扉の前でまた会おう
1063年5月下旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ
「ジャン=ステラ様、補助具を作成するのはティーノ様だけでよろしいですか」
ランスの重みを支える補助具をティーノにも作るようお願いしたら、ニコラスから何個作るか聞き返された。
「そうだねぇ。ロベルトとグイドにも作ってもらえるかな。あとは、お母様とピエトロ兄様、アメーデオ兄様の分もお願い」
いい道具ができたことだし、お母様達にも使ってもらいたいよね。
「アデライデ様の分もですか?」
ニコラスが不思議そうな顔をする。
「女性であっても、お母様はトリノの旗頭だもの。ピエトロお兄様が戦場に出る時、トリノを守るのはアデライデお母様なんだよ」
サルマトリオ男爵の反乱騒ぎの時だって、鎧を着込んだお母様が傭兵部隊に騎馬突撃している。
「し、失礼いたしました。アデライデ様の分も作らせていただきます」
「気にしないで、ニコラス。お母様が戦場に出なくて済むよう、僕たち兄弟が頑張るべきだもの」
お母様にとって、僕たち兄弟はまだまだ頼りないんだと思う。
お母様が突撃した時の僕は、疾走する馬車の中で揺れに耐えていた無力な存在だったもの。お母様にとって僕は守るべき存在だった。
オッドーネお父様みたいに頼ってもらえるのはいつになるのかなぁ。
思わずため息が口からもれちゃいそう。
「とはいってもね、ニコラス。今後はお母様が戦場に出ることはないと思うよ」
今の僕は騎乗できるようになったから、お母様の代わりに戦場に出陣できる。
ニコラスを安心させようと、お母様の代わりに僕が軍を率いることを告げた。
(戦場に出るのは嫌だけど、お母様が戦場に出るのはもっと嫌だもん)
にこっと笑いかけたら、ニコラスがすごく不安そうな顔になった。
「ジャン=ステラ様が戦場に赴くのですか」
「そうだよ。僕だって男の子だからね。敵陣にランスチャージだってしちゃうかもよ」
最後の方はちょっとおどけた感じで胸を張ってみた。
僕だって不安だけど、それを表に出しちゃだめだよね。
そうじゃないと、お母様が僕の代わりに出陣しかねないもの。
「ジャン=ステラ様は預言者なのですよ。聖職者として戦争から離れた場所で生きていくことはできないのですか?」
ニコラスが真剣に問いかけてくる。僕の身に万一のことがあったらどうするのかと、真摯に訴えてくる。
でも、僕の心は決まっている。
「僕は聖職者にならないよ。それは今まで何度も伝えてきたよね」
「ですが! ジャン=ステラ様は預言者ではありませんか。聖職者としての道を歩む事こそ、神の御心にかなう行いなのではありませんか」
ニコラスのいう事はよーく分かる。理屈としてはその通り。僕ではない誰かが預言者だったら、ニコラスと同じ事を言っていただろう。
でもね、それではだめなの。僕が生きている意味がなくなっちゃうから。
「ニコラス、そこまでにしておこうね。僕はマティルデお姉ちゃんと結婚するって決めてるの。聖職者になったら結婚できないでしょう」
「では、なんとか戦場に出ないで済ます事はできないのでしょうか? ジャン=ステラ様が、預言者が戦場に赴いては、世界の損失に繋がりかねません」
「うーん、僕だって出たくないけどさ。仕方ないじゃない。辺境伯家に生まれちゃったんだもん。貴族に生まれた者の義務に、僕も縛られているもの」
戦場で武功を立てなければ身を立てられないティーノからすると、僕の立場はありえないほど恵まれている。その分の義務は果たさないといけないよね。
僕なりの悲壮な覚悟を決めていたら、ティーノが素っ頓狂な声で横槍を入れてきた。
「え、ジャン=ステラ様は戦場に行きたくないのですか?」
「そんなわけあるかー!」
全否定した僕に、ティーノが食い下がってくる。
「どうしてですか? 戦場ですぞ。ジャン=ステラ様。馬上槍試合でも盛り上がるのですよ。戦場でランスチャージが決まれば、楽しいに決まっています」
そんな純粋な目で僕を不思議そうに見ないでよ。
戦争なんて嫌だっていう僕の方が間違っているみたいじゃない。
「ティーノ、戦場では死ぬ事だってあるんだよ。怖くないの?」
「怖い、ですか? このまま活躍の場がない方がよっぽど怖いのです。このままだと俺は結婚もできず、貴族でも居られないんですぜ。
それに、ジャン=ステラ様もマティルデ様との結婚のため、北イタリアに新たな戦乱の種を蒔いているではありませんか。
私と立場は違っても、戦場を作ろうとしている点では似たようなものですよね」
ティーノのその言葉に、僕は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
僕が戦争の原因になるのだと、はっきりと指摘されたのだ。
ハキハキと語るティーノからは、一切の悪意は感じられない。無口のロベルトはともかく、ニコラスや護衛のグイドからも否定の声はあがらない。
それは、ティーノの言うことが間違っていないからだろう。
(どんな答えを返せばいい?)
