馬上のクロスボウ
1063年5月下旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ
最後の審判の件で、ニコラス達が大いに盛り上がっている。
「この吉報を、修道院まで届けてきます」
ニコラスの弟子の一人が、走り去っていくのが視界に入ってきた。
あぁ、頭が痛い。
戦争の死者を弔うつもりが、なぜか天国行きを保証することになっちゃった。
そもそも、どうやって天国行きをお願いすればいいのかな?
最期の審判の日、初代ローマ教皇の聖ペテロから名前を呼んでもらったら天国に行けるらしい。それはアイモーネお兄ちゃんから教えてもらった。
「ジャン=ステラくん、君は天国行きだ。おめでとう」
とでも言ってもらえるのだろうか。
もしそうなら、話は早い。及ばずながら、天国の門を守護している聖ペテロに話しかけてみる努力はするよ。
でもね。
僕は一度死んで転生しているはずなんだけど、聖ペテロに会っていないんだよね。
枢機卿のイルデブラントに言わせれば、僕は天使の生まれ変わりらしい。そのため、ジャン=ステラとして転生した時、聖ペテロに会っていなくても不思議ではないらしい。
あくまで聖ペテロは人間の死者を相手にする存在なんだって。つまり天使は管轄外らしい。
前世で死んだ時、僕ってば人間の枠に入っていなかったことになる。もう過ぎたことだからそれはいいとしても、転生した今は人間なのだろうか。
そこがよくわからない。
人間枠か、天使枠か。
いやいや、そもそもキリスト教なのかな。
八百万の神様扱いの神道だったり、輪廻転生しちゃう仏教だったとしても驚かないよ、僕は。
「はぁ」
考えが堂々めぐりしちゃっている。大きな溜息をついて、それから深呼吸した。
気持ちを切り替えなきゃね。
考えても答えが出ない事を、うじうじ悩んでいても仕方ないもの。
自分が死んだ後の事なんて分からない。
もし、聖ペテロに会えたらなら、責任もってお願いすることにしよう。
うん、そう決めた。
死後の世界のことは、ぽーい、と放り投げ、今の僕にできることに集中する。それでいい。
思考の世界から戻ってきたら、ちょうど目の前でティーノとグイドが怒られていた。
「護衛を放棄するとはなにごとか! 常にジャン=ステラ様の周囲から目を離すな」
ご老体ロベルトの怒声が辺り一体に響いてる。うひぃ、めっちゃ怒ってる。
僕が天国行きを保証する事になっちゃった時、ティーノとグイドは両膝をついて僕に祈りを捧げていた。
たしかに、二人とも護衛を放棄しちゃっていたものね。ロベルトにたーんと叱られるといいよ。
「未だジャン=ステラ様は、ご自身の身を守れないのだぞ。その事を忘れるな!」
その言葉で、ロベルトの叱責もようやく終わりを迎えた。でもね……。
(ぐはぁ)
ロベルトの言葉は、僕にもクリティカルヒット!
