招集 ⑤
切り立った断崖絶壁の海峡の奥に、帝国の象徴たる純白の都が水面のほとりに佇んでいた。
岸壁には敵の侵入に備えて幾つもの砲台が設けられ、街路を行き交う人々も身なりがよく、キングポートとは別世界のような清潔さを保っていた。
また都の一角に設けられた巨大なテントの内側では、臣民への娯楽として、サーカスやミュージカルが日々催されている。
グレイ・フェンリル号が係留された桟橋にも、帝国が誇る多数の軍艦がマストを連ねていた。
上陸のためのタラップが掛けられ、ヘンリーを先頭に荒くれ者たちが都へ歩を進めていく。
人々は突然のことに何事かと驚いていたが、先頭を歩く船長の姿は、都の人間たちの記憶に新しかった。
三年前、現在の女帝が皇女でありし頃に、彼女を帝都まで送り届けた救国の英雄であると人々に記憶されていたからだ。
ともすれば都の人間たちは手を叩いて英雄の帰還を歓迎し、家々からは心ばかりの一輪の花が降り注ぐ。
普段の豪胆ぶりから少々の気恥ずかしさを顔に浮かべ、部下たちを一旦都に置いておき、ヘンリーはウィンドラスとタックを伴って宮殿へ赴いた。
正門の前には精鋭の証であるレッドコートを纏った兵士が立っており、流石に女帝の警護を受け持つだけあって姿勢に隙がなく、ヘンリーの顔を見るや礼式に則った敬礼を送った。
綺羅びやかさもフォルトリウ伯の館とは比べ物にならない。
エプロン姿の使用人たちが忙しそうに走り回り、あるいは貴婦人たちが午後の茶会について談笑していた。
宮中を自由に歩ける者といえば、爵位を持つ貴族とその夫人、あるいは使用人か近衛兵なので、服装を見れば大体どういう身分かわかる。
誰も彼も清潔な身なりで、汚れた船の生活など何一つ知らない連中ばかり。
ヘンリーはこういう空気が嫌いだった。実力もない癖に、貴族という肩書だけで鼻高々と生きる彼らがひどく醜く映る。
対して、貴族たちもヘンリーのことを忌避していた。
元が海賊だ。
いくら女帝のお気に入りとはいっても、所詮は礼儀作法も宮中のしきたりも知らない下賤の者。という視線がそこかしこから飛んでくる。
すると一人の男が彼に近づいてきた。肥え太ったその中年男性は男爵で、貴族世界では最も位が下であるが、少なくともヘンリーよりは立場が上なので厭味ったらしい笑みを浮かべている。
「これはこれは、准男爵殿。ご機嫌麗しゅう。ご活躍の噂は予予伺っておりますぞ。今回も南方の諸国を震え上がらせたとか。いやはや、流石に、海賊公は違いますなあ」
皮肉たっぷりの笑いを浮かべる男爵の胸ぐらを、次の瞬間には掴みあげていた。
笑いから一転して顔を青ざめた男爵の顔をヘンリーの猛獣じみた眼が覗き込み、脂肪で膨らんだ喉に銃に見立てた指先を突きつける。
「いいか、よく覚えておけ豚貴族野郎。相手が貴族だからって媚びへつらうようなそこいらの小悪党と俺が同じだと思ったら大間違いだぞ。俺は手前らの言う作法なんざ知ったことじゃねえ。俺の作法はただひとつ。食うか、喰われるか、だ! とっとと失せろ!」
掴みあげていた男爵を床に投げ飛ばすと、彼は脱兎のごとく逃げ去った。
「ケッ、臆病者が。これだから御屋敷育ちのボンボンは嫌いなんだよ」
「船長、お気持ちはわかりますが、あまり宮中で騒ぎを起こさないで下さい」
ウィンドラスの諫言も聞き流したヘンリーは、適当な使用人を捕まえて女帝の居場所を聞き出す。
「陛下でしたら、今は執務室にいらっしゃると思いますが……その、お忙しいので突然の面会は……」
「あのな、俺はその女帝陛下に呼び出しを食らってここまで来たんだ。アイツにヘンリーが来たと伝えろ。そうすりゃわかる」
「は、はい……仰せのままに」
先ほどの一件を見ていた使用人の少女は酷く怯えて声を震わせており、解放したヘンリーは無遠慮に談話室のソファに腰掛ける。
どこもかしこも黄金やら瑠璃で装飾されて眩しいことこの上なく、タックもお伽噺の国に迷い込んだかのようにソワソワと落ち着きがない。
薪が静かに燃える暖炉の前で、気を利かせた使用人が用意した紅茶を飲みながら沙汰を待っていると。
「相変わらず粗暴だな、貴様は」
凛とした女性の声色が聞こえた。
背後に目を向ければ、真紅のオーバーコートと白ズボンに身を包んだ軍人が立っている。しかしその胸に付けられた勲章が、彼女が武功著しい指揮官であることを示し、また女の身でありながら伯爵家の当主であることも周知の事実であった。
海軍少将ローズ・ドゥムノニア女伯。
銀色の髪を靡かせ、ヘンリーの前に立つ彼女は、かつて皇女のために共に戦った戦友へ手を差し伸べた。
ヘンリーは差し出された白い手を握り返し、ソファから立ち上がる。
「お前さんも相変わらず背伸びをして生きているようだな」
「当然だ。女が海で生きていくには、男よりも強くあらねばならないからな。まだまだ貴様には負けないぞ」
「そりゃいい。だが、お前さんのサーベルはもう相手にしたくないがな。で、アイツには会えるのか?」
女帝への謁見を催促するヘンリーに、ローズは顔をしかめる。
「陛下、とお呼びしろ。貴様も我が帝国の爵なのだぞ?」
「俺にとっちゃ、アイツは今でも見習いの小娘だ」
「はぁ……呆れた奴だ。だが、まあ、そんな貴様だからこそ、陛下も信頼されたのだろうな。ついてきたまえ。執務室へご案内しよう」
かくしてヘンリー・レイディン船長は、三年ぶりに主君にして見習いである少女と対面するのであった……。




