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砲声 ④

 視察二日目の朝。

 夜明けと共に船乗りたちは甲板磨きに勤しみ、ルーネはハリヤードと共に朝食の支度を進める。

 しかし今日はルーネも何処と無く険しい面持ちであった。

 普段は薄く剥けるはずの皮も、今朝は少し分厚く途切れ途切れだ。

 昨夜の酒が残っているわけではない。

 彼女は何か思いつめている。

 オートミールの鍋を木べらで混ぜるハリヤードが、遠慮がちに咳払いをしつつ問いかけた。


「あ~、これは妻の受け売りなんだがね。女性というものは、時として男以上に重たい何かを背負うのだという。同時に、その重荷を誰かと分かち合いたいとも言っていた。特に年上の男には、ね。ルーネちゃんとは、そのなんだ、こうして同じ厨房で仕事をしているわけで、僕で良ければ、愚痴の一つや二つ、聞いてあげられると思うのだがね?」


 するとルーネは作業の手を止めて、彼に笑いかけた。


「ありがとう、ハリヤードさん。けれどそう大した悩みじゃないわ。少なくとも執務室に山積みになっている書類たちを見るよりは余程気楽なものよ?」


「というと?」


「今日はね、女帝として兵士たちの前に立つの。お忍びの視察もここまで。兵士たちがどんな顔をするのかと思うと、ちょっとね。できれば何も知らないまま終わらせてあげたかったのだけど、もうバレちゃったみたい」


 そう言って彼女が懐から取り出した、今朝届けられた手紙には、司令部から再度視察の要請が書かれていた。

 要請するということは、つまり、万全の態勢で『女帝』を迎えるということだ。

 昨日のようにはいかないだろう。

 兵士たちにも少なからず伝わっているはずだ。

 いや、全員に伝わっていると見て間違いない。


「もう誰も私をただの女の子として見てはくれない。女帝という絶対者として、宮殿の連中と同じような目で見てくる。私の嫌いな目で。気落ちもするわ」


 彼女の哀しい微笑みを前に、ハリヤードはただ口をつぐむより他になかった。


 朝食を終えた後、ルーネは一人寝室に戻って、壮麗な軍服に袖を通す。

 金糸で装飾された三角帽子を被り、綺羅びやかな真紅の肋骨コートを着て、白い長ズボンを穿く。

 そして帝室ブレトワルダ家の紋章が刺繍されたマントを纏って、腰のベルトに白銀のサーベルを吊るす。

 鏡の前に立つ彼女の顔は、既に帝国の長としての其れであった。

 甲板に上がって岸壁に目をやると、既に出迎えの兵士たちが彼女のために白馬を用意して整列していた。

 付き人は前回同様にヘンリーとウィンドラス。

 その間の船の指揮は甲板長の黒豹に一任された。


「レイディン卿、どうぞ馬に」


 兵士の一人がウィンドラスの分も含めて二頭の馬を引いてきたが、ヘンリーは兵士の頭をコツンと叩く。


「馬鹿野郎。俺ぁ船乗りだぜ? 馬に乗る趣味はねえよ」


 そのまま歩き出したヘンリーの後に、ウィンドラスがきちんと遠慮の言葉を述べていた。

 港近くの街に入ると、住民たちはしきりに花を投げ、諸手を上げて女帝を歓迎した。

 彼女が立ち寄っていた酒場の主人は周囲の商売敵に自慢して回っていた。

 陛下がうちの蜂蜜酒をお飲みになったのだ、と。

 馬上から民衆に向けて小さく手を振る彼女は、群衆の中で一輪の薔薇を掲げる少女と視線が重なった。するとルーネは颯爽と馬の鞍から地へ降り立ち、兵士たちが何事かと驚く最中、薔薇を持つ少女の前に立ち、足を曲げて少女と同じ視線に身を屈める。


「見事な薔薇ね。貴女が育てたの?」


「はい……毎日お水をあげて、大切に育てました。陛下に、あげます」


「ありがとう。この薔薇は今まで見た中でも、特に美しい薔薇だわ」


 少女の手から薔薇を受け取ったルーネは、肋骨服の胸部に刺して、大歓声の街中を抜けた。

 演習場に赴けば祝砲が空に轟き、つつを捧げた精鋭たちが正確無比の動きで整列している。

 その中には昨日に昼食を共にしたジョニーたちの姿もあった。

 隊列の中央を進むルーネは愛する兵士たちに語りかける。


「古より父祖の誉れを護る防人の子らよ。私は短くも貴方方と共に語らい、共に食べ、共に同じ時を過ごす機会を得ました。剣佩きて久しき強者たちよ、銃取りて久しき勇者たちよ、たとえ貴方たちを天におわします神が見放したとしても、この女帝たる私が貴方たちを見捨てはしない。忠勇たる我が愛する兵士たちよ。たとえ貴方たちが孤島で敵に囲まれようと、私は貴方たちを見捨てはしない。薔薇王冠の獅子に誓い、貴方たちの背後はこの私が守ります」


 彼女の言葉に推され、将軍が演習開始の号令をかける。


「総員配置につけ! 戦列歩兵、前へ!」


 各連隊長の指揮の下、兵士たちはいつも以上の士気と練度を女帝に見せるべく、精鋭らしく演習に勤しんだ。

 マスケット銃を構えて的に向けて射撃するジョニーは、酒場で出会った同い年の少女が、一緒に兵士と同じ飯を食べた少女が、憧れていた女帝であったことへの興奮が冷めなかった。

 まさかと思っていたことが現実に起きたのだ。

 兵士の中には、女帝などは都に居座ってばかりで、自分たち前線の兵士のことなど気にも留めないと宣う輩も多かった。

 だが、少なくともこの演習場にいる全ての兵士たちはその考えを捨てた。

 自分たちの背後を護ると断言してくれたのだから。

 ルーネも彼らの雄々しい姿を双眼鏡で見守り、都へ戻ってからの仕事や、南方王国への対処などを考慮していた。

 ヘンリーはウィンドラスと帰路の相談をしている。

 船から持ちだした海図を野に広げ、都までの航海計画を練る。

 陸軍の演習場で海図を広げるというのは何とも妙な気分だった。

 好奇心のある参謀たちは物珍しそうに船乗りの仕事を眺めている。


 時は流れ、演習は全軍突撃という最終段階へ以降し、砲兵隊の援護射撃の後に騎兵と歩兵が敵陣地を占領したことで一連の演習を無事に終えることが出来た。

 ルーネは兵士たちに惜しみない賛辞を与え、褒美として彼ら全員に酒を振る舞うべく街の酒場や食堂を全て貸し切り状態にした。

 支払いは全て宮殿から出すともなれば、店もありったけの酒樽を蔵から持ち出し、兵士たちの喉と心を潤していく。


 そのとき……巨弾が飛来した。


 風を切り、奇妙な音に気がついた男たちが空を見上げた瞬間、街の中央部に着弾した鉄球は土煙を巻き上げて付近にいた住人を吹き飛ばす。

 事態を即座に察した機敏な兵士が酒場に駆け込び、叫んだ。


「敵襲ーっ!」

 

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