第五話 歯抜けの夢(8/8)
差し込む光の角度が変わって、窓から注いだ月光の木漏れ日にネルの姿が照らされていく。
フロンスによる『死人使い』の呪縛より解き放たれて、少女は白光の中に身を沈めていった。
そうしてメリラは今改めて、自らの十字架を直視する。
彼女はゆっくりと顔を横に振りながら、声にもならない上擦った声を上げ始める。
呻き、よろめきながら起き上がり始めたフロンスは、その赤い瞳を闇に滾らせメリラへと言う。
「ネルは死にました……メリラ、アナタの事を親の様に慕いながら」
「……」
「毒に悶え苦しみ、呼吸苦に喘ぎながらも……ずっと、アナタの名を呼び続けて」
「うる……さ、い……」
「毒を盛ったアナタを微塵も疑う事もなく。ネルは私達に語った、ほんの些細な夢の中へと飛び立ったのです」
「……私だってこんな事……全部ぜんぶっ、アナタたちがッお前達のせいでワタシは!!」
今度は頭に手をやり錯乱した様子のメリラへと、横たわったセイルが震える声で言う。
「アナタは私達に毒の存在を悟らせない為だけに、ネルにも毒の入ったスープを食べさせた……そんな、くだらない保険なんかの為に、アナタはっ!」
「うるさい、うるさいうるさいウルサイ!! 全部お前達が、お前達のせいで私の人生はッ!! 必ず報いがある、私の子供達を焼き殺したのはお前達だ! ロチアートは都の人間様に飼い慣らされ、従順にその命令に習い、満足な生活を送っていた! それを全て壊そうとしたのはお前だ終夜鴉紋ッ!」
痒い痒いと繰り返しながら、血が出る程に顔を掻きむしったメリラは眼球を上転させ掛けながら叫んでいた。
――やはり許されてなどいなかったのいだ。俺の犯した罪が許される訳など無かったんだ。
俺はなんて甘かったのか。犯した罪は永劫俺を苛むのだ。
「何がロチアートが人間と同じ様にッ! ロチアートが繁栄して来れたのは人間様に付き従って来たからだ! 彼等に飼い慣らされて従順にしたがって来たからだ! 私達の様な家畜がッ人間様と同じ様に誰かを愛して良い筈なんかないだろう!」
――罪は俺へと跳ね返って、また罪の無い命を連れ去る。そしてまた俺は罪を背負う。
こんなに悲しい螺旋があるだろうか?
目尻から大粒の涙を落としながら、セイルは狂乱としたメリラに向けてでは無く、俺に語り掛けていた。
「私達はこの怒りをどこへ向けるべきなのかな、ねぇアモン。ひどいよ、どうしてメリラさんが……ロチアートが、ロチアートを殺すの……? そんな、そんな事って。じゃあ私達は一体誰と闘えばいいの……かな?」
俺はただ、この光景が、今巻き起こった惨劇の全てが、震える位に悲しくて、悔しくて。
この魂の語るに任せた。
「俺のこの弱さと……赤い瞳にそんな考えしか出来なくなる程に虐げた……この世界。全てだセイル」
俺はこの身に湧き起こる憤怒に任せて、痺れたままの体を無理矢理に引き起こしていった。壁に倒れ込み、もたげた頭を軸にして強引に二足に立ち上がり、そしてメリラに誓う。
「俺が全てを破壊してやる……人が人を家畜のようにこき下ろし、食い物にする、この淀んだ地獄の全てを……どれだけの罪を背負いこんだとしてもッ!!」
「……私に言っているとでも言うのか? 私をこんな体にして、子供達を焼き殺された事の元凶となったお前が!」
「すまなかった。でも、それでも間違っているんだ、こんな事……こんな悲劇が! 未来を夢見るネルの様な純粋な子どもが! 生きる事すら許されず、将来を思い描く事すら許されず! 虫けらの様に簡単に殺される……こんな世界はッ!!」
「……」
「アンタをそんな風にしか考えられなくしちまった!! このッ狂い切った世界はオレガッッ破壊シテヤルッッ!!!」
呂律も回らず唾を吐き散らし、勢いに任せて叫んだ俺は、最後には地面に顔から突っ込んでいった。
沈黙が俺達の間に漂った。
程なくして静かに車輪の回る物音がある。
あの日、握れなかった子供達の手へと差し伸べる様に、俺は立ち去ろうとしていくメリラの背中に必死に訴え掛ける。
「お前達の死ななくて良い世界を、赤い瞳の人間達を全員救う! だから俺を信じろ、今度こそお前達を救ってみせるから、だから俺の手を取ってくれ、今度こそ!」
進んでいく車輪の音が止まった。
「そんな未来、叶う筈が無い」
静かな口調で言い放ち、瞳を伏せていったメリラは、まるで亡霊の様な目を闇に仄かに灯らせながら続けていく。
「でも……もしそんな世界が叶うと言うのなら。そんな絵空事に本気で思いを馳せる事が出来たなら……」
目尻からほろりと落ちていったのは涙だった……。彼女の赤い視線は今、ネルと幸せに過ごして来た歳月を見ているのだろうか。動かなくなった少女の頭へとその視線は差し向いていく。
「私達はもっと……幸せになれたのかな、終夜鴉紋」
「メリラ……?」
「本当の家族みたいに、ただ子供達の将来を思い描いてさ」
メリラは俺に、火傷の跡を刻んだ顔で、微かに微笑む横顔を見せた。その時見せたその表情は、今日見ていたどの笑顔とも違って見えた。
「きっと世界は変わります」
――囁かれたフロンスの声に彼女が振り返っていく。俺にはその煌めいた瞳に、確かに彼への愛が焼き付いている様に見えた気がした。
「待っていて……くださいメリラ。きっと私達が思い描く未来が、すぐに――」
「いいえフロンス。そんな結末は未来永劫訪れない」
――ひどいお母さんでごめんね。
そう言って、メリラは車椅子は反転して俺達に背を向けていった。
去り際にネルの髪に優しく触れていったその姿は、少女に深く謝っているかの様にも思えた。
そしてフロンスが放った声が宙に舞って消えてしまうその直前に、彼女は微かにこう言い残してドアの向こうに消えていく。
「少なくとも私の未来には」
*
もう夜が明けて、空が白んで来ていた。
全身の痺れより解放された俺達は、ネルの亡骸に未来を誓ってネツァクの都を目指し始める。
三人で居間に降りるとそこに、嫌味の様に清々しい朝日に照らされたメリラの亡骸があった。
車椅子に座したまま、その胸に自らで短剣を突き刺し、涙ぐんだその表情を陽光に照らしている。
「こんなに悲しい世界は、もう終わりにする」
天使の子を全て殺し尽くして。




