招集 ③
帝国領キングポートは、マーメリア海と北方の帝国本土の間に佇む小島であり、多くの商船や私掠船が休息するための重要な港である。
種々の帆船が停泊する岸壁はマストの森と呼ばれ、一度町に足を踏み入れば、そこには海の荒くれ共の楽園が待ち構えている。
昼間から賑わう賭場と酒場、美しくも金に汚い娼婦たちが男を魅了する娼館通りなど、この世の悪徳をこれでもかと詰め込んだ町並み。
真っ当な人生を歩む者からすれば薄汚れた掃溜のような場所に違いない。
が、船乗りから言わせればお行儀のいい人生など真平ごめんであるし、何よりも日陰者だった悪党共にとって、今しがた母港へ戻ってきた私掠船の首領こそ、彼らにとって紛うことなき英雄なのだから。
他の商船よりも一回りも二回りも大きな船体を誇るグレイ・フェンリル号が姿を表すと、噂を聞きつけた町の住人たちがこぞって出迎えに集い始めた。
算盤片手に略奪品の荷降ろしを待つ闇商人やら、馴染みの娼婦やら、中には借金取りまで見受けられる。
水夫の誰かが返さないまま船に乗り込んだのだろう。
だが一時間もすれば、両手から溢れんばかりの黄金を抱えた水夫の姿に驚くはず。
嵐のような歓声の中を入港した狼たちは、早速今回の獲物を港へ卸していく。
商人との商談は決まって航海士のウィンドラスで、船長のヘンリーは荷役業者と自身の部下を指図しながら、囲んでくる荒くれと娼婦の相手をしていた。
「よぉ、船長! 今回も大猟だったみたいじゃねえか! 土産話を聞かせてくれよ!」
「おう、後でな。レディース&野郎ども、今夜は俺の奢りだ。店一つ貸しきってやるから、ただ酒飲みたい奴は楽しみにしてろ!」
気前がいい言葉に男も女も手を叩いて喜び、彼を称える声は暫くたっても消えることはなかった。
商人たちも質のよい香辛料や織物を良い値段で買い取っていき、かくして生真面目に陸地で働いている者の数年分の給料に匹敵する富を得た水夫たちが、この世の楽園へと喜び勇んで踏み出していく。
飛び交う金貨の山に賭場は大盛況となり、また長い航海に疲れた男たちを女の柔肌が優しく包み込む。
そんな手下たちを見送るヘンリーの肩を、黒く日焼けた手が気さくに叩いた。
「ヘンリー、今晩はオレと一発ヤラないかい?」
振り返ると黒い肌に刺青を彫り込んだグレイ・フェンリル号の女甲板長、黒豹がいた。
戦いともなれば誰よりも先に敵船へ乗り込んでいく女傑だが、ヘンリーの背中に身体を押し付ける今の彼女は、そのしなやかな肢体も合わさって何処か艶やかに見える。
するとヘンリーは苦々しい顔を浮かべて、黒豹の額を指で押しのけた。
「勘弁してくれ。お前との一夜は男女の営みじゃねえ。野獣の交尾だ」
「ははっ、言ってくれるじゃないか。じゃあ今夜は適当な男を捕まえてやろうかな」
などと笑いながら手下たちを追う黒豹だったが、果たして彼女のおメガネに叶う男が何人いることやら。
大抵は殴り飛ばされて逃げ帰るのが関の山だ。
無論、男の方が、である。
ヘンリーも部下たちと共に騒ぎ、美酒に酔いしれることを何よりの楽しみとしている。
が、その前に、キングポートの領主に一言挨拶をするため、彼は行き先を小高い丘の上に佇む白い館へ向けて歩き始めた。
鉄格子の正門には赤いコートを来たマスケット兵たちが立っており、准男爵であるヘンリーの姿を見るや、背筋を伸ばして敬礼を送った。
「おう、朝からご苦労」
この悪徳の港を取り仕切る領主の館だけあって、中に入るとエントランスからして大理石やら琥珀やらで豪奢に彩られ、赤い絨毯が敷かれた階段を上がって、二階の奥の部屋をノックする。
「おい、起きているか? 俺だ、ヘンリーだ」
返事を待たずしてヘンリーが扉を開けると、白いバスローブに身を包んだ、白粉顔の伯爵が執務机に着いていた。傍らには種々の宝石が詰まった小箱が置かれ、香ばしいコーヒーの匂いが部屋の中に満ち溢れていた。
「やあ、船長。そろそろ来る頃かと思っていたところだよ」
「相変わらず真っ白な顔をしてやがるな。フォルトリウ伯さんよ」
キングポートの領主、フォルトリウ伯爵。かつて帝国を震わせた反乱事件において地位を剥奪されたが、再び爵位を取り戻し、この島へ戻ってきた男である。
ヘンリーとフォルトリウは、爵位の差を感じさせない程に昵懇な空気で相対していた。
