思慕 ②
「おい、ヘンリー。これからどうするのさ?」
甲板に集まった乗組員全員を代表して、黒豹が問うた。
ヘンリーは後部甲板の指揮所を歩き回る。
帝都はすでに陥落した。
宮殿は反乱軍に包囲され、ルーネの安否もわからない。
帝国軍もすでに機能していないと考えるべきだ。
こうも呆気なく落ちたということは、内部から裏切り者が出たのだろう。
加えて反乱軍の裏に教会がいるということは……。
ヘンリーは帽子を脱いで髪を掻きむしる。
相手は数万、それに比べてこちらの手勢は百人程度でしかない。
とても勝ち目など……。
「船長! ルーネを見捨てるのか!」
タックが叫んだ。
その言葉でヘンリーの迷いが吹き飛んだ。
彼は階段を降り、皆の前へ歩み寄ると、タックの髪をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「俺があいつを見捨てると思うか?」
タックは激しく首を左右に振った。
「行こうぜ、野郎ども……俺達の見習いを迎えに!」
「うおおーっ!」
全員が高らかに叫んだ。
武器を掲げ、新参も古参も顔を赤らめ、全ての帆が開かれた。
「おいハリヤード!」
「はい、船長。お呼びで?」
「全員に酒と肉を振る舞ってやれ!」
「アイアイサー!」
積み込んだばかりの新鮮な肉が焼かれ、水夫たちの胃を満たし、士気を高める。
言葉には出さなかったが、ヘンリーは今度ばかりは生き延びる自信が全くなかった。
仮に生き延びたとしても、このうちの何人が無事でいられるか。
だからこそ今だけは目一杯楽しませてやりたかった。
彼らがそれに気づいているのかはわからない。
少なくともウィンドラスがいれば相談することも出来ただろうが、全ての作戦をヘンリーだけで考えなければならなかった。
失ってみて、彼が如何に貴重な戦力だったか思い知らされる。
士気向上の宴は夜まで続いた。
その間にも船は着実に帝都へ近づいている。
まさか殺されてはいないだろうが、それでもルーネが危機的状況にあるのは間違いない。
船長室に籠もったヘンリーはワインを片手に幾度も唸った。
第一、ローズは一体何をしていたのか。
忠誠心に手足が生えているような彼女がみすみす反乱軍に帝都を渡すとは考えられない。
よもや反乱軍の手にかかって戦死でもしたか……?
「ああ! もう、わからん! 知ったことか!」
海図用コンパスを部屋の隅へ投げ、ソファに寝転がる。
一体どうすればルーネを救い出せるのか。
こんなことなら無理やりにでも船に乗せておけばよかった。
見通しが甘かったことを今更ながらに悔み、そして、相手の強大さに辟易する。
まだ国を相手にしたほうが動きようがあるというものだ。
ところが今回の相手はまさしく神ときている。
思想や信条で動く連中はヘンリーが最も苦手とするところだった。
なにぶん、舌先三寸でどうにか出来ないからだ。
全くもってやり難い。
そもそも、これは勝ち負けなどあるのだろうか。
何が勝ちで何が負けなのかさえわからない。
「はぁ……やっぱりアイツと出会ってから振り回されるなぁ。どうやって帝都へ潜り込んだものか」
下手に港に乗り込めば彼女を人質にされかねない。
上陸するならば帝都から離れた場所だろう。
そこから密かに帝都へ潜入し、情報を得て、彼女の身柄を確保する。
考えるだけなら簡単だ。
もし、全てが手遅れだったとしたら、そのときはどうするべきか。
「フッ、そのときはとっとと逃げるしかあるまいよ」
殉死などは彼女も忌み嫌うところだろう。
と、ネガティブな思考に入りかけた頭を振って、さらにワインで喉を潤す。
わからないことを考えても仕方がない。
いっそ何も考えず、行き当たりばったりで自分の悪運に全てを委ねてみてもいいかもしれない。
そう考えると気持ちも軽くなり、夜も遅かったので一度眠ることにした。
次に目が覚めたのは翌朝のことだった。
水平線から朱色の朝日が昇り始めた頃合いに、マストでうたた寝をしながら見張っていた水夫が船影を発見した。
「おいおい……右舷前方に船影! 艦隊です! 大型戦列艦もいるぞー!」
甲板にいた全員が右舷に集まった。
ヘンリーも船長室から出て望遠鏡を覗くと、見覚えのある旗艦だった。
インペリアル・グローリアス号……帝国海軍旗艦にしてローズ・ドゥムノニアの船だ。
まさかこんなところで出くわすとは思ってもみなかった。
それは相手も同じ思いだったろう。
接舷を希望する旗旒信号を掲げ、戦列艦の甲板へ上がる。
「おい! ローズのヤツはいるか!」
敬礼をして出迎える海尉に詰め寄ると、件のローズが二人の間に割って入った。
「私ならばここにいるぞ。部下を責めるな。貴様もそうだろうが、こんなところで合流出来るとは思いもよらなかったぞ」
「ああ、俺も驚いている。だがな、お前さんに一つ言いたいことがある」
「なんだ?」
周囲の兵士たちを動揺させぬよう、ヘンリーはローズの耳元で強く囁いた。
「こんなところで一体何をしている! 知らんのか? 帝都が陥落したんだぞ!」
「反乱軍に包囲されたことならば知っているさ。だが、第一軍団と近衛軍団が宮殿を固く守って……いや、待て、まさか……帝都が陥落したというのは……」
「そうだ! 宮殿は奴らの手に落ちた! ルーネもだ! 陸軍の誰かが裏切ったんだ! 俺は確かにお前に言ったはずだぞ! アイツを守ってやれと、な。それがこんな海原のど真ん中で一体何をやってる?」
狼狽するローズは目眩を覚え、崩れ落ちそうになる足を何とか立たせ、一先ず彼を提督の公室へ案内した。
そこで彼女は参謀本部での軍議と、ランヌ元帥の作戦内容を彼に伝えた。
第一と近衛の二個軍団で宮殿を堅守し、交渉を繰り返して時間を稼ぐ間に彼が率いる第四軍団が囮となって反乱軍の主力をおびき出し、手薄になった帝都から海軍が女帝を海上へ脱出させる。
女帝の身柄さえ確保すれば、少なくとも軍事的な勝利は出来なくとも帝国として敗北ではない。
ローズは作戦開始時刻まで、直属の艦隊を率いてこの海域で待機していたのだと言った。
軍港で待機するよりは海の上のほうが情報が反乱軍に漏れないからだ。
艦隊内に紛れ込んだ主義者も既に粛清した。
「だが、宮殿が既に落ちたなら、元帥の作戦も頓挫してしまう……もし陛下に万が一のことがあれば……」
「俺が思うに、まだ殺されちゃいないはずだ。黒幕は法王だ。教会の権威とやらを示すために、もっと大々的に、大勢の関心を誘う形で殺るだろう。たとえば公開処刑とかな」
「っ! そうはさせんぞ! さあ、貴様の策を聞かせてくれ。こうなったら私は貴様に従おう」
「お前さんも提督だろう? 少しは自分の頭で策を練ってみろ……と、普段なら言いたいところだがそうもいかん。あの爺さんも流石だな。俺の考えとかなり近い。ただし問題も山積みだが」
「聞かせてくれ」
ヘンリーとローズ、海上で再会した女帝の両翼は地図を交えて互いの智を尽くした。




