強襲 ④
王冠の周囲に八つの旗が描かれた南方王国の国旗。
王冠は即ち国王、八つの旗は王国を支える八つの小国を意味する。
その旗を掲げたガレオン船を視認したヘンリーは、思案することもなく、即座に戦闘用意を総員に下令した。
左右の舷側から黒光りする四十門のカノン砲が顔を出し、マストにドクロに牙を突き立てる狼の紋章が掲げられていく。
甲板には目覚めたばかりの水夫たちが武器を持ってひしめき合い、夜当直の者たちの眠気も吹き飛んで、寝起きの運動とばかりに意気軒昂だった。
傭兵たちも海戦のお手並み拝見といった風に甲板の端で水夫たちを眺めている。
全ての帆が風を受けて速力がぐんと増し、敵船へ向けて狼は駆ける。
対する南方王国海軍所属のガレオン船『バウティスタ』号も、夜明けと同時の会敵に慌てふためいていた。
この海域はすでに南方王国の勢力圏内であり、一般の航路からも大きく外れている。
そんな辺境の海に、帝国の、しかも悪名高きヘンリー・レイディンの旗を掲げた大型艦が突然現れたとなれば、冷静でいろというほうが無理な話だった。
しかも搭載している砲はたったの二十門。
グレイ・フェンリル号一隻にも勝ち目が無いとなれば、当然、船首を翻して逃走を計った。
だが、ガレオン船はすでに旧式の軍艦に過ぎず、帆の数も圧倒的に少ないため、みるみるグレイ・フェンリル号はバウティスタ号に近づきつつあった。
また、真っ先に砲煙を吹き出したのも、グレイ・フェンリル号の船首に設けられた小型の八ポンド砲だった。
近距離用の砲だが、先に相手が撃ってきたという心理的圧迫がバウティスタ号の兵たちに駆け巡る。
バウティスタ号の艦長は士官たちに意見を募った。
このまま逃げきれるか……答えは否。
ならば戦って勝てるか……沈黙。
降伏するという考えは、誰の頭にも無かった。
バウティスタ号のマストに紅い戦闘旗が掲げられた。
舵を右一杯に転舵し、反航戦に持ち込む。
ヘンリーはそれを見て舌なめずりをした。
カノン砲に砲弾が装填され、互いの砲口が相対し……。
「そぉら、食い破れ!」
轟音と共に無数の鉄球が放たれ、バウティスタ号の砲列を粉砕していく。
続いて鈎付きロープがバウティスタ号のマストや張り巡らされた綱に引っ掛けられ、次々に黒豹率いる荒くれたちが甲板に乗り込んだ。
しかしバウティスタ号も旧式とは南方王国海軍の一員。
水兵たちは規律の取れた動きでマスケット銃を斉射し、あるいはサーベルを振りかざして帝国の賊徒を相手に奮戦している。
刃がぶつかり火花が散り、銃砲から硝煙が立ち昇る甲板に、水夫と水兵の亡骸が転がっていく。
が、多勢に無勢は如何ともし難く、バウティスタ号は徐々に追い詰められていった。
艦長も士官たちもしきりにピストルで応戦しているが、その争いの渦中にヘンリーが乗り込んだ。
斬りかかってくる水兵をカットラスで屠り、背後から組み伏せようとしたもう一人の胸ぐらを掴むと、力づくで舷側から海へ投げ落とした。
血なまぐさい戦いの中を平然と歩くヘンリーは、指揮所にいる艦長に歩み寄る。
さあ驚いたのは艦長や士官である。
まさか敵の船長が直接乗り込んでくるとは思いもよらず、しかもつかつかと歩いてくるのだから、士官はヘンリーにピストルの銃口を向けて怒鳴った。
「海賊ヘンリー・レイディン! 南方王国の誇りにかけて、貴様を成敗する!」
引き金を引くと火打ち石がついた撃鉄が勢い良く動き、火薬に点火して鉛球が銃口から飛び出した。
