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初陣 ②

 第一軍団がエスペシア島に上陸を開始したとき、些細ないざこざがあった。

 というのも先遣の師団が海岸線に築いた橋頭堡があり、輸送船の出入りがやりやすいように桟橋まで設けられていたのだが、如何せん三十隻もの大船団を一度に上陸させることは不可能で、一体どの部隊が敵地へ一番乗りする栄誉を得るのか、という小競り合いが兵科同士で起きたのだ。


 誠につまらない言い争いであったが、彼らからすれば大問題だった。

 そんな彼らを誰よりも先立って上陸した先遣師団の連中が鼻で笑う。

 何が一番乗りか。真の一番乗りはこの橋頭堡を確保した自分たちではないか。

 いいから黙ってさっさと上陸してしまえ、と精鋭たちを嘲笑う。

 ことに声を大きくしていたのは、愛馬を本国へ置かれた不平不満を抱いていた騎兵科の連中であり、せめて上陸するときくらい先陣を切らせろと、騎兵大隊長が食って掛かったのが事の発端であることが判明した。


 上陸用タラップを前にして口から唾を撒き散らす騎兵大隊長の脇を、無言で通り抜けた小柄な老人が皆の視線を背に受ける。

 老人は鼻歌を口ずさみながら足取りも軽くタラップを下りてエスペシア島に上陸してしまった。

 未だ甲板の上から呆気にとられる彼らを見上げる老人は、意地悪く笑ってVサインを作ってみせた。


「やーい、ワシが一番乗りじゃい。いかんのぅ、良い若い者が老人よりも歩みが遅いとは。軍人なら口よりも先に足を動かさんと」


 それを追う形で足早にタラップを下りていくのは、第一軍団の幕僚たちであった。


「大将閣下! あまり勝手なことをなされては困ります!」


「おお、スマンスマン。船の揺れに飽きてしもうたのでな。いい加減地面を踏まんと、腰を痛めて馬にも乗れんわ。それでは女帝陛下の将として格好がつかんじゃろうて」


 この腰の曲がった白髪白髭の無邪気な老人こそが、帝国陸軍の精鋭二万を率いる陸軍大将ヴィクトール・ランヌであった。

 黒地に金糸の肋骨服と白い長ズボンを穿き、肩には軍団長の証である銀色の飾緒が結われた黒い肩マントが羽織られて、丸っこい小さな頭に三角帽子トリコーンを被っているランヌは陽気に笑って、まるで孫達を遊び場に誘うように甲板の兵士たちに手招きをした。

 これによってつまらぬ口論も収まり、半日にも満たぬ時間で二万の将兵らが敵地に上陸を果たした。

 ランヌは早速橋頭堡として設けられた野戦陣地の仮設司令部に入り、先遣師団長のシャルル・ケレルマン中将と面会した。


「閣下、お待ちしておりました。これより先遣師団は閣下の麾下に加わります」


 これによって第一軍団は本来の数である三万程度にまで兵力を整えた。


「ご苦労。元気そうで何よりじゃ。ケレルマン君にはワシの幕僚として、道案内を頼みたい」


「お任せください。既に方々に斥候を遣わしております。また協力的な島民を雇い、敵の主力部隊の位置を探っております」


「了解した。鳥になりたいものじゃのう」


「は?」


「空の上から見れば、敵の位置や陣形が一目瞭然じゃからな。我軍の中に、鳥と会話出来る者はおらんのか?」


「残念ながら、おりますまい」


 苦笑するケレルマンに、ランヌは酷く真面目に落ち込んだ。


「そうか。もしおれば三等兵から一気に少将くらいにしてやりたいものじゃが、無いものは無い。軍馬の確保も急務じゃ。すぐにでも進撃したいところじゃが、将も兵も慣れぬ船旅で参っておる。出立は明日の早朝とするかの。すまんが、飯を喰わせてくれんか? 海軍の乾パンと干し肉にはうんざりじゃ。つくづく陸軍に入隊して良かったと思い知ったわい」


