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うわさの裏工作?

 1063年4月上旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ティーノ・ディ・ガロラ(17)


「おい、ティーノ。だらけていないで、姿勢を正せ! そろそろアデライデ様とジャン=ステラ様がお出ましになるぞ」


 私の主、アデライデ様がトリノへと出立される時が近づいている。


 修道院前に止められているアデライデ様の馬車に、さきほど馬が繋がれた。


 騎士である私の役目はアデライデ様の護衛。

 昨年トリノを出発し、アルベンガ離宮までの道のりと、離宮滞在中の護衛を務めてきた。


 離宮からトリノへの帰路もアデライデ様の護衛をつとめ、そのままトリノへと同行する予定であった。


 そう、昨日までは。


 昨日、同僚のグイドと俺は隊長に呼ばれ、修道院に残るように言われた。


「ティーノとグイド、おまえらは修道院に残れ。今後はジャン=ステラ様の護衛につけ」

「隊長殿、どうして俺なんですか? 他の奴らに任せたらいいじゃないですか」

「うるせえ! 口ごたえするなっ!」


 がっしりとした体つきを誇る隊長の手が俺に迫ってくる。

 バチーンと横っ面をビンタされた。


(この短気ものめっ!)


 キッと隊長を睨んだら、「その目が気に入らんっ!」 と拳が飛んできた。


「バコッ」

 頬を殴られ、おもわずたたらを踏んでしまった。


(くそっ、この野郎っ)

 内心の腹立ちを顔に出さないよう、目線を下げる。

 これで隊長からは、殊勝な面持ちに見えるだろう。


「隊長殿、失礼いたしましたっ」

「お前も騎士なら、上の者に対する礼を忘れんことだな」

「はっ。ご忠告ありがとうございました」


(覚えていろよ! 俺が上役になった時がお前の最期だからなっ)


「誰だって早くトリノの家族の元に早く帰りたいんだ。だが、ティーノ、お前はまだ結婚していない。帰る必要なんかないだろう。ふっ。悔しかったら早く結婚するんだな」


 ちっ。嫌味な奴だ。

 結婚できるならしているにきまっているだろう。


 父親は男爵でも、俺は三男なのだ。

 領地をもつ貴族の跡取りでもない限り、俺のような若い平騎士へと嫁に来てくれる貴族の娘なぞいない。


 平民の娘? 農作業と家事で手ががさがさで、しかも飢えていて意地汚い娘じゃ、萎えちまう。


 それに俺はビッグになるんだ。


 俺の将来は、領地持ちの騎士様だと決まっている。俺がそう決めた。


 教養のない平民娘が、戦場に赴く俺に代わって領地を運営できるわけないだろう。


 俺が結婚しない理由について、隊長もわかっていやがるくせに。

 ギリっと歯を噛み締める音が口内に響く。


 隊長は、後の事はジャン=ステラ様の護衛であるロベルト殿に聞けとだけ言い残し、去っていった。


 俺と違って要領のいい同僚のグイドが、心配そうに問いかけてきた。


「おい、ディーノ、大丈夫か?」

「ああ、幸い歯は折れていないみたいだ。ありがとよ、グイド」


 血の味が口中に広がってはいるが、歯が折れなかったのは幸いだった。


「それはよかった。歯が減ると肉が噛みづらいからな」

「はは、違いない」


 グイドとお互いの肩をバンバンと叩きあい、友情を確かめあった。


「なぁ、グイド。俺たち貧乏くじを引いちまったな」

「そうか? 」

「だって、そうじゃないか。長男のピエトロ様の護衛ならともかく、ジャン=ステラ様は四男だぜ」


 長男のピエトロ様は昨年、トリノ辺境伯に叙爵(じょしゃく)された。名実ともにアデライデ様の後を継ぐことが決定したのだ。


 それに対し、ジャン=ステラ様は谷間の小領地であるアオスタ伯にすぎない。家臣に与えられる領土など、無きに等しい。そして、四男なのでトリノ辺境伯を継ぐ可能性はほぼない。

 戦場で命をかけてお仕えしたとしても、ジャン=ステラ様から領地を頂けることはないだろう。


 俺の説明に、グイドが頷き、同意してくれた。

「まぁ、そうだな。戦場に出て武功を認めていただくには、辺境伯様に仕える方が有利だよなぁ」

「だろ? そもそも、ジャン=ステラ様では戦場に出られないしな」


 そう、俺たちはツイてない。

 騎士となったからには、戦場を馬で駆け抜け、槍を振るいたい。


 大きな武功を挙げれば、領地をいただける。その先には、(たお)やかな貴族娘が俺との結婚を待っているのだ。


 だというのに、ジャン=ステラ様はまだ九歳。


 ジャン=ステラ様が戦場に出るのは、まだまだ先の事になるだろう。

 そういう意味でも仕え甲斐がないのだ。


 せっかく鍛えに鍛えたこの肉体。無駄に朽ちさせてしまったら、何のために苦しい鍛錬や上役の暴力に耐えてきたというのだ。


(戦場にさえ出られれば……)


