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女帝 ①

「なによ、これ? 話にならないわ」


 一枚の羊皮紙が無惨にも破り捨てられた。

 ただの羊皮紙ではない。議会で承認された新法案が、である。

 発布するために女帝の御名御璽を求めた文官は目の前で起きた出来事に言葉を失った。

 女帝ルーネフェルト・ブレトワルダは不機嫌な空気を醸し出し、アンティークな椅子に腰掛けた状態で足を組み、頬杖をついて文官を見据える。

手入れの行き届いた金色の髪は滑らかで、サファイアのような蒼い瞳が特徴的な帝国の長。

華奢な肢体に金糸で装飾された真紅のドレスを纏い、頭に皇帝の象徴たる薔薇の冠を被っている。

脚に穿いた白いタイツを曝け出すことに恥じらうこともなく、ルーネは文官を問い詰めた。


「で、この『臨時徴兵ニ関スル法案』とやらの主旨を説明して下さるかしら?」


「ははっ……いざ戦時となれば現在の常備軍だけでは不足の事態も考えられるため、地方の農民や町人などを貴族の厳正な審査の上、臨時の兵役に――」


「却下よ」


 と、今しがた破り捨てた法案を燭台の蝋燭の炎で焼きつくした。

 彼女の行動は帝室のしきたりを覆すものである。先帝、すなわち彼女の亡き父までは、皇帝は法案や大臣を自身の御名御璽ぎょめいぎょじを以って「承認」するのが主な仕事であり、それを拒否したのは恐らくルーネが歴代でも初めてのことであろう。

 玉座に就いてからというもの。ルーネは徹底的な宮中の改革に勤しんだ。

 先の大公、先帝の弟にしてルーネの叔父の反乱に加担した貴族は領地を没収された上に地方へ流され、また日和見を決め込んだ大臣なども職を解かれた。

 また既存の貴族の腐敗にも鋭くメスを入れ、民から不正な重税を取る者に対しても厳しく罰則を加えた。

 それらのこともあって貴族たちは女帝に益々忠誠を示すより他になく、逆に民衆からは絶大な支持を受けていた。

 奴隷解放宣言をしたことも彼女の功績といえよう。

 他国から帝国へ売られた奴隷身分の者たちは、希望すれば祖国へ帰還させ、また帝国に留まる者には自国民と変わらぬ待遇を約束した。

 おかげで奴隷商売も出来なくなったので財政が危ういと宣う者もいたが、ヘンリーをはじめとする私掠船が持ち帰る他国の金品や交易品によって、帝国は裕福な状態を維持している。

 その代わりに他国の外交官や大使から口喧しく抗議されることも多くなったのだが。


「臨時に集められた素人が役に立つと思って? 我が帝国軍はたとえ少数であったとしても他国に決して負けない精鋭を揃えておきたいの。特に海の上ではね。ともかく、この法案は認められないわ。議会や大臣たちにもそう言って頂戴。ただし国を憂いて志願する者に関しては歓迎するわ。その辺りを再度審議の上、書類にまとめて提出なさい」


「……御意のままに」


 ぴしゃりと言いつけられた文官が苦々しく執務室を出て行くと、入れ替わる形でヘンリーが顔をのぞかせた。


「よお、邪魔するぜ?」


「ヘンリー!」


 不機嫌な顔から一転してルーネは笑顔を輝かせ、ガタリと音を立てながら彼の側へ歩み寄る。


「三年ぶりかしら? また会えて嬉しいわ! いつ都へ?」


「つい先程にな。お前さんから呼び出し食らって、何のことやらってところだ」


「突然でごめんなさいね。詳しい話はまた明日にでもするから。ああ、座って。今お茶を用意させるから。船長は……コーヒーよね?」


「砂糖は無しで頼むぜ?」


 ルーネは侍従を呼びつけ、ロイヤルミルクティーとブラックコーヒーを注文した。

 間もなく茶請けの焼き菓子と共に熱い飲み物が運ばれ、衛兵も侍従も人払いして二人きりの茶会が始まった。


「潮の香りがするわ……船長はいつも海の上。私はすっかり潮気が抜けちゃった」


「乗りたけりゃ、また乗せてやってもいいぜ? ただし、見習いとして、な」


「ふふ。そうしたいのは山々だけど、仕事の方も山々なのよ」


 溜息混じりに彼女が指さした机の上には、まだサインを書かねばならない書類の山が列を成していた。


「この前なんてね、南方の国から使者が来て、いきなり抗議を始めたのよ。貴国の海賊ヘンリー・レイディンを何とかしてくれ、ってね」


「ほう。で、なんて答えたんだ? 悪逆無道の海賊を縛り首にしてやるとでも?」


「まさか。堂々と言い返してやったわ。海賊レイディンなどいません。我が国にいるのは、准男爵にして女帝ルーネフェルトの私掠船、ヘンリー・レイディン卿だけです。文句があるなら彼自身に訴えなさい。なんてね」


「くくく、お前さんも言うようになったじゃないか。相手はさぞ機嫌を損ねただろうよ」


「ええ。あのときのムスッとした顔を船長にも見せてあげたかった」


 得意気に話すルーネは甘い茶を一口啜り、三年前を思い出すように天井に目を向ける。


「あーあ。自分で決断したことはいえ、やっぱり女帝って嫌な仕事。どいつもこいつも私に気を使ってばっかり。船長みたいに、無遠慮に話してくれる人がいると助かるわ。久々にハリヤードさんのお料理も食べたいし、タックとお買い物にも行きたい」


 楽しかった思い出の日々が脳裏に蘇り、ルーネが少し寂しげな顔になるのを見て取ったヘンリーが、扉の外で待機している二人に声をかける。


「おーい! 入って来い!」


 執務室の扉が開き、少し緊張した面持ちのウィンドラスとタックが入室した。


「ウィンドラスさん! それに、タック! お久しぶり!」


 居ても立っていられなかったルーネは、はしたなさも忘れて親友のタックに抱きついた。

 途端にタックの顔が真っ赤に染まって顔から湯気が出んばかりになり、あわあわと狼狽しながらもルーネの肩を持ってゆっくりと引き離す。


「ひ、ひ、久しぶりだね、ルーネ! その、えっと、すごく綺麗だと思う!」


「えへへ。ありがとう。ウィンドラスさんも、相変わらず船長に振り回されているの?」


「全く、苦労が絶えません。女帝陛下に於かれましてはごきげん麗しく」


「もう。そんな堅苦しい挨拶なんてやめてよ。黒豹姐さんたちは、都かしら?」


「ああ。連中、今頃都の酒場で楽しんでいることだろうよ」


 音を立てて焼き菓子を咀嚼するヘンリーに、ルーネが何か思いついたように手を叩く。


「そうだわ。せっかく都へ帰って来てくれたんだから、今宵は三人とも宮殿に泊まっていってくれないかな? 久々にゆっくりとお話もしたいし」


 彼女の提案を聞いたヘンリーが部下二人に意見を問う。


「お前ら、どうする?」


「陛下直々の申し出ともなれば私は是非もありません」


「お、オイラも、ルーネとご飯食べたい!」


「だとさ。ただしテーブル・マナーとやらは期待するなよ?」


「ご心配なく。早速部屋を手配させるから、今日はゆっくりと休んで頂戴ね?」

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