私掠船 ⑤
海峡を抜けて海原へ出たことでホッと一息ついたヘンリーだったが、すぐ側で甲板に座り込むルーネはひどく落ち込んでいた。
彼女にとってかけがえのないものが一気に失われ、見知った者たちが殆ど死んでしまった。
自分だけが卑怯にも生き延びてしまったように思えてならず、罪悪感に苛まれていたことは想像に難くない。
黒豹もタックも、同じく船に乗り込んだメリッサさえも、なんと言っていいのか分からずに彼女を見守るよりほかに無かった。
「船が見えるぞー!」
見張り台の水夫が甲板に向かって叫ぶ。
左舷の方向、東から近づきつつある戦列艦の艦首にローズの姿を確認した。
その後方に曳航されたグレイ・フェンリル号の姿もあった。
「陛下! よくぞご無事で!」
「ローズ……」
跪くローズに何と声をかければいいか、ルーネは迷った。
彼女が生きていたことを喜ぶべきか、それとも国を滅ぼしてしまったことを詫びるべきか、はたまた何も言わぬままでいるべきか。
ローズも彼女の気持ちを察して無言で温かく抱きしめた。
スループからグレイ・フェンリル号に移乗したヘンリーは、ローズに最後の策を実行するよう促す。
しかし、ローズはその策は初耳であり、ヘンリーに詰め寄る。
「おい! 話が違うではないか! これから帝都を取り戻すのではないのか!」
「もう帝都には戻らんよ。あそこはもう俺達が帰る場所ではない」
「では、お前はこれから何処に行くつもりだ?」
問われたヘンリーはわざとらしく肩をすくめる。
「さあな、俺にも分からん」
「なんだと?」
「そりゃそうさ。俺たちが知らない海、俺たちが知らない土地を目指そうっていうんだ。俺に分かるわけがあるまいよ。なあ、ルーネ?」
「え?」
俯いていた彼女が顔を上げてヘンリーを見れば、彼はパイプに火を灯してルーネの髪を撫でる。
「お前さんに依頼された仕事が一つ残っている。そいつをこれから果たす」
「それって……」
「俺達と一緒に行くんだろう? 世界の果て、この海の全てを暴く旅に。俺が連れていってやるよ。お前がくれたこの船で。俺はな……これからも、お前の私掠船でいたいんだ。どうだ、ずっと俺の側にいてくれるか?」
途端に、ぽろぽろと熱い水玉が目の端から溢れ出した。
拭っても拭っても止まらず、ただただ頷くことしか出来ない。
それを目の当たりにしたローズも覚悟を決めて水兵たちを全てグレイ・フェンリル号へ移させ、インペリアル・グローリアス号の舵輪を固定し、帝都の入り口である海峡へ突入させた。
巨大な船体が狭い海峡の中で岩礁に乗り上げ、さらに船内に仕掛けられた爆薬が炸裂したことで海峡を通過するための航路が閉塞された。
しかし、大きな問題が残っていた。
すなわち物資の不足である。
食料も水も生活品も足りない。
そんなとき、見張りが更に一隻の商船を発見した。
「船長! やっこさん、どんどんこっちに近づいてきまーす!」
望遠鏡で確認すると外洋航行用の大型商船だった。
そして、その船を指揮していたのは……。
「ウィンドラス……」
接舷を求める旗旒信号を掲げた彼の船が横付けされ、以前に袂を分かった友が遠慮がちに彼の前に立つ。
「どうした? 給料の貰い損ないでもあったか?」
「いいえ。船長に届け物です。食料に水、そして衣料品に航海器具と最新の海図です。これからの長旅には、必要な物資でしょう?」
「なぜ俺が世界の果てに行くとわかった?」
「私はあなたの航海士ですよ? いえ、言い直します。船長、もう一度、あなたの船に乗せていただきたいのです」
「その船と物資はどうした?」
「商人たちに出資させました。もちろん、踏み倒しますよ」
「なんて悪い奴だ。お前は神に逆らわないんじゃなかったのか?」
するとウィンドラスは今まで肌身離さず持っていた聖典を、なんと海へ投げ捨てた。
「考えてみたんですが……私達の友情を壊す神なんて、ロクでなしですよ」
「くくっ……ははは! そいつはいい! さあて、ウィンドラス君! 航海計画を立てるぞ!」
「はい、船長!」
「黒豹! 舵取りを頼むぞ!」
「おう!」
「ハリヤード! 海軍のコックに遅れを取るな!」