今の僕に、返せる答えって何だろう。
守備の隙をうかがい、カノッサ城のマティルデお姉ちゃんをさらって、結婚しちゃえば万事解決。
トスカーナ辺境伯になっちゃえば、ヒゲのゴットフリート3世はお役御免で追放できる。
その程度にしか考えていなかった。うまく行けば戦闘をせずに終わらせられる、そう思ってた。
きっと万事うまくいく。戦争になんてならない。そう信じたかったんだと思う。
だからこそ、僕が戦争の原因になるのだとティーノに改めて指摘され、大きく動揺してしまったのだ。
その場を静寂が支配する。
周りは僕の答えを待っているのだろう。僕に集中している視線が痛い。
(僕がお姉ちゃんと結婚しようとすると死人が出る)
その当たり前の事実を、意識的に遠ざけていた。
オッドーネお父様だって殺されたっていうのに。
僕だって傭兵に襲われたっていうのに。
それでも僕の中身は戦争なんて大嫌いで、身近でなくて、平和ボケした前世のまま。
でも、でもね。
戦争は避けられない。
僕が戦争をしかけなくたって、ゴットフリート3世はトリノの敵だもん。
それに諸侯だって、ティーノと同じで戦争が悪いなんて思っていない。自分の思った通りに事を進めるため、軍を使うのは当たり前。
僕だって、お姉ちゃんを嫁盗りするのに軍隊を使うつもりだもの。同じ穴の狢だよね。
今まで避けてきたけど、決断する時がきちゃったんだろう。
自分にだけ都合の良い絵空事から目を背け、現実を直視しなければならない。
口の中が乾く。のどがヒリヒリする。
「ティーノの言う通りだね。僕が騒乱の原因なんだもの。戦争が怖くて大嫌いだなんて他の人は思わないかもしれない。
それでもね、やっぱり戦争は嫌いなんだよ。人が死ぬのが嫌だから」
掠れがちな声を整えるため一呼吸おく。
「だけど、戦争が避けられないなら、犠牲が少なくなるように動こうと思うんだ。そのためにも負けないようにしたい」
「ジャン=ステラ様、負けないようにって当たり前じゃないですか? 戦場で勝とうと思っていない奴なんていませんぜ」
負けないという言葉にティーノが食いついてきた。
お前は何を言っているんだ、理解できねーぜ、みたいな感じがティーノらしくて微笑ましい。
「そうだね、ティーノの言う通り。負けようって思って戦場に立つ人なんていない。
僕が言いたいのは、戦場に行く前、戦争になる前に負けないよう準備するってこと。
ティーノだって、普段から体を鍛えているでしょう」
「おお、たしかにジャン=ステラ様の言う通りですな。毎日の鍛錬は欠かしたことないのが自慢なんですぜっ」
「ティーノは偉いね。それに鍛錬だけじゃないよ」
馬上槍の補助具とか、弦を引くための足場付きのクロスボウを作るのだってそう。
傭兵をたくさん雇うためのお金を稼ぐことだって負けない準備になる。
そして、事前に仲間を作っておく外交だって大切だ。
「そして、勝ったとしても怪我する人、亡くなる人だって出てくるから。
怪我をした人が暮らしていけるよう、残された子どもや未亡人が暮らしていけるようにしたいとも思ってる」
幸い、お金なら稼げている。無茶な数の死傷者がでなければ、なんとかなるだろう。
逆に、そのためにも死傷者がたくさんでるような戦争を避けないとね。
「最後にもう一つ。僕の戦争で亡くなってしまった人は、儀式の最後まで僕が責任をもつことを約束します」
僕のエゴで起こした戦争で死んでしまった人たちのため、せめてもの謝罪の意を込めて手厚く弔おう。
ヘタレな僕が自分の意思で戦争するなら、この位の事はしないと自分の心を守れない。だって、みんなの屍の上に築く幸せなんだもの。
(うぅ、それって本当に幸せなのかな)
中世に生きるって辛くて、苦しいね。のほほんと生きていられた前世が懐かしいなぁ。
長く話してしまった気がするけど、僕がみんなに言いたかったのは2つだけ。
・負ける戦争はしない
・そして亡くなった人たちの面倒を最後までみる
たったそれだけ。
なのに、今でも胃がぎゅぅーって絞り込まれてるみたいに痛いのはどうしてだろう。
あぁ、ストレスで胃に穴が空いちゃいそう。
「ジャン=ステラ様!」
「ニコラス、なにか意見があれば遠慮なくいってね」
困惑ぎみな護衛たちとちがって、ニコラスとその弟子たちは歓喜の表情を浮かべている。
おかしいな。さっきまで僕が戦場に行くことに難色を示していたよね。どうしてそんなに嬉しそうなの?
「ジャン=ステラ様、最後までという事は……」
「うん、最後まで僕が責任を持つよ」
「おお、神よ。やはり、そうなのですね!」
なにが「やはり」なのか、さっぱりわからない。
だけど、ニコラス達、修道士からこぼれ出てくる喜色の圧がものすごい。
その場で両膝をついたニコラス達が、それぞれ僕に向かって手を合わせてくる。
そして、ニコラスが宣言した。
「我ら修道士一同、ジャン=ステラ様に殉じた後は、天国の扉の前でジャン=ステラ様をお待ちいたします」
(え、どういう事?)
理解が追いつかず困惑する僕は置いてかれたまま。
「ロベルト様たちもお喜びください。
最後の審判の時、聖ペテロに名を呼んでいただけるよう、ジャン=ステラ様が責任をもってくださるのですよ!
ああ、なんと素晴らしい事でしょう。殉教者として全員天国にいけるとは!」
「「「おおお!」」」
どよめきと共に、ロベルト以外の全員が両膝をついて僕を拝み始めた。
ちょっとまってよ! 最後って遺体を埋葬して弔うまででしょう?
どうして死後の世界、最後の審判の事になっちゃうのさ!