 溜息をつきつつ、グイドの方を見る。


 おかしい。グイドの奴、落胆してやがらねぇ。

 あいつも男爵家の五男だから、俺と似たような境遇のはず。

 戦場で成り上がるしかない。


「だがな、頭の出来は御兄弟の中でジャン=ステラ様が飛び抜けているぞ。それはディーノだって知っているだろう」

「まあな」


 なにせ預言者なんだからな。お偉い聖職者様に囲まれて難しい話をされているお姿を見ているんだ。

 俺だってわかっている。


「だが、それがどうした。頭が良いだけじゃ、戦場に出られないぜ」


 グイドが何を言いたいのか、わからねぇ。もったいぶってないで、ハッキリ言いやがれってんだ。


「そのオツムを使って、トスカーナ辺境伯家を乗っ取るらしい」


 なーんだ、そんな事か。がっかりだ。そんな事、アデライデ様の護衛なら誰だって知っている。


「そんなの俺だって知ってるぞ。マティルデ様がジャン=ステラ様に懸想(けそう)しているっていう荒唐無稽な話だろ?」


 トスカーナ辺境伯であるマティルデ様は俺の一つ年上の18歳。ドイツ語も話せる才媛(さいえん)で、かつイタリア一の美女だと評判の姫君だ。


 男だったら誰もが、それがたとえ一夜限りだったとしても、結ばれる事を夢見るだろう。


 だがなぁ、ジャン=ステラ様は9歳だぞ。9歳のガキに恋する18歳の美女って、ありえんだろ。

 それなら、俺に恋しやがれってんだ。


「いやいや、それがなぁ。真実らしいんだ。トリノの宮殿に出仕している祖父がこっそり俺に教えてくれた」

「はぁー?! うそだろぉ」


「それもな、トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世も、内々に二人の結婚を承諾しているんだとか」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。マティルデ様はすでに婚約者がいるだろう? たしか……だれだっけ?」

「ゴットフリート3世の嫡男だよ」


 マティルデ様とその義父であるゴットフリート3世とは血が繋がっていない。

 マティルデ様の父君が亡くなられたあと、母君の再婚した相手がゴットフリート3世なのだ。


 ゴットフリート3世の血筋がトスカーナを支配し続けるため、嫡男ゴットーフリート4世をマティルデの婚約者としている。


「ほーら、やっぱり出鱈目じゃん。自分の息子の婚約者を、ジャン=ステラ様に差し出すってか? ありえねぇ」


「だがな、二人の年齢を考えてみろよ。ゴットフリート4世は23歳なんだぞ。ティーノ、お前はどうして2人が結婚していないと思うんだ?」


 男が23歳で、女が18歳の婚約者どうし。

 うーむ。どちらも成人しているから、結婚していない方がおかしいよな。


「確かに結婚していねぇのはおかしいな」

「だろ?」

「じゃあ、なんでだ? グイド、お前のお祖父様は何と言っている?」


 ちょっと耳を貸せ、とグイドが俺を手招きする。

 なんだ? 他人に聞かせられない話か?


「……」

「は? 子種なしだと!」

「馬鹿野郎!、ティーノ、声がでかいっ」


 グイドに頭をベシッと叩かれた。

 俺は周りを見渡し、聞き耳を立てている奴がいないことを確認する。


「す、すまん。だが、どうやって確認したんだ?」

「さあな。ま、いろいろ方法は浮かびはするがな。それはともかく、結婚しないのは変だから、いろんな(うわさ)が飛び交うのも当然ってわけさ」


 息子が結婚したところで、子孫は望めないとわかった。

 それなら、子孫繁栄をすっぱりと諦め、個人の栄華を求めるってか。


 つまり、ゴットフリート3世は息子の結婚よりも、トスカーナ辺境伯という地位にしがみついている、と。


 うーん、よくわからんな。それに話がジャン=ステラ様と結びつかない。


「だが、何をどうしたらジャン=ステラ様がトスカーナ辺境伯家を乗っ取るって話しに繋がるんだ?」

「それがな、ゴットフリート3世はドイツに帰りたがっているらしい」


 イタリアで使われているラテン語が苦手なゴットフリート3世は、ホームシックらしい。

 戦争に強い優れた将と目されていても、言葉が通じない孤独には耐えられなかったってことか?


