革新 ④
貴族の長男が庶民と共に働くようになると、ものの数ヶ月としない内に女帝の机に嘆願書が積み上げられていた。
無論、労働から解放してくれという、お坊ちゃんたちからの泣き言である。
始めのうちはある程度の数に目を通していたが、やがて読む気も失せて暖炉へ薪と共にくべられていった。
これが民を率いていくべき貴族の姿であろうか。
これが戦時に兵を率いていくべき将の姿であろうか。
彼らがやっているのはあくまでも平民がこなしている日常的な仕事に過ぎない。
炭鉱や商船で働く奴隷たちのことを思えば、なんと生ぬるい体験だろうか。
だというのに、わざわざ泣き言を書いて寄越すなど言語道断だと、彼女は早くも帝国の未来に暗い陰が落ちていくのが見えるようだった。
しかし溜息ばかりを吐いてはいられない。
これはあくまでも本来成すべきことの前段階にすぎないのだから。
彼女の机の上には新たな法案の草文が書きかけであった。
これこそ帝国が、否、現在判明している世界中の国々が未だ成し遂げていられない大革新。
即ち、奴隷解放宣言。
帝国が所有する全ての奴隷を一掃し、正式に国民として迎え入れる、彼女の一世一代の大仕事。
あらゆる貴族の反発を招き、平民からの不満も噴出することが容易に考えられるが、彼女の決意は固かった。
故に貴族の長男の泣き言などにかまっている暇などなく、そもそも彼らに平民と同じ仕事をさせているのも、将来に家督を継いだ彼らにこの革新の意味を理解して貰うため。
古い考えの老人がいつまでも居座っていては、国が腐るのだ。
新しい風、新しい慣習を吹きこまねば、やがて国は根から崩れ落ちていく。
そして父祖が守ってきた伝統も文化も消滅するのだ。
それだけは何としても防がねばならない。
この国に生き、この国で働く者たちに報いねばならない。
手に持つペンに力が籠もり、鬼気迫る勢いで彼女は羊皮紙に草案をまとめあげた。
要約すると以下の通りである。
一つ、奴隷は帝国臣民と同等の地位を保証する
一つ、強制労働の義務を撤廃し、職業選択の自由を与える
一つ、労働に見合った給金を得る権利を与える
一つ、祖国へ帰還を願う者はこれを叶える
一つ、帝国に残留するものは臣民と同等の義務を負う
これを見た議会はたちまち紛糾した。
とくに財務を取り仕切る大蔵大臣は強硬に反対の姿勢を見せた。
そも帝国の重要な貿易の中に奴隷の売買があり、奴隷解放は実質的に奴隷貿易をも手放すということになる。
これでは国の財政が立ち行かないと熱弁する大蔵大臣とその官僚に、他の諸侯もしきりに賛同していた。
貴族から見ても、奴隷は非常に安価な労働力。
死なない程度にパンと水を与えておけば働くものを、何故に賃金やら住居やらを与えねばならぬのか理解出来なかった。
そもそも奴隷は他国の人間である。
口々に理屈を述べてくる彼らの言葉を無言で聞いていたルーネの眉がぴくりと動く。
こみ上げてくる怒りを押さえつけ、まずは大蔵大臣の説得にかかった。
「成程、国家の運営に金銭は欠かせないわ。でもね、奴隷貿易で一体どれほどの利益があると思って? 他国から無理やり人を連れてきて、無理やり働かせて、それが本当に国の利益になるかしら? 私はそうは思えない。彼らも人間。家畜とは違う。やがて心に積もり積もった鬱憤が国を揺るがしかねない。むしろ、彼らを受け入れ、義務と同時に権利を与えれば、この国に忠誠を尽くし、今まで以上に働いてくれる。私は、そのほうが利益になると考えるわ」
「しかし、仮に奴隷たちを民にしたとして、彼らに支払う賃金、食料、住居の財源は如何に?」
「勿論考えてあるわ。これよ」
そう言って取り出してみせたのは、『敵国船拿捕許可状』。
いわゆる私掠免状である。
他国の商船を襲撃し、略奪することを認める代わりに、その略奪品の一部を国に納めるという国家ぐるみの海賊行為。
「准男爵ヘンリー・レイディン卿率いる私掠連合に加え、商人、漁師、その他希望する者にはこれを与え、敵国船の略奪を認めます。わざわざ自分たちで財源を考えなくても、他国からありがたく頂戴するとしましょう」
「それでは近隣国との衝突は免れませんぞ!」
さらに外務大臣が声を荒らげるも、彼女は涼し気な顔で笑う。
「いけないかしら? 私達が考えるべきなのは自国の利益であって他国の心配ではないわ。彼らは不幸にも海賊に襲われてしまうのよ。表向きは、ね? とはいえ急な話なので、裁決は後日に回します。各々、よくよく帝国の将来を考えて結論を出すように」
立ち去ろうとしたルーネは、ふと立ち止まり、議会の面々に向かって振り返る。
「私の気が変わる程のご意見を、期待しておくわ。変えられるものなら、ね」
当然、議会は騒然となった。
あの筋金入りの頑固者を如何にして説き伏せるか、議論は彼女が提示した奴隷解放云々よりもそちらに重点がおかれ、弁が立つ者たちがあれこれとそれらしい理屈を考えていく。
が、とても女帝の意思を曲げられるほどの熱意は無かった。
下手なことを言って彼女に逆らい、地位を剥奪され、あるいは僻地に飛ばされていった連中と同じ轍を踏むことを恐れた。
やがて彼らは法案の撤回を求めるのではなく、あくまで自分たちの利益を守ることに重点を置き、いくつかの条件を盛り込んだ妥協案を女帝へ提出した。
一つ、臣民となった奴隷は他の民と同じく土地の貴族が管理する
一つ、土地の負担軽減のための助成金の配当
一つ、混乱を避けるために元奴隷は三年間公職に就くことを禁じる
これらの妥協案を盛り込むならば、議会として承認するもやぶさかではないとの返事を、ルーネは受け入れた。
間もなく正式に議会で裁決が行われ、最終的に女帝の御名御璽を以って、帝国の領地から『奴隷』は消滅した。