馬にも乗れるようになったし、補助具のお陰で馬上槍も使えるようになった。
自分の身を自分で守れるようにするための訓練の成果が出てきたと思ったんだけどなぁ。
ちょっと自信がついてきたと思ったら、粉砕されちゃった。こりゃ、まいったね。
そして、修道士のニコラスも、僕の自信を砕くべく追撃してきた。
「ロベルト様、たしかにジャン=ステラ様がご自身で身を守れないのは問題です。守りの硬い鎧を新調するのは当然として、問題はランスの長さですね」
攻撃は最大の防御なりって言う言葉が、ランスには見事に当てはまる。
先にランスを敵に突き刺した方が基本勝つ。
突き刺された方は、馬上でバランスを崩してしまうから、相手に突き刺し返す力は残らないのだ。
ひるがえって、僕の筋力で使えるのは子ども用の短いランス。つまり、敵のランスが先に僕に突き刺さってしまう。
「補助具を作ってもらったけど、まったく意味なかったね……」
ガックリと肩を落とした僕に、慰めの言葉をかけてくれたのはティーノだった。
「そんな事はありませんぜ、ジャン=ステラ様。俺のランスはより長く、より強くなれるのです。ジャン=ステラ様を守る力が強くなりますよ!」
「まぁ、そうだけどね」
でも、僕自身の強さはあまり変わらなかった。
そもそも体が大きくならないと長いランスは使えない。
(あーあ、一瞬で大人の体に変身する魔法があったらよかったのに)
「ジャン=ステラ様、ランスにこだわらなければ一騎打ちに強くなれる手はありますよ。クロスボウなんていかがでしょう?」
ランスがダメなら、クロスボウでいいじゃない。ニコラスがそんな言葉とともに、クロスボウを差し出してきた。
そういえばランスを支える補助具と一緒に、クロスボウも持ってきてたね。
「こちら、ジャン=ステラ様用のクロスボウを、馬上で使えるように改良いたしました」
「馬に乗って使えるって、どこを改良したの?」
グイド経由で改良クロスボウを受け取り、どこが変わったのかをニコラスに聞いてみた。
「2点あります。まずは、弦を引くための足場の形を変えました」
改良前クロスボウの先端に取り付けてある金具は、足を入れて踏ん張りやすいようロの字型をしていた。その金具から1辺が無くなりコの字型になっている。
ロの字型に比べると強度は落ちそうだし、下手に踏んづけると金具が歪んでしまそう。でも、それはニコラスもわかっているみたいで、コの字型の金具は肉厚になっていた。
「以前のクロスボウの金具では、あぶみが邪魔して弦を引けませんでした。しかし、一辺を切り取ったこの形にすることで、馬上でも右足の真ん中辺りにはめる事ができるのです」
馬上では、つま先があぶみに乗っている。そのため、ロの字型の金具では、あぶみが邪魔になって足を金具内に入れられなかった。
それを、馬上でも背筋と足の筋肉を使ってクロスボウの弦を引けるよう、ニコラスは改良してくれたのだ。
なるほどね。これまではクロスボウを馬上で使おうとしたら、両手で引っ張るしかなかった。それが、この改良版クロスボウなら筋力の弱い僕でも、馬上でクロスボウが使えそう。
「うん、なかなか良いね。それで改良の2点目は?」
「はい、ランスの代わりになるよう、ボルトの飛距離を犠牲にし、短い距離での威力を強化しました」
ニコラスによると、ティードが使っている長いランスの2倍くらいの距離で一番威力がでるよう、ボルトの重さや矢羽、弦の強さを調整したのだとか。
「このクロスボウは、ボルトを遠くまで飛ばせません。しかし、どれほど長いランスよりも先に、敵を貫けるのです。そう、ティーノ様のやたら長いランスよりも先に」
ニコラスが誇らしげな顔を浮かべ、改良クロスボウ最強って言い切った。だけど最後に、ティーノの方をちらっと見るのは余計だったんじゃないかなぁ。
それはさておき、確かにニコラスの言う通りだよね。長いランスの方が有利なのは間違いない。そして改良クロスボウは、ある意味ランスの穂先だけを打ち出すようなもの。ランスの柄の長さから解放されると思えば、これはこれであり?
