新人 ⑤
甲板へ続く扉が蹴り開けられ、磨かれたカットラスを携えたヘンリーが獣の形相で望遠鏡を覗きこんだ。
視線の先、右舷前方から反航する形で、南方王国の国旗を掲げる大型商船が近づきつつあった。
護衛に小型の武装船が一隻従っているが、砲の数も8門と、グレイフェンリル号の比ではない。
乾いた唇を舌なめずりしたヘンリーが、飢えた狼たちに号令を下す。
「諸君、昼飯の後の運動と洒落込むかい?」
「おおーっ!」
けたたましい足音が甲板を震わせ、黒光りする砲に弾が装填されていく。
男たちはその手に剣や斧を握りしめ、あるいはピストルの撃鉄を起こし、マストの先に彼らが誇る紋章を掲げる。
商船にとっては死刑宣告に等しい黒旗が翻ると、護衛がぐんと速度を上げて迫ってきた。
「駄犬にしちゃあ、いい度胸してるじゃねえか。さてお嬢さん? これから楽しい地獄の鉄火場に突っ込むわけだが、お前さんは奥に引っ込んで貰えると助かるんだがな。立場上」
「あら船長? ここでは私はただの見習いでしょう? どうして自分だけ奥に引っ込まないといけないの? そんなに心配なら、せいぜい私を側で守りなさいな」
不敵に笑って言い返す彼女の言葉に、ヘンリーは唇を尖らせた。
「まったくコイツときたら……俺から離れるなよ? タック! お前も一緒に来い!」
「任せといて!」
ドンと胸を叩くタックは勇ましくピストルとナイフを両手に携えた。
二隻の護衛船はグレイフェンリル号の両舷に展開し、小柄な船体を活かした小回りで挟み撃ちにする腹積もりらしい。
乗っているのも海を戦場とする傭兵や、カネ目当ての不良たちのようだ。
圧倒的な力量の差があって尚、金の魔力に取り憑かれた者たちの銃口がヘンリーたちに向けられた。
「ヘンリー! いつでも撃てるよ!」
黒豹の声に応じ、ヘンリーの指がパチンと鳴った。
途端に黒光りするカノン砲の列が一斉に火を吹き、鎖付きの砲弾がマストをへし折り、甲板からマスケットやらピストルやらが護衛船の頭上に降り注ぐ。
悪運あって弾幕の雨から逃れた傭兵がしきりに鉤縄を投げてくるが、それらはすぐに斧で切断され、マストを折られた船に為す術は無かった。
獲物はあくまでも商船と積み荷。
一々番犬と遊んでいる暇はない。
風向きに合わせて逃走する商船だが、積み荷を満載した上に帆の数も足りておらず、快速を誇るグレイフェンリル号にみるみる距離を詰められていく。
さながら狼に追い立てられる雌牛のように。
望遠鏡のレンズに、恐怖におののく船員たちの顔がくっきりと写った。
護衛は既にやられ、まもなく追いつかれるに至って、彼らはようやくその手に武器を握る決断を下した。
やがて二隻の船は互いに並走し、激しい砲撃戦の最中、ロープを伝って黒豹たちが次々に相手の甲板へ押し入った。
振り下ろされたカットラスが善良な船乗りを切り裂き、熱せられた銃弾が心臓を射抜く。
今回は訓練された軍人が相手ではない。
そこに倫理も無ければ良心もない。
ただ弱肉強食の掟に則り、強い者が弱いものを駆逐していく姿だけが描かれていた。
その戦いの最中へ、ブロードソードを携えたルーネが飛び込んでいく。
かつて味わった死に立ち向かう恐怖がスリルという名の快感へ変わり、宮殿でローズに鍛えられた剣技を試したいという子どもじみた欲求と共に。
彼女はサーベルで奮戦する若い男の前に立った。
相手も生き残りたい思いで必死となり、自分の相手が少女であることなど考える暇もなく、言葉にならぬ叫びをあげながら彼女に斬りかかる。
すると彼女は軽やかな足取りで体を回転させ、サーベルの刃を受け流す。
流れるような身のこなしは幼少の頃から培ったダンスの其れ。
そして蝶のように舞う彼女の蜂の一撃が、男の鳩尾を貫いた。
崩れ落ち、息絶えた男の返り血を手に浴びたルーネは、笑うでも悲しむでもない、複雑な顔で彼を見送る。
「中々やるじゃねえか。小奇麗な宮殿育ちにしちゃあよ」
「……人間って、呆気無いものね?」
「感傷に浸るのは後にしろ!」
ヘンリーが放った銃弾がルーネの背後に迫っていた男を屠り、さらにタックが彼女の手を引いて自身の背後に引き寄せる。
「ルーネ、オイラから離れないで!」
「ありがとう、私の頼もしい騎士さま」
甲板を制圧し、生き残った者たちが立て篭もる船倉も強引に押し開けられて、商船側が降伏する形で狩りは終了した。
積み荷は大樽に詰められた香辛料や織物などで、港に持ち帰って商人に売り払えば、十分な収入となるだろう。
他の水夫たちと一緒に戦利品の搬入作業を手伝うルーネがふと視線を向けた先では、捕虜になった商船乗りらがヘンリーの前に跪いていた。
彼らを活かすも殺すも彼の気分次第。
傍らに控えるウィンドラスが助命を乞う。
「船長、彼らも優秀な船乗りです。どうか捕虜たちにお慈悲を」
「捕虜? どこに捕虜がいるってんだ? 俺にはサメの餌しか見えんな」
捕虜たちが泣き叫ぶも、即座に喉をナイフで掻き切られ、蒼い波間へ戦いで亡くなった死体と共に投げ捨てられた。
途端に血の匂いを嗅ぎつけたサメが群がって凄惨な昼食を始め、消沈するウィンドラスの肩をヘンリーが叩く。
「今更、気に病む奴があるかよ。心配するな。お前の言う神の怒りとやらは、俺が全部呑み込んでやる」
「神を信じぬ貴方が、それを言うのですか?」
「信じているともさ。むしろ、居てもらわなきゃ困る。でなきゃ、その偉そうな面を殴れんからな。ハッハッハ!」
傲岸に笑うヘンリーを遠目に見たルーネは、知っていたとはいえ、神をも恐れぬ彼の肝に身震いを覚えた。
略奪を終えた船内は妙に活気づいて、男たちは酒に酔いしれて夢の世界へ旅立っていく。
昼間の仕事も無事に済ませたルーネは疲れと眠気で目蓋を擦り、黒豹と同じ寝室の扉を開けた。
「お疲れ様、黒豹姐さん」
「おつかれ~。ルーネ、こっちおいで。オレが体拭いてやるからさ!」
と言う黒豹の目は燦然と輝き、濡れたタオルを広げ、じわりじわりとルーネに近付く。
身の危険を感じたルーネが遠慮しようとするも、黒豹は彼女に跳びかかり、一気にルーネのシャツやズボンを引き剥がしていった。
「きゃぁ! ちょっと姐さん!」
「大丈夫大丈夫! 取って喰いやしないって!」
ジュルリと溢れでたよだれを手の甲で拭う黒豹は、ルーネの絹のような白く滑らかな肌を存分に堪能し、やがて温かなハンモックと毛布に包まれて鼾を立てる。
すっかり体の隅々まで撫で回されたルーネは恥ずかしさで枕に顔を埋め、しかし女帝ではなく一人の少女に戻ることが出来た嬉しさに微笑みながら、黒豹とは対照的な静けさで眠った。




