「……なんで、そんな詳しい予測が立つのよ」
……何と、言うか。
言葉にならない感情、下手をすると感情にすらならない何かを持て余し、エースは、ここ数日で酷く自然に行えるようになった溜め息を漏らした。
あれから、別に生活は変わらない。
朝から自分に割り当てられた家事をして、仕事に出る。帰宅して夕飯を作り、夜になると、時には〈神の庭園〉へ向かって泊まる。
マリア・Bが夜の仕事をしている状況で、一応未成年の義弟を毎晩一人で過ごさせるのはそれなりに心配だったのだろう。ブライアーズ孤児院が、充分以上のセキュリティを敷いていたとしても。
義姉は、山の上に泊まってくることを告げると、少しばかり安心したような表情をみせる。
朝、彼女が帰宅する前にはエースも帰っているのが常だ。
この生活サイクルには、何の支障もない。
ただ最近、エースは、研究所に行く頻度を少し減らしていた。
そして、ほぼ毎日のように遊びに来ていたエムと、その付き添いのGも、あまり姿を見せなくなっている。
「お前のことはどうでもいいが、エムが来ないのが気に入らない」
その日の朝食の席で、マリア・Bはあからさまに本音を露わにした。
コーヒーをスプーンで無意味にかき混ぜていたエースが苦笑する。
彼は、義姉に、〈神の庭園〉での体験を、具体的には話さない。
それは機密情報であり、エースが孤児院に住んで研究所に通う、と決まった時に要請されたことだ。
マリア・Bも、当然のように何も尋ねてこない。
だから、あの日、一体何があったのかを、そして、何がなかったのかを、彼女は一切知らない筈だ。
しかし何かを察し、それでいて「どうでもいい」と言い放つ義姉に。
何と言うか、エースは、苦笑してごまかすしかなかったのだ。
「エース、近いうちに時間を取れるか?」
朝の開店準備中に、親方が問いかける。
ぱっと、エースの顔が明るくなった。
「いつでも!」
即座に返事が返ってきて、親方は笑う。
「一応準備があるから、ニ、三日前には言ってくれ」
親方がエースをこうして誘うのは、新しいメニューを教える時だ。
大抵は仕事が終わった後に、彼の家で仕込まれる。
夜までかかることが多いために、こちらもマリア・Bには言っておかなくてはならない。夕食を自分で何とかして貰わないといけないのだ。
尤も、新メニューはエースの任された店で出すだけでなく、自宅でも作ることになる。マリアが嫌がることなどない。
「すぐに都合をつけるよ」
少年は、久しぶりに、わくわくした気持ちで請け合った。
「今いいか?」
自室に顔を出したエースの雰囲気が以前のようで、Gは僅かにほっとして頷いた。
「いいとも。何だ?」
「マリア姉が、最近エムが来ないから機嫌悪いんだ。都合がいい時に、連れてきてくれないか?」
エムはブライアーズ孤児院に行きたがっていたが、エースの気持ちを考えて遠慮させていたのは、Gだった。
彼から請われれば、否やはない。
「判った。すぐに、予定を調整しよう」
快諾する兄に、エースは頷く。
「あ、でも、三日後は俺いないから」
「三日?」
こちらでは何も予定はなかった筈だ。訝しげに繰り返す。
「親方に、新しいメニューを教えて貰うからさ」
見るからに嬉しそうに、少年は答える。
「へぇ」
「合格点を取れたら、食べに来てくれよ」
「勿論だよ」
二つ返事で了承する。
「エース。ついでにちょっと、つきあってくれないかな」
そう要請されて、向かったのは既に見慣れたミーティングルーム。
雑談をしながら待つこと十分ほど。
遅れて参加してきたのは、アイだ。
「……またか?」
「またよ」
疲れた顔で、金髪の少女は短く返した。
「あんたは大丈夫なの?」
近くの椅子に腰掛けながら問いかけられる。
「まあ、何て言うか、ちょっともやもやはするけどな」
苦笑して返すと、エースは視線をGに向けた。
「そういえば、父親を起こす、ってことはできないのか?」
数日思い悩んで、形になった疑問がそれだ。
あの日、当日には、とても訊ける状況ではなかった。
「無理だね。彼には、永久凍結命令が出てる。意固地になってる当事者たちが引退するまで、あと数年。それから計画を認可されて予算が出て、実行できるまでまた何年かはかかるだろう」
淡々と答える長兄を、弟妹はぽかんとして見つめていた。
「……なんで、そんな詳しい予測が立つのよ」
「あんた、ひょっとしてその為に研究員になったのか?」
うっすらと笑んだGは、その質問には答えてくれなかったが。
「そんなことよりも、Cのことだよ」
「今度はどうしたんだ?」
この三人が集まったことで、彼女の件だと予想はついた。
以前、しぃが〈神の庭園〉に来た頃に、彼女が周囲に馴染めないと話し合ったこともある。
