海戦 ①
リンジー島襲撃の報せはキングポートに停泊しているローズの下にも届けられた。
彼女は現在爵位を剥奪されたフォルトリウ伯の館に宿泊しており、彼が溜め込んでいた財を全て没収した。爵位と領地を失ったフォルトリウは失意のあまり意識を失い、今まで彼に付き従っていた取り巻きなども瞬時に離れていった。あの冷たい女性秘書も早々と館から消え失せて、今となっては行方が知れない。
兎も角も今まで彼の野心によって成り立っていたキングポートの空気がガラリと変わり、夜を賑わせていた賭場や娼婦は鳴りを潜め、酒場もひっそりと経営するようになってしまった。無法者は容赦なく取り締まりの対象になったのだから。
ローズはいわば潔癖症といえた。元よりこの世の吹き溜まりと言われるこの島に足を踏み入れた途端に彼女は吐き気を催し、ただちに治安部隊を投入してあらゆる規制を敷いた。
一刻も早くこんな汚物のような町から立ち去りたいと思っていたところに舞い込んだのが、先の情報。ローズは舞い上がらんばかりの喜びに包まれた。
ようやく尻尾を掴んだと拳を固めた。
すぐにでも出発したいところだったが、自慢の猟犬も今は港のドックで整備中。
出発は明日以降となる見込みだった。
「奴ら、リンジー島に留まっているでしょうか? 丸一日あれば、また距離が開きますが」
不安を募らせる副長にローズは余裕の笑みを浮かべる。
「奴らは帰る港を失っている。先日の嵐の中を突っ切ったとなれば、船の修理と補給のためにリンジーを襲ったに違いない。なら、今頃は略奪した食べ物や酒を食い散らかしているはず。暫くは動かないはずだ」
「なるほど。しかし、リンジー島は他国の領土。それだけは幸いでしたな」
「旨味のない港など奴らにくれてやるさ。私達の獲物は、殿下を殺めたレイディンの首だけ。整備を急がせろ。三日のうちには接敵するぞ」
「はっ!」
敬礼し、執務室から副長が退室すると、彼女は静まり返った吹き溜まりの町を窓から見下ろす。栄えある帝国に汚物は不要。いっそのこと全てを焼き払ってしまいたい。誰も彼も帝国の法を犯し、帝室を敬わない。そんな者たちは全て奴隷にしてしまえばいい。
敵対するものは容赦なく叩き潰す。
それが、彼女が信じて疑わない正義だった。
疑ってはならないと教えられてきた。男爵家に生を受け、貴族としての誇りと家名に背を押され、女の身でありながら軍に入隊した。自らを騎士とし、帝国の剣として身命を捧げると誓った。
多くの海賊討伐に従事し、同期の戦友たちも水底に沈み、しかし彼女は涙を流すことは許されなかった。誰に言われずとも自身が許さなかった。
忠実に任務をこなし、帝国を勝利の花で飾る。
それだけが彼女の生きがいであり、此処にいる意味だった。
勿論貴族の令嬢でしかも士爵となれば見合い話は山のように出てくる。
殆どが貴族同士の政略結婚で、相手の男性もいずれは伯爵や公爵となる身。
だがそれだけでは足りない。貴族の家に産まれ、裕福な暮らしに甘んじている弱々しい男など真っ平だった。弱々しい男を育む宮廷暮らしも真っ平だった。ドレスで着飾り、連日の舞踏会で男性の機嫌を伺い、陰で男たちと姦淫に耽る貴婦たちも大嫌いだ。
虫唾がはしる。
男に抱かれるなど考えるだけで、彼女の腸が煮えくり返った。
だからこそあの男が憎い。かつて宮殿に参内した際、皇女ルーネフェルトの姿を見た。蒼い目、金色の髪、神が創造した人間の中でも特に傑作だと思える美しさだった。
女ながらに見惚れた。
そんな皇女が海賊たちに犯され、奈落に沈められたとなれば怒らぬほうがどうかしていよう。胸のうちに燃え盛る青白い炎を鎮め、椅子に腰掛けた彼女は冷め切った紅茶で喉を潤す。
机の上には帝国から正式に発行された指名手配書が置かれていた。
ヘンリー・レイディンの首に掛けられた懸賞金は、金貨1000枚。
孫の代まで遊んで暮らせるだけの金が掛けられたとなれば、彼の首を狙う賞金稼ぎだとか他国の軍も動くだろう。何が何でも逃がすつもりはない。まさに袋の中のネズミだ。
「何が灰色狼だ。ドブネズミめ」
だがキングポートで聞こえてくるのはヘンリーの評判ばかり。
半分は船乗りや娼婦たちから海の男としての好評、半分は荒くれや博徒から彼に半殺しにされた悪評。
残りは……死人に口無しといったところ。
しかしこの手配書が出回れば、この町に巣食う悪党どもも眼の色を変えるだろう。
尤もやつを捕らえるのは他ならぬ帝国から任を受けた我々だ、と彼女は短剣を磨いた。
「必ずや……この手で!」
人は海に出ると自然の姿に戻る。
彼女の目は猟犬のそれ。
帝国に飼われる忠実で高貴な獣。
片や見境なく獲物を喰らう気儘な狼。
互いに獲物を追い、牙を突き立てる肉食獣だ。
似て非なるもの。だからこそ噛み付き合う。
彼女もそれは心得ている。水兵たちの士気も高い。皆、愛国者揃いだ。
鈴を鳴らすと部屋の外で控えていた従兵がすぐに駆けつけ、彼女は眠る前のブランデーを注文した。酒は普段飲まないが、胸のうちに燻る怒りを鎮めるには最適だ。
彼女は琥珀色のブランデーを流し込み、清潔なシーツに包まれて眠る。
やがて始まる犬同士の大げんかを前にして。