「航海で疲れたことだろう? ワインでもどうかね? ああ、君はラムのほうが好きだったねぇ」
「なに、せっかくのお勧めだ。ワインを貰うとしよう」
ドカッと無遠慮に適当な椅子に腰を下ろしたヘンリーは、優雅に脚を組み、極上の赤ワインで乾いた舌を潤していく。
するとフォルトリウ伯は、どこか懐かしむかのような目線で天井を見上げた。
「船長から漂ってくる潮の香りを嗅ぐと、あの航海の日々を思い出す。地位を剥奪され、無一文となった私を船に乗せてくれたこと、今でも感謝しているよ。尤も、私にはとても船上勤務は務まらなかったけどねぇ。ふふふ」
「ああ、いつもいつも船酔いしてロクに綱も引けなかったからな、お前さんは。だが悪運だけは一人前のようだ。俺も驚いたぜ? 略奪品を売り払った金で地位を取り戻すとはな」
パイプから紫煙をくゆらせるヘンリーの顔に、呆れた笑みが浮かぶ。
同時に、フォルトリウ伯は大きく首を横に振った。
「いやいや、船長、君の計らいよるところが大きいよ。女帝陛下に口添えをしてくれたのだろう? この帝国でも、陛下と直に言葉を交わせるのは、船長と一部の者だけだからねぇ」
「あまり買い被るんじゃねえよ。貴族様をどうするかはアイツの仕事で、俺の領分じゃねえ。第一な、この港はお前さんじゃねえと纏まらんよ」
徐ろに視線を向けた先には、真紅のドレスに身を包み、黄金の薔薇冠を頭に載せる、金髪碧眼の少女の肖像画が飾られていた。
「アイツは上手くやってるのか?」
和やかな空気に乗じて、話題を切り出す。
「敏腕を存分に振るわれていると聞いているよ。生憎と私は嫌われ者だから、あまり社交界にはお呼びがかからないからねぇ。おかげで新聞とやらの有り難みが身に沁みたよ」
と、フォルトリウ伯はヘンリーが航海している間の記事を覚えている限り語ってみせた。
女帝による奴隷解放宣言から始まり、先のクーデターに加担した貴族の処分や、議会の改革など、政治が苦手なヘンリーには耳が痛くなる話ばかりだった。
しかし、彼女が元気に己の責務を全うしていると聞いたときの顔は、どこか誇らしげでもあった。
領主の館を後にしたヘンリーは、マストの森を脇に見つつ、仲間たちが屯している繁華街を通り抜けて行きつけの酒場の戸を押し開ける。
名を海猫亭。
陰気な店内にアコーディオンの音が曲を奏でる、彼にとっては思い入れの深い場所。
カウンターの奥でグラスを磨く初老の店主にラムを注文して、一人静かに隅の席で美酒を味わう。
同じ店内にいる荒くれたちも尊敬と畏怖の眼差しをヘンリーに向けていた。
かつては些細ないざこざで喧嘩に興じていた相手が、まさかここまで出世することになるとは思いもよらなかったことだろう。
尤も、当の本人は彼らの視線を全く意に介さずに、あの日のことを思い起こしていた。
単なる海賊に過ぎず、またフォルトリウ伯に顎で使われる一介の私掠船に過ぎなかった己に転機が訪れた日のことを。
そして、一人の少女との出逢いを。
彼の船に見習いとして乗り組んだ少女は帝国の玉座へ座り、彼女直属の私掠船となったヘンリーもまた、以前と同じように、自由の海で自由に生きている。
気がつけば、三年という月日が流れていた。
楽しく図太く短く生きるというのが彼の人生のモットーであるが、ここのところの航海で闇に包まれていた未発見の島なども随分と見つかり、海図の面積も広くなったものだ。
やがて新たな航路も開発され、そこが彼の新たな狩場となるであろう。
国家公認の私掠船とはいえ、本質は他国の船を略奪する海賊なのだから。
そんなことを考えつつテーブルの上で揺れる蝋燭の炎を見つめていると、不意に、店の戸を開ける音が聞こえた。
見れば、グレイフェンリル号でキャビンボーイをしている、未来の船長と自ら宣う少年タックが駆け寄ってくるではないか。
「船長、今しがた船に都から手紙が届いたよ。はい、これ」
「おう。わざわざスマンな」
タックから手紙を受け取ったヘンリーが差出人を確かめると、驚くべきことに、ほかならぬ女帝の名が記されていた。
眉をひそめながら乱雑に封を切ると、中には一枚の羊皮紙が収められいた。
覗きこもうとするタックの頭を指先で押さえながら文面を黙読したヘンリーは、低く唸り、ラムを一息に飲み干す。
「タック、船に戻ってウィンドラスに伝えろ。出港は三日後。行き先は……帝都、だ」




