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攻防 ⑤

 日付が変わり、草木も眠る頃。

 寝息を立てていたはずのヘンリーが、不意に、起き上がった。

 その目は寝起き独特の淀みが一切なく、まるで、今の今まで眠るふりをしていたかのようにハッキリと意識を保っていた。

 低く喉を鳴らし、雨雲色の髪を荒々しく掻きむしったヘンリーは、篝火の側で待機していたウィンドラスを手招く。


「ちゃんと寝たか?」


「一時間ほど仮眠を。船長こそ、目覚めの気分は?」


「ああ、悪くない。コーヒーを一杯飲みたいところだがな。ところで連中もそろそろ眠った頃合いだろう」


 と、ヘンリーは視線を扉に向けて呟いた。

 つられてウィンドラスもそちらを伺う。


「今のところ動きはありませんし、休息しているものと思われます」


「だろうな。おかげでこっちも多少は英気を養える。俺が連中なら、朝だな。しかも夜明けと同時に仕掛ける。これだけのでかい要塞だ。抜け道の一つや二つ必ずある」


「捕虜が吐いた、例の森へ続く水路のことですか?」


 尋問に耐えかねた兵士が死の間際に漏らした情報を、ウィンドラスは思い出す。

 ヘンリーはタックが持ってきた淹れたての熱いコーヒーを啜りながら、さらに続けた。


「恐怖に支配された連中が取る手段は二つだ。立ち向かうか、逃げるか。奴らは立ち向かうだろうよ。軍隊ってのは逃げるように出来ちゃいない。だったら奇襲あるのみだ」


「正面から出迎えますか?」


「死を覚悟した奴は手強い。ネズミが猫を食い殺すこともあり得る。恐怖ってものを忘れちまうからな。ならば……更なる恐怖で上塗りしてやりゃぁいい。確か連中の国じゃ、葬式は死体を燃やすんだったな?」


「ええ……異教の教えでは、そうして弔うのだとか」


「じゃ、俺様が荼毘だびに付してやるとするかねぇ」


 船長の指示によって、港の倉庫へ押し込まれていた敵味方の死体と捕虜が扉の前へ引き出されていく。

 死体は積み上げられ、捕虜は手足を縄で縛られたままその上に寝かされた。

 ウィンドラスは彼の目論見を察してか死体の山に背を向け、無言で十字を切る。


「さてと、バーベキューパーティと洒落込もうかい。焼き加減はウェルダンだ」


 死体と捕虜に油や松脂が降り注ぎ、篝火から火を灯された松明が投げ込まれると、またたく間に紅蓮の炎が燃え広がった。

 肉が焼け、骨を焦がし、未だ息のある捕虜が身の毛もよだつ断末魔を暗い空へこだまさせていく。

 その煙は海風によって要塞内部へ流れこんでいた。

 地獄の光景を目の当たりにしたクリムたち傭兵だけでなく、死線を超えてきた海賊でさえ総身が震えた。

 クリムは吐き気を催し、ヘンリーの胸ぐらに掴みかかる。


「なぜ……何故だ! 何故ここまでする! これは戦いでも何でもない! これは……ぐっ!?」


 言葉に迷うクリムの手から微かに力が抜けると、今度はヘンリーの手が容赦なくクリムの首根っこを掴みあげた。

 顔を引き寄せ、口の端を吊り上げ、首を傾げて彼は笑う。


「そうだ、こいつは殺し合いだ。生きるか死ぬか、ただそれだけの生存競争。強い者が弱い者を喰う。ただそれだけの簡単な理屈だ。そこに綺麗も汚いも無い。使えるものは何でも使え。ましてや使い道が無くなった死体や捕虜に何の意味がある? 生かしておく意義がどこにある? 小奇麗な説教なんざクソ食らえだ。あの煙で奴らを燻り出し、一匹残らず臓物を喰らい尽くして地獄へ叩き落としてやる。わかったら引っ込んでろ!」


 掴まれていた首を解放されて激しく咳き込んだ彼女の背を、仲間の傭兵たちが支える。

 彼女は理解した。

 本能が告げていた。

 彼に逆らえば命はない。

 女だろうが子供だろうが、別け隔てなく彼は手にかける。

 法典も教義も意味を成さない。

 悪魔でさえ彼に道を譲るだろう。

 クリムたちは心底から彼を畏怖し、そんな視線を受けたヘンリーは、燃え盛る炎を見つめたまま笑みを崩さなかった。





 死体のみならず、捕虜が生きながらにして身を焼かれた話は稲妻のように兵から兵へ伝搬していった。

 また人間の骨肉が焼かれる臭いはとてもではないが耐えられるものではなく、まるで燻されるネズミのように奥へ奥へ逃れていった。

 そこは件の水路のすぐ側にまで達しており、眠気と疲労も相まって、兵士たちの士気は地に落ちていた。

 このままでは反乱の恐れもあると判断したバルガスは、ただちに水路を抜けて森に出るように命令を下した。


 水路といっても長らく整備もされず、汚水などが溜まっているために歩くこともままならない。

 ブーツの中に冷たい水が入り込み、頭上からも水滴が垂れて、まだ新しい傷口に容赦なく染みこんでいく。

 またそれによって徐々に火薬が湿り、銃口は濡れ、中には力尽きて水中へ倒れこむ者まで出始めた。

 誰が見ても戦いの役に立つ状況ではなかった。

 だが降伏する選択肢もなかった。

 降伏すればどうなるか、今まさに目の前で見せつけられたのだから。

 逃亡を図る者は軍規の名のもとに粛清され、二百名ばかりいた兵はいつの間にか百五十を下回っていた。

 一歩、また一歩と進む毎に、バルガスの闘士も気力も、そして自らが抱いて疑わなかった誇りさえも熱を失っていった。

 今となっては勇ましい言葉も無く、具体的な命令も発せず、ようやく出口となる梯子に辿り着いた時には綺羅びやかな軍服もすっかり色あせていた。

 他の士官らも見れたものではない。

 兵士など言わずもがなで、もはや軍隊とすら呼べぬ、民兵より劣る有り様であった。

 残る力を振り絞って梯子を登り、軋んだ木製の戸を押し開けると、眩い朝日の輝きが彼らを包み込んだ。

 冷たく暗い地下から陽の下に出たことによって彼らの心に小さな希望の芽が出、次の瞬間に、森の中から無数の銃口によって囲まれていることに気づき、その場にへたり込んだ。


「随分と手間ぁ取らせてくれたな? えぇ?」


 首筋にヘンリーのカットラスの刃が当てられたバルガスは、地に両手をついて頭を垂れた。


「……貴殿に降伏する」


 腹の底からやっと絞り出した言葉に、ヘンリーは大仰に頷いた。

 帝国を長年に渡って悩ませ続けてきたサン・フアン要塞は、かくしてたった一晩で陥落したのであった。

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