「同感であります」


 ケレルマンもまた、同じ食事に苦しめられたのだ。

 早速にも温かく汁気たっぷりの食事が用意され、兵士たちは陣地内に簡易テントを設けて野営の準備を進めていく。

 明日からいよいよ進撃だ。

 船の上ならいざしらず、この大地に両脚を立てれば右に出る者などいるはずがない。

 下士官や兵士たちは作戦計画が気になって仕方がないようで、ジョニーをはじめとした士官に何度も問いかけるが、実のところ、まだ彼らも詳細を聞いていないのだ。

 攻略対象は何か、戦略目標は何処か、倒すべき敵の数は、またその位置は、自分たちは明日からどちらの方向へ進むのか。

 全てはランヌ大将の胸三寸。

 飄々(ひょうひょう)として何を考えているのか読み取らせないあたりが年の功か、あるいは何も考えていないのか、人生経験が浅いジョニーには判断しかねる。

 しかし、ランヌの抜けているようで堂々たる気風は、一軍を率いる大将としてはこの上なく頼もしいものに思えた。

 他の兵士たちも同様である。


 中には老齢のランヌに対する畏敬と親愛を込めて「老翁シルバーランヌ」と渾名をつける兵士もいた。


 そして、当のランヌ自身も渾名は満更ではない様子であった。

 進撃はせずとも軍議は出来る。

 ランヌは幕僚たちを集め、エスペシア島の地図を机に広げて指揮棒を手に、大仰な身振り手振りで進軍ルートを確認していく。


「当面の目標は王国軍の拠点、このバルトロメオ要塞じゃ。こいつが進路上にでーんと居座って貰ってはエスペシア島の占領と確保は不可能。無視すれば背後を脅かされ、此処と前線との補給路を断たれる。よって優先目標とする。次に敵野戦軍の撃破じゃ。敵さんも既にこちらが上陸したことは察しておるじゃろうし、撃破するために主力を集中させておるじゃろうて」


「つまり、閣下は敵要塞を確保し、防御と補給を両立させた上で野戦に臨むわけですな? しかし敵も阻止に動くでしょう。順番が逆になりはしますまいか?」


「無論、敵も要塞を取られては寝床を失うからの。そこで敵主力を一時的に要塞から引き離すため、陽動を用いる。これには敵の攻勢と追撃に耐えうるだけの機動力と火力、陽動と見破られぬだけの芝居心が必要であるし、かといって戦力の分散は要塞攻略の支障となる。要塞攻略は迅速に、陽動は粘り強く、じゃ。言うは易し、じゃがのう。敵に引き込まれては手出しが出来ん。無理強いすれば大損害は必至。じゃが要塞を落とせば敵野戦軍は孤立し、撃破も防御も容易じゃ」


 ランヌは幾度も机の周囲を歩き回って部下たちに作戦を語って聞かせ、冷めた紅茶で乾いた喉を潤して言葉を結ぶ。


「作戦の肝心は、自己の保持と敵の消滅じゃ」


 陸軍大学校の初等科一年時に学ぶ基礎の基礎を改めて口にされ、幕僚たちは何やら初心に戻ったような懐かしさを覚え、同時に、つい忘れがちな初歩的な理論を噛みしめる。


「成る程。では、その陽動作戦の任務、我が先遣師団にお任せ頂きたい。かねてから斥候を送っておりますので地形も把握しておりますし、多少は土地勘もついてきました。それに兵士たちも、敵軍ではなく地面を相手に戦っておりましたので、そろそろ働かせてやりたいのです」


「そうか、やってくれるか。しかし師団一万余を全て陽動に投入するわけにもいかん。具体的な数はこれから算盤が達者な参謀諸君と検討するとして、必要なものがあれば言ってくれ」


 するとケレルマンは待ってましたとばかりに進言する。


「では御言葉に甘えまして、より陽動を確実にするため、ある連隊をお貸し願いたい」


「ほう。どの連隊かね?」


 ランヌは内心で瞬時に幾つかの候補を考えた。

 機動力確保の騎兵か、あるいは火力重視の砲兵か、もしくは……。

 ランヌの予想はケレルマンの答えによって的中する。


白薔薇擲弾兵連隊ホワイトローズ・グレナディアーズ


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