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僕らは楽園《エデン》に生えている  作者: 水浅葱ゆきねこ
〈神の庭園〉

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21/57

「……でも、あんたは俺の味方なんだろ?」

 ホテル・ホワイトクレインは、アウルバレイの街でも、格式のあるホテルである。

 とは言え、やはり、この街特有の薄黄色い石材で建てられており、高層ビルのようなボリュームはない。窓枠や扉に使われている木材は、名前のように純白に塗られていた。

 そのホテルの車寄せに、一台の年代物の車が近づいた。ホテルマンが、素早く運転席に歩み寄る。

 運転席から姿を現したのは、一人の女性だった。真紅のイブニングドレスをまとい、肩にかけた黒いレースのショールが彼女の白い肌を引き立てる。

 ネックレスとイヤリングは、揃いのゴールドと控えめなダイヤ。指輪はしていない。

 長い、豊かな黒髪を結い上げた彼女は、しかし笑みひとつ浮かべなかった。

 対して、助手席から下りてきたのは、まだ若い少年だ。飾り気のないTシャツにジーンズ。右肩には、くたびれたナップサックを背負っている。

「ようこそおいでくださいました」

 不釣合いな二人の取り合わせを不思議に思いながらも、にこやかにホテルマンは出迎える。

「泊まりじゃない。待ち合わせ」

 短く告げて、女性は車の鍵を渡した。

 つまり荷物はなく、数時間で帰るということだ。

 (うけたまわ)りました、と返して、彼は重い玄関扉を開いた。



 ロビーには、ソファが三組ほど置かれている。

 そこに腰かけていた一人が、入ってきた人影に立ち上がった。

「マリアさん。エース。よく来てくれた」

 出迎えたのは、Gだ。今日は落ち着いた暗いグレイのスーツを着ている。褐色の肌が少々暗く見えるので、前の臙脂の方が合うな、とエースは内心思った。

 残りの二人は、ハワードとエリノアだ。ハワードはネイビーの三つ揃え、エリノアは明るめのグリーンのスーツを身に着けている。

 Gに紹介されて、大人たちは互いに握手を交わしていた。

「レストランに個室を用意している。夕食でも頂きながら、お話ししよう」

 ハワードがそう言って、マリア・Bに腕を差し出した。そっとそれに触れて、二人は共に歩き出す。

「エムは元気ですか?」

「勿論。貴女たちの話ばかりしていますよ」

 当たり障りない会話が、彼らの間に流れた。



 各自の前に食前酒が注がれ、前菜が配される。

 給仕が扉を閉めたところで、Gが大きめの封筒を取り出した。

 せっかちだな、とは思ったが、まあ、マリア・Bはこれが済み次第仕事だ。早いところ終わらせた方がいいだろう。

 エースは無言で、差し出されたそれを手に取った。

 中には、厚さ五ミリ程度の冊子が入っていた。簡素だが、しっかりした作りだ。

「それが、先日の検査の結果だよ」

 促されて、開く。最初のページをしっかり読もうとして、堅苦しい文章と、専門用語の羅列にすぐに挫折した。

 ぱらぱらとその先をめくるが、やはり判りづらい単語に数式、グラフなどがびっしり記入されている。