「相手の穂先が届くより先に、ボルトを相手にぶつければ僕の勝ち、ってことだよね」
「はい、その通りです、ジャン=ステラ様」
改良クロスボウが認められたと思ったのか、ニコラスが嬉しそう。
「でもさ、ニコラス。ランスチャージって、馬を全力疾走させるよね」
「はい、それが何か?」
「走っている馬ってすごい揺れるんだけど、クロスボウのボルトって当たるのかな?」
「そこは、そうですね。ジャン=ステラ様の訓練次第ではないでしょうか」
「えー、訓練するのぉ?」
クロスボウって訓練がいらない事が売りの武器だよね。
馬上での扱いとはいえ、そのクロスボウの訓練をするのはなんか嫌だなぁ。
「ジャン=ステラ様が成長なさり、長いランスを扱えるようになるよりも、クロスボウを練習する方が早いと思われますよ」
ニコラスが聞き分けのない子供を諭すような口調で、正論を僕にぶつけてくる。
たしかに、体が成長するまで待っていられないんだよね。
マティルデお姉ちゃんを迎えに行く期限は1065年の8月。
あと2年3か月しかなくて、その時でも僕はまだ11歳。前世だったら小学校5年生だもん。
「そうだねぇ、仕方ないから練習しようか」
「ジャン=ステラ様、すこしお待ちください」
諦めてクロスボウを練習しようかなと思った所で、ティーノから横槍が入った。
「馬上槍試合でクロスボウを使うのは、卑怯だと言われませんか? そのような不名誉を主人に負わすわけにはいきません」
ティーノは僕がクロスボウを使うことに反対らしい。馬上槍試合だからランスを使うべきだと言われると、たしかにそんな気がする。
ただ、ニコラスの方をチラッと見ながら言うのはやめてほしいなぁ。なんだか二人の仲が心配になっちゃうよ。
この場で一番年上のロベルトも同意見らしい。
「馬上槍試合に、ランスを使うというルールはありません。剣や斧で戦うものもおりました。しかし、クロスボウを使うものを見たことはありません」
そっかぁ。
馬上槍試合って、名誉と命をかけたゲームだもんね。クロスボウの使用がずるいって言われるのもわかる。
でもね、僕はやっぱりクロスボウを使おうと思う。
「みんな、意見をありがとう。ロベルトやティーノの言うように、馬上槍試合でクロスボウを使うのはやめておくね」
そこまで言って、みんなを見る。
ティーノが嬉しそうで、ニコラスはちょっと悲しそう。ロベルトは無表情。
「でも、戦場ではこのクロスボウを使います」
「「ジャン=ステラ様っ!」」
驚くティーノの声と、嬉しそうなニコラスの声とが重なった。
僕は二人の発言を手でとめる。
今さっき言ったことと違いますって言いたいんでしょ。だけど、もうすこし黙って聞いて欲しい。
「馬上槍試合はゲームだけど、戦場は命のやりとりだもの。僕が使う短いランスよりも、ニコラスの改良クロスボウの方が強いでしょ? そして、強い方が生き残れるもの。僕はまだ死にたくないからね」
「ですが!名誉というものが」、とティーノはなおも食い下がってくる。
「うん。名誉も大切。だからクロスボウを使わなくてすむよう、僕を守ってね」
馬上槍試合で使う武器は、ランスに限らないとロベルトも言っていた。
だったら、僕の武器は、ランスでもクロスボウでもなく、ティーノでもいいんじゃない?
ティーノは先陣を切って突撃するって言っているんだもの。馬上槍試合は無理でも、戦場における僕の武器は、ティーノって事にしておこう。
「そうだね、ティーノが僕のランスになればいいんじゃない?」
ちょっとイタズラっぽく、しかし期待を込めた笑顔を、僕はティーノに向ける。
「は?」
うーん、ティーノには分かってもらえなかったみたい。
「だって、戦場ではティーノが先陣を切って突撃するんでしょう? だったらティーノが僕のランスって言ってもいいでしょう?」
うん、今決めた。
「ということで、君を僕のランスに任命するよ。槍のティーノ、今後の活躍を期待します」
これだけ煽てておけば、僕がクロスボウを使っても文句言わないよね。ついでに、ティーノとニコラスが仲良くなってくれたらいいのにな。
「うんうん」と、うなづいていたら、ティーノが僕の前に両膝をついた。
「我が剣はあなたと共に。我が勇気はあなたのために」
突然でびっくりしたけど、ティーノが僕に忠誠を宣誓してきた事は理解した。
ティーノはいつになく真剣で、期待のこもった熱い目線で僕を見上げてくる。
我が槍ではなく、我が剣なのはなんで?とか突っ込んでみたいけど、そんな雰囲気じゃない。ここは空気を読んで、僕も芝居がかった言葉を使わなきゃ。
「ティーノよ。我が槍となりて、我がいく手を遮るものを打ち砕け。我は汝の忠誠を受け止めるに相応しい主人たらんとここに誓おう」
■■■ 嫁盗り期限まであと2年3か月 ■■■