「サーイエッサー!」
「タック! エドワード! 長い航海だ、船の点検を怠るな!」
「へーい!」
「はいッス!」
「ジブ! いざってときはおまえさんの腕が頼りだぞ」
「ヒヒヒ……任されよ」
「ローズはウィンドラスと航海計画を、メリッサはハリヤードの手伝いだ」
「了解した」
「わ、わかりました!」
「その他の野郎ども! とっとと仕事にかかろうかい!」
各々が船長の指示に従って忙しく仕事に取り掛かる。
そんな中、ルーネは船尾に立ってナイフを鞘から抜き、水平線に消えゆく故郷の大地を凝視しながら自らの髪を切った。
かつて彼女が見習いとなったあの日と同じ髪型であり、吹き抜ける潮風によって切られた髪が舞い散る。
「さようなら……ルーネフェルト」
見上げた空に、父や母、叔父、仕えてくれた臣下たちの顔が浮かぶ。
皆が見送ってくれていた。
今はただ、出かけるだけのこと。
世界を一周して、皆が笑って暮らせる国を作って、いつかこの地に戻ってこよう。
そう心に決めたルーネの耳に彼の呼び声が聞こえた。
「おい、ルーネ! 俺の見習い娘はどこにいった! 船長室までコーヒー持ってこい!」
「フッ……はーい! 今いきます!」
故郷を捨て、血筋を捨てた彼女はただ一人の少女となった。
グレイ・フェンリル号は遥か水平線の果てを目指して帆を進める。
この後、彼らは歴史の表舞台から姿を消す。
後世の歴史家の間では彼らの航跡は長らく追い求められ、当時の海図に描かれていない国々に彼らの痕跡を匂わせる伝承が残されているが、その最終的な行方はわかっていない。
余談ながら、革命後の帝国について軽く触れておきたい。
レオンを筆頭とした評議会は正式に共和国の樹立を宣言し、旧帝国の主だった貴族や高級軍人たちを処刑あるいは国外追放し、民衆による自由選挙によって新たな人民議会が発足した。
ところが議員として選ばれた農村の代表者や町の有力者たちは国を動かすだけの政治力は無く、しかも彼らは今まで味わったことがない権力と利権の毒蜜に蝕まれて貴族以上に不正が横行。議長を務めたレオンは革命の理念と理想を訴え続けたが、民衆は議会が定めた生産計画に疲れ果て、食料の分配もままならずに飢餓に苦しんだ。
議会はこの責任をレオンに押し付け、獄中で衰弱死する直前に彼は手記に以下のように書き遺す。
嗚呼、陛下。あなたは正しかった……と。
やがて国内では内乱が勃発し、更に共和国として組み込まれていた旧南方王国などで独立運動が激化し、共和国は僅か五十年の歴史を経て消滅。
血で血を洗う長く虚しい紛争が続くことになる。
後の人々は栄光に満ちた帝国時代を懐かしみ、復興を目指してブレトワルダ家の血統を探し求めたが遂に発見されなかった。
もしも彼女の治世が続いていたら、もしも革命が起きなければ、帝国が全世界を征服していたかどうかはしばしば議論の種となっている。
同時に、彼女が名君であったのか暴君であったのかも学者の間で意見が分かれた。
ともあれ、伝説的な海賊と皇女の物語は後世の人々の想像力を掻き立て、独自の解釈と脚色を加えて歌劇となり、絵物語となり、小説となり、映画となった。
本作もそのうちの一つである。
彼らが何処へ行き、如何なる終わりを迎えたのか。
その真実を知っているのは、悠久の時を経て尚も変わりない、この海だけなのかもしれない。
ここまでお付き合い頂きまして、心から御礼を申し上げます。
三年半近くにも渡って連載を続けて参りました本作も、遂に完結と相成りました。
それもこれもひとえに応援して下さった読者様のおかげで御座います。
思えば本作を書き始めたキッカケは、なろうにおいても、また出版された書籍におきましても、海洋冒険ものというジャンルが大変希少なことから、ならば自分が書いてやろうと一念発起したところから始まりました。
有り難いことに多くの評価、ブクマを頂き、こうして無事に完結に至ることが出来ました。
改めまして、皆様に最大限の感謝と敬意を申し上げ、この作品を締めさせていただきます。
今後共創作活動に精進して参りますので、次回作などもご一読頂ければ幸いでございます。