「……これで、俺に何を伝えたいんだ?」

 あからさまに顔をしかめる。ばさ、と音を立てて冊子を閉じた。

「一応、きちんとした報告書を持っておいて欲しかったんだよ。かいつまんだものは、最後に一枚、つけている」

 見ると、冊子の裏表紙の内側に、同じ大きさの紙が一枚、挟まれていた。引き出して、それに視線を落とす。

 その紙面は、中央に線が引かれて、左右に分けられていた。最上段に、それぞれエースの名前と西暦が書かれている。右側は今年で、左側は十五年前だ。

 その下は、幾つかの項目と、それに対する文章、数字やアルファベットなどがあった。

 内容については、正直さっぱり理解ができない。

 だが、左右に書かれた内容は、細かい数字が少々違うところがあるものの、ほぼ全てが同一だと言ってよかった。

「十五年前、研究所で育てられていた子供と、先日君から採取した試験体の分析結果を対比させている」

 ハワードが、重々しく告げる。

 なるほど、これが九八パーセントの合致か。

 横あいからマリア・Bが覗きこんできたので、紙を渡す。彼女がそれを見ている隙に、前菜のレタスにフォークを刺した。


 魚料理は、鱒のフライだ。

 格式高いと言っても、所詮は田舎街のホテルである。地元の伝統料理を提供することが、むしろ売りでもあるので、流行りの凝った料理などはない。

「我々としては、是非ともエースくんに戻ってきて頂きたいのです。ミス・マリア。彼の才能を見いだし、伸ばしていきたい。不自由な思いもさせませんし、更に上の教育も受けられる。勿論、面会拒否などは致しません。どうか、保護者としての同意を頂きたい」

 香ばしい香りに見向きもせず、ハワードはそう申し出る。

 エリノアは笑みを絶やさず、口も挟まなかった。

 この間会った時には、彼女は調整役として動くことが多かった。今回もそうするのだろう。

 マリア・Bが礼儀正しい笑みを浮かべる。

「先日、Gにもお話ししましたが、うちの孤児院では、十六歳になれば独り立ちするきまりです。エースは、マム・マリアの頼みもあって、自らどうするのかを決めるまでは預かるつもりでしたが」

「では……」

 ハワードがぱっと顔を明るくさせる。

 だが、マリア・Bは軽く片手を上げてそれを制した。

「決めるのは、エースです。貴方がたが説得しなくてはならないのも」

 そう釘を刺されて、思わず渋面を作る。

 彼らは、数日前にエースにきっぱり拒絶されていた。

 だが、今回は完全に本気だ。退くつもりなどないだろう。

「どうだい、エース。考えて貰えたかな」

「そりゃ、考えたさ。こんな大きなこと、考えないでいられるほど俺は図太くない」

 真剣な顔で問いかけるハワードに、軽く返す。エース、と(とが)めるように声をかけたのは、我関せずの顔をしているマリア・Bではなく、向かいに座るGだ。

 それに僅かに顔をほころばせて、エースは続けた。

「俺は、やっぱりここが好きだよ。古いし、不便なことばっかりだけど。エア・カーで高速を走るのは面白かった。でも、石畳を自転車で走るのも好きなんだ。ここにはマリア・(ねぇ)がいて、マム・マリアがいて、親方に仕事を教えて貰ってるし、若旦那は俺たちを気にかけてくれている。ここで、満足しているんだ」