「だから、またよ。落ちこんでるの」
僅かに不機嫌そうに、アイが知らせた。
「彼女が育った場所では、〈神の庭園〉で、他の兄弟が父親と仲睦まじく暮らしていると言われていたようでね。それを羨ましいとずっと思っていたらしい」
「そこにきて、このドライな兄弟関係と、あの父親の状態が知らされたってことか」
「なによ文句あんの」
推測でまとめてみると、じろり、とアイに睨めつけられた。
初対面の頃、エム以外の全ての兄弟に冷淡だったのが、この少女だ。
「私たちの関係も、随分緩和されたんだけどね」
苦笑して、Gはとりなす。
それは、突然戻ってきたエースの人柄のおかげだ。
「ともかく、Cは、私たちを羨ましく、妬ましく思っていて、それでも、ここに来たらその中に入れると思っていた」
だが、実際は。
小さく呻いて、エースは腕を組む。
「……実際は何も変えられないんだから、諦めて貰うしかないんだけどな」
「あんた時々身も蓋もないわよね」
アイの呆れた視線は、もう慣れたものだ。
「とりあえず、気分転換か、気晴らしでもできればいいんだが……。外出許可は?」
「まだ駄目だ」
しぃが現れた際の騒動のせいで、彼女には研究所からの外出禁止措置が取られている。
それは、研究所を裏切ったラッカムが、しぃを取り戻そうとするかもしれないからでもあった。
「そうだな……」
ちらり、とエースは時計を見た。まだ宵の口と言える。身軽に立ち上がると、二人を見下ろした。
「ちょっと電話をかけてくる。対応は、明日の朝でもいいか?」
鼻の頭が冷たいことを自覚して、しぃはうっすらと目を開いた。
冬に向かうこの季節、山の上の施設では朝が冷えこむ。
もそ、と毛布を頭の上まで引っ張り上げて、うとうととまどろむ。
……あそこは、もっと寒いのかな。
そんな小さな痛みを伴う想いも、すぐに温もりに溶けていく。
静かに、寝室のドアが開く。
「しぃ? 起きた?」
同室の少女は、朝に滅法強い。無理矢理起こされることはしょっちゅうだ。
しぃは、無駄な抵抗と知りつつも、更に毛布の中に潜りこんだ。
「エースが来てるわよ」
しかし、続けられたいつもと違う言葉に、がばり、と起き上がることになったのだが。
少年は、女子寮のエントランスホールに、Gと共に座っていた。
時折通り過ぎる女性職員と軽く挨拶を交わしている。
「エース」
エレベーターの扉が開いてすぐ小走りに近づいてきたしぃに、笑顔を向ける。
「おはよう」
兄たちからの言葉に、慌てて挨拶を返した。
「どうしたの? こんなところに」
「うん。これをな」
そう言って差し出されたのは、小さなブーケだ。
淡いピンクや白、黄色の可愛らしい花がまとめられている。
「みんなからだ」
エースの隣で、しぃの後ろで、Gとアイも笑顔を向ける。
「あ……ありがとう」
花束なんて、貰うのは初めてだ。
「可愛い……」
目を細めるしぃを前に、兄妹は視線を交わす。
これは、昨夜、エースが顔見知りの花屋に電話をかけて作っておいて貰ったものを、今朝早くに受け取りにいったものだ。
アウルバレイの街まで、さほど時間をかけずに往復できるようになっていたおかげである。
「女の機嫌を取るなら花だろ」
と、身も蓋もないことをエースが言っていたのは触れられない事実だが。
「……あ」
しばらくして、しぃが顔を上げる。
その顔は、少し明るさを取り戻している。
「あのね、父さんにもお花をあげられないかしら」
「花を?」
「あのお部屋、何にもなかったから……寂しそうで」
彼らの父親が寝かされていた部屋には、花瓶どころか、家具の一つもなかった。
あったところで、眠ったままの父親には、何の慰めになる筈もない、と言うのは簡単な話だが。
「……確か、奥の方に温室があったわよね」
「温室?」
エースとしぃが声を揃える。
「ああ。私が生まれる前には、もう殆ど使われなくなっていたが……。少しは、植物も残っているかもしれない」
Gが、記憶を辿りながら答える。
「自分たちで摘んだものの方が、いいだろう?」
慰めは、子供たちのためになるのだから。
温室はそこそこの面積があったものの、Gの言った通り、大半は何も植えられていなかった。気温の調節もされていない。
ガラス壁に囲まれ、やや外部よりも温かいぐらいだ。
それでも冬薔薇が小さな花をつけていて、それをエムを含めた皆で数本摘む。
イアン・オライリーの担当チームに申し入れると、さほどごねることもなく受け入れられた。
飾られた花をガラス越しに見て、彼らは小さく笑いあった。
その後、ほぼ一週間おきに、花は取替えられるようになる。
〈神の庭園〉全体に、警報が鳴り響いた、その日まで。