「ゴットフリート3世って、ここイタリア随一の名将だろ。それがホームシックだと? そんな軟弱者だったのか?」

「まぁ、そう言う噂だな。でだ、ロートリンゲン公の爵位と引き換えに、ジャン=ステラ様にマティルデ様を譲るんだとさ」


 ゴットフリート3世は16年前の1047年まで上ロートリンゲン公だった。それが先代皇帝との戦争に敗れ、イタリアへ落ち延びた際に、公爵位を奪われた。


 辺境爵位よりも公爵位の方が上とはいえ、そんな話がありうるのか?


「まだわからん、なぜそこでジャン=ステラ様にトスカーナを譲るんだ?」

「そりゃ、トリノ辺境伯家が次期皇帝ハインリッヒ4世陛下の外戚だからさ。いろいろと裏工作しているんだろうよ」


 ジャン=ステラ様の姉君、ベルタ様は次期皇后となられるお方。アデライデ様が上手く交渉すれば、ゴットフリート3世に公爵が与えられる可能性も高いというわけか。


「なるほどな。それで敵であるはずのゴットフリート3世に蒸留酒を贈ったり、小麦手形を渡したりしていたのか」

「ああ。俺も不思議に思っていたんだ。先代オッドーネ様の暗殺指令を出したゴットフリート3世となぜ仲がいいんだろうってな」


 アデライデ様とジャン=ステラ様は、夫オッドーネ様暗殺を水に流す代わりに、ゴットフリート3世の公爵叙任を手伝い、トスカーナ辺境伯を手に入れる。


 ゴットフリート3世は、辺境伯に代わり、ドイツの地で公爵位を手に入れる。


 マティルデ様は、愛しのジャン=ステラ様を手に入れる。


「なぁ、グイドよ。頭がいい奴って不思議な事を考えるもんだなぁ」

「ああ、俺もさっぱりだ。だがな、ティーノ、話しにはまだ続きがある」


 なげぇなぁ。もう頭を使いすぎて俺は疲れてきたぞ。


「早く言えや」

「おいおい、ここからが俺たちに関係するところなんだぜ。疲れるには早すぎる」


 そうだった、元はと言えば、俺たちの嫁の話しだった。

 俺たちの戦場、筋肉の活躍する場はどこだっ。


「戦争の話なんだろうな」

「ああ、そうだぞ、ティーノ。もし噂話が本当だったとして、ゴットフリート3世がすんなりとトスカーナを譲ると思うか?」


 ああ、そうか。人間って貪欲だもんな。


 ロートリンゲン公爵位を手に入れたら、豊かなトスカーナを手放すのが惜しくなってもおかしくない。


「いいや、思わない。わざわざトスカーナを明け渡す必要ないもんな」

「じゃあ、お前がジャン=ステラ様の立場ならどうする?」


 俺だったら?そんなの決まってる。頭の良くない俺に出来る事といえば、力を誇示する事のみ。


「ふん、知れたこと。力ずくで奪う。」

 右腕に力を入れ、力こぶを作りながら俺はグイドに力強く答えた。


 約束を破るような奴には鉄拳制裁がふさわしい。


「そう、その通り! ジャン=ステラ様はこれから軍を拡大するぞ。俺たちは決して貧乏くじを引いたんじゃない。むしろラッキーなんだ!」


 軍隊を増やせば、きっとどこかで使いたくなる。

 ジャン=ステラ様が使いたくなくても、周りが放っておかないだろう。


 修道院に残されると決まった時は、お先真っ暗かと思っていた。

 だが、もしやもしやの、大逆転か?


 俺の人生、上り坂が始まったのか?


 うぉー、まってろよ、未来の俺の嫁!

ちょっと登場人物を変えてみました。


ジャン=ステラちゃんの周りには、ギリシア組がたくさんいます。

そのため、トリノ辺境伯の家臣からはあまり快く思われていません。


また、サルマトリオ男爵失脚の原因ともなったため、トリノ辺境伯家の貴族方からも好ましく思われていません。むしろ、煙たがられていると言っていいでしょう。


ただ、四男であるジャン=ステラちゃんがトリノ辺境伯の後を継ぐことはないだろう、と見過ごされ、どちらかというと敬遠されています。


好んでいるのは、宗教勢力の一部、商人、酒好き男性と美容に糸目をつけない上級貴族女性だけなのです。


さて、今話に出てきた噂は、その状況を変える一手になるのでしょうか?

そして、だれがこの噂の流したのでしょうか。


なぞは深まるばかりなのです☆彡


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― 新着の感想 ―
[一言] 勝てる戦力作るならある程度近代化した軍にするしかないししがらみなくてなんでもやる人材集めたいよな 火縄銃とか焙烙玉とか焼夷弾とかできても貴族の連中が素直に使ってくれる気しないし
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