には分からない。
たとえ会えたとしても、当然だけど天国行きは確約できない。そもそも、こんな破廉恥なお願いをした時点で、僕自身が聖ペテロから地獄行きを宣告されそうだもん。
そんなのは嫌だ。
早口で捲し立てた僕に対して、お兄ちゃんが衝撃の事実を僕に投げつけてきた。
「お前はすでに何人もの家臣に天国行きを確約しているじゃないか。羊皮紙に同じ事をちょいちょいと書くなんて、今更の話だとしか思えないぞ」
「え゛、なんのことですか?」
「お前の護衛、グイドから話は聞いているぞ」
ピエトロお兄ちゃんがグイドから聞いたというのは、僕の味方をした戦争で亡くなった兵士は天国行きが確約されてる、という与太話。
僕が実際に言った言葉は次の一文だけ。
『僕の戦争で亡くなってしまった人は、儀式の最後まで僕が責任をもつことを約束します』
責任をもって葬式を行い、手厚く葬るからね、という意味での発言だったんだよ。
それなのに「最後の儀式」が「最後の審判」だと受け止められてしまったのだ。
世界が終焉を迎えた後に行われる最後の審判。家臣たちが聖ペテロに名前を呼んでもらえるよう僕がお願いすることになっていた。
周りの盛り上がりが激しすぎて否定できなかった事が、巡り巡ってお兄ちゃんの発想の元になってしまっていたとは、なんたることだろうか。
そのことに思い至った僕の口から大きなため息が溢れてくるし、肩もがっくりと落ちてしまう。
「そうですね。お兄ちゃんの言う通り、僕の蒔いた種だったかもしれません。でもね、でもですよ。どうしてそれがお金になると思ったんですか?」
洋の東西を問わず、味方のために死んだ人を厚く弔うのは当たり前だと思う。
しかしながら、そこから飛躍して、天国行きを「お金で売る」という発想に至るのは難しいんじゃないだろうか。
それに、そもそもキリスト教はお金儲けを推奨しているとは言い難い。
昔のことになるが、司教のアイモーネ兄ちゃんに、お金儲けは悪徳だ、と説教されちゃったほどだもの。
僕と同じ教育を受けたピエトロお兄ちゃんが、宗教とお金儲けを結びつけるアイデアを良しとするとは思えないのだ。
どこからそういう着想を得たのか、ちょっと気になる。
(もしかしてピエトロお兄ちゃんも、アデライデお母様と一緒にお金儲けをしているのかな?)
お兄ちゃんだってお母様と同格のトリノ辺境伯だもの。僕以上にいろいろな事に手を出していても不思議ではない。
その中には宗教がらみの裏仕事もあったりするのかも。綺麗事だけでは国を治められないものね。
「おいおい、ジャン=ステラ。無自覚なのか?」
ピエトロお兄ちゃんが呆れたように、僕を見つめてくる。
「そんな事ありませんよ。宗教をお金と結びつけると危ないって僕は知っていますもの」
「だがな、宗教とお金を結びつけるアイデアは俺のものじゃない。ジャン=ステラ、お前が原因なんだぞ」




