女帝 ⑤
早朝、都の港に威勢のいい男たちの声が響く。
航海士ウィンドラスの指揮の下、業者が馬車に載せて運んできた食料や日用品などの物資が船に積み込まれていた。
また砲弾や火薬も大量に積み込まれ、ウィンドラスは補給品の目録に目を通しながら、次の航海は物騒なことになりそうだと心に不安を抱いていた。
黒豹が率いる水夫たちも作業の片手間にカットラスを磨き、ピストルの点検を欠かさない。
皆、直感で出港の時が近いことを察していた。
いつまでも陸に留まっているような男の船ではない。
次なる獲物の血肉を求め、広大な狩場を彷徨うことこそが彼らの本分なのだから。
港で働く者たちも彼らへ畏怖と敬意の眼差しを送っている。
同じ海に生きる同志として、また命を顧みぬ蛮勇を畏れて、大樽を担いで船と岸壁を往復していく。
厨房に篭っていたハリヤードが、朝飯とばかりに干し肉サンドを皆に配った。
水夫も作業員も貪るように頬張り、着々と船出の支度が整えられて、昼前には粗方の作業も一段落していた。
メインマストの見張り台で都の風景を見物していたタックが、大通りの真ん中を堂々と闊歩して船に戻ってくるヘンリーの姿を捉えた。
「船長のお戻りだよ!」
マストの上から仲間たちに報せ、待ってましたとばかりに皆が岸壁に下りていく。
一方、ヘンリーは口にパイプを咥え、灰色の髪を掻きむしりながら低く唸り、皆の出迎えをちらりと見渡した後にウィンドラスの肩を叩いた。
「船長室へ」
「わかりました」
只ならぬ空気に水夫たちが息を呑む。下手に声をかければ顔面を殴り飛ばされそうな、そういう尖った空気をヘンリーは醸し出していた。
「おお、怖い怖い」
「黒豹姐さん、船長はどうしちまったんですかねえ? いつにも増しておっかねえや」
「ああいうときは放っておくに限るよ。オレたちはいつでも動けるように待機だ」
古参の甲板長にそう言われては水夫たちも言葉を噤み、各々が自由なことをしつつ、再び船長が顔をだす時を待った。
さて、船長室に右腕を呼び出したヘンリーはソファに腰を沈め、机の上に海図を広げていく。
「船長、次の目標は? 陛下はなんと?」
ヘンリーは一度ウィンドラスの顔を見ると、無言でさらに何枚か海図を広げてワインの瓶で重石をし、ある一点を指で叩いた。
両国の境界の海上に佇む小島。
だが途端にウィンドラスの顔が青ざめる。
「正気ですか!」
思わず机を拳で叩いた。
ヘンリーは案の定といった風に溜息を吐き、紫煙をくゆらせる。
「残念ながら、アイツは大真面目だったぜ? 本来なら断るところなんだがな。引き受けちまった以上はやるしかあるまいよ」
「ですが……よりにもよって、敵の前線基地を強襲しろとは……」
二人が見つめる敵の小島。
されど帝国にとって長年の頭痛の種であり、南方王国の最前線基地でもある。 当然守りも堅牢で海上にも巡回する軍艦が考えられる。
そこを強襲して奪取しろというのが、ヘンリーがルーネから仰せつかった依頼だった。
戦慄するウィンドラスを前に当のヘンリーは不敵に笑ってみせる。
「やれやれ、女帝様の私掠船ってのは苦労が絶えんなあ」
「船長……陛下は南方王国との開戦をお望みなのですか? 前線基地を叩けば、相手も黙っているはずがありません。戦になりますぞ!」
未だ納得いかないウィンドラスの怒号が響く。
敬虔な平和主義者らしい彼の言葉はヘンリーの心を動かすには至らず、むしろ彼の獰猛な闘争心を掻き立てた。
「戦だと? 大変結構なことじゃねえか。国も俺たちも根っこは同じだ。最終的には武力で相手をねじ伏せ、土地も金も奪っていく。なぜなら人も獣だからだ。それに案外、戦にならんかもしれないぜ? 俺達が敵の基地をぶっ壊せば相手もビビるかもしれん」
「そんな楽観的な……」
「とにかくアイツの依頼はそういうわけだ。航海計画を立ててくれ。皆には出港した後に俺から説明する。俺達の生き死には、お前さんの腕前にかかってるんだ。一つ頼む」
と、信頼する航海士の肩を叩いた。
納得出来ずとも仕事に一切の妥協を許さぬウィンドラスは、早速海図室に篭って定規と鉛筆で海図に航路を書き込んでいく。
敵艦の予想航路、海軍から取り寄せた敵基地の大まかな情報や地形から算出した砲台の位置などをメモに纏めた。
当日の天候も気がかりだが、襲撃に適した時間帯に船を運用出来るようにスケジュールを組む。
毎度のことながら、いざ仕事に取り掛かると時間を忘れて作業に没頭していた。
海図との睨めっこを中断し、手の温もりが移ったコンパスや鉛筆を道具入れに仕舞う。
気がつけば空は夕焼けに染まっているではないか。
傍らにはいつの間にかタックが持ってきた昼食が置かれており、ウィンドラスは自分の迂闊さを恥じらいながら冷め切った小麦のオートミールを胃に流し込む。
商船に乗っていた頃もそうだったが、毎回毎回航海計画を立てるときは、もう二度と港へ戻って来られない思いがしていた。
故に完璧な計画を心がけてきた。
これで沈むことになっても、悔いることがないように。
しかし、次の航海は生きて帰る自信など全く無い。
されど船を降りる気も毛頭無かった。
たとえ地獄の底に落ちることになろうとも、ヘンリーの側に仕え続ける。
「全く……私も存外に、愚かな男だな。主よ、どうか我らをお護り下さい」
ウィンドラスは天に向かって十字を切る。
明日の出港は死出の旅路となるかもしれない。
今はただ、ヘンリーにすべてを賭けるより他になかった。
自らの運命も、そして帝国の行末も……。