が、船の揺れやヘンリーへの恐怖から微妙に手が震え、銃弾はヘンリーの頬を掠めて何処かへ飛び去った。
「残念。はずれだ。さようなら」
腰のホルスターから愛用のフリントロックピストルを取り出したヘンリーは、士官の青ざめた顔の額を一発で撃ち抜く。
ドス黒い血で甲板を濡らす士官の亡骸が足元に斃れ、艦長は口から漏れそうになった悲鳴をグッと飲み込み、サーベルを構える。
「そうそう、そうこなくっちゃなぁ。来いよ、飼い犬。俺を食い殺してみせろ。マストは折れちゃいねえ。俺を倒して部下を始末すりゃあ、あんたは国へ戻ってめでたく英雄だ。その殺意を心臓に突き立ててみせろ!」
場慣れしているヘンリーに対して、如何せん敵艦長の実戦経験は片手で数えるほどしかなかった。
基本的に『艦長』になる人間には二種類いる。
現場からの叩き上げか、あるいは親の七光りか。
少なくとも目の前にいる男は後者だった。
普段は艦の顔として偉そうに座り、いざというときはベテランの士官たちに一任する。
そういう男が、血と硝煙の中を生きてきたヘンリーに対抗出来る理などあろうはずがなかった。
手足は震え、剣も狙いを定められず、眼光に殺気がまるで無い。
今にも腰を抜かしてしまいそうなところを踏みとどめているのは、ひとえに、すでに逃げ場がないころを察していたからだ。
活路は目の前。
退けば冷たい奈落の底。
ならば、答えは簡単至極。
「レイディン、覚悟!」
あらん限りの勇気を振り絞って振り下ろしたサーベルの刃が、ヘンリーのカットラスに受け止められる。
瞬間、ヘンリーの手が艦長の袖を捻り上げたかと思うと、気がついた頃には甲板に組み伏せられて喉元に刃を突きつけられていた。
サーベルを握る右腕は踏みつけられて動かすことも出来ず、左手は甲板を叩くばかりで役に立たない。何よりも首筋に当てられた刃の冷たさに全身の血を凍りつかせていた。
「こ……降伏する……命だけは……」
「悪いが、駄犬に用はない」
ニヤリと笑ったヘンリーが腕を引くと、カットラスの刃が艦長の首筋を抉り、鮮血を吹き出して断末魔も無く息絶えた。
ヘンリーはその亡骸を戦いの渦中に投げ込み、水兵たちは指揮官が殺られたことを知らされて戦意を失っていく。
次々に武器を捨てて降参を申し入れた。
ヘンリーはこれを受け入れて水兵たちを荒縄で縛り上げ、遺体を海に捨てていく。
間もなく血の匂いを嗅ぎつけたサメの群れが盛大な昼食会を開いた。
見るもおぞましい光景に水兵たちが青ざめている頃、ヘンリーはウィンドラスを呼び出す。
「ちょいと予定変更だ。名案が思いついた」
「良からぬこと、の間違いでは?」
「くくく。まあ見ていろ。面白いことになる」
「捕虜たちは如何しますか?」
「解放してやるさ。無事に要塞へ戻って貰う。いや、戻って貰わんと困る」
開放されるときいた水兵たちは涙を流して神に感謝した。
またヘンリーは勇敢に戦った彼らのために酒樽を十樽ほど進呈し、そのまま要塞へ戻るように申し付けた。
この戦いは全くの不本意なものであり、船団も帝国へ直ちに引き返すとまで断言した。
無論、嘘八百である。
しかし水兵たちは一刻も早く要塞に戻りたいと願うばかりでヘンリーの真意を見抜く余裕などなく、バウティスタ号は一目散にその場から逃げ去った。
グレイ・フェンリル号やアルバトロス号の面々には不満の声もあったが、ヘンリーは不敵な態度を崩さず、只一言、
「まあ見ていればわかる」
と、言うばかりであった。