 ハワードは難しい顔を続け、エリノアは困ったように微笑んでいる。Gは、真剣な顔でエースの言葉を聞いていた。

「だけど、兄妹と会えた。みんなと、完全に縁を切りたくない。俺が、本当ならどんな生活をしていたのかも、気にはなる」

 子供ならば、誰しも一度は考えたことがあるだろう。

『ここではないどこかに生まれていたなら』

 金持ちの家で、大切にされて、贅沢な暮らしをしているとか。

 美味しいものを沢山食べられるとか。

 優しい、素敵な家族が待っているとか。

 まして、孤児にとっては、その思いは切実なものだった。

 今の生活に満足している、と言い切るエースでさえ、例外ではない。

「それに、俺が、万が一超能力(サイ)を使えるようになったとしたら。今のままだと、かなり危険なんだろう?」

 研究所の人間は、はっきりとは言わなかった。

 だが、大抵の映画なんかでは、突然大きな力を手に入れた人間は何か大切なものを失っている。

 それを、フィクションだと笑い飛ばせるような、常識的な状況ではないのだ。

 事実、この場で否定の言葉はでてこない。

 エースが、小さく息を継ぐ。


「俺は、この話、受けようと思う」

 真面目な顔で、失われた子供は告げた。

 正面に座る大人たちの表情が、一瞬で喜色に変わる。

 それを真っ直ぐに見据えて、エースは続けた。


「とりあえず、週一でいいか?」



「……週一……?」

 ぽかん、とした顔で、ハワードは繰り返した。

「ああ。仕事の休みが水曜日だから、その日かな。あ、水曜日が祝日とかだと出勤になるから、その時はずれるよ」

 あっさりと、エースは頷いた。

「いや、ちょっと待て、エース。週一って、週に一日、ってことか?」

 眉寄せ、Gが几帳面に問いかける。

「うん。休みが潰れるけど、まあ大体うちのことしかしてないからな。平日の空き時間に詰めこめば何とかなるだろ。姉貴もいるし」

「押しつける気か?」

 言葉尻を捕まえて、義姉(あね)は咎めだてる。(もっと)も、楽しげな笑みを浮かべてはいるのだが。

「あらまあ。そんな短時間じゃ、寂しいわね」

 エリノアは、まるで孫と会う機会が少ない祖母のような感想を漏らした。

「いや、そうだ、そんな短い時間で充分な研究はできん。検査だけでも、数日がかりになるというのに」

 混乱から気を取り直し、ハワードは抗議する。

 エースは、穏やかな表情でそれに対した。

「やってみないで、ただ駄目だ、っていうのは違うと思ったからさ。とりあえず、一度はやってみるつもりだったんだよ。だけど、これが俺の最大限の譲歩だ。こっちは、別にそっちへ通わなくても痛くもかゆくもない」

 この条件が飲めないなら交渉は終わりだ、ときっぱり言い切られて、ハワードが不機嫌な顔になる。

「しかし、君は、先ほど自分の能力(サイ)について対処したい、と言っていた」

 困惑を隠さずに、Gは問いかける。

「そりゃ、できれば、だ。でも、もしもこの先、このアウルバレイが壊滅したり、隣の山が消滅したり、地球が滅亡したりしても、多分それは俺のせいじゃないしな?」

 ぬけぬけと返す少年に、ハワードは、拳をきつく握っている。

 Gが諦めたように溜め息をついた。

「判った。私が、前日の夜に君を迎えに来よう」

「前の日?」

「そうだ。そして次の日の夜か、翌々日の朝に、また送り届ける。私が、責任を持って、そうしよう。だから、それで今はよしとしてくれませんか」

 一同を、ぐるりと見回して、確約する。

 マリア・Bは口を挟むつもりはないし、エースにしてみればまずまずの好条件だ。

 つまり、Gは自らの研究所の所長たちを説得しているのだ。

 苦々しげな顔であったが、やがてハワードは無言で頷いた。




 会食が終わり、マリア・Bはその足で仕事へと向かう。

 自然、エースはGが家まで送っていくことになる。

 後部座席にハワードとエリノアが座る車内は、不自然に静かだ。

 アウルバレイは狭い街だ、十分も経たずに橋に着く。

「今日はごちそうさまでした。また、今度」

「待ってるわ、エース」

 名残り惜しげにエリノアが告げ、ハワードは頷いて手を握ってきた。

 彼らは、マム・マリアの墓に参りたい、とも申し出ていたが、マリア・Bは許可しなかったのだ。シートから動こうとはしない。

 その間に、Gが先に車から降りる。

「ここでいいよ」

 エースの言葉に、無言で首を振った。

 そのまま、並んで橋の中ほどまで進んで、ようやく低い声が発せられる。

「君は今、してやったと思っているかもしれないが、彼らを甘く見ない方がいい。あれでも、何十年、研究所内外の争いに勝ち抜いてきた人たちだ。君たちに見せた顔が、そのまま彼らの本音じゃない」

 少し驚いて、青年を見上げる。

 いつものように、生真面目な、気遣わしげな視線が向けられている。

 ふ、とそれに弱く笑いかけた。

「……でも、あんたは俺の味方なんだろ?」

「生意気だな」

 苦笑して、大きな手がエースの短い黒髪をかき回した。笑って、エースがそれから逃れようとする。

「今日はありがとう。よろしく頼むよ」

「私からも頼むよ。あまり、心配をかけさせないでくれ」

 シャッターが、金属音を立てて上がっていく。

 エースは、その内側で、この地には不釣り合いなエア・カーが走り去って行くのを見送っていた。


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