「その誘い方はちょっと卑怯だな」
「え?」
「はぁ?」
「ええーっ!?」
「あらまあ」
同席者の驚愕の声に、エースは首を傾げる。
ただ一人、動揺せずにいたサー・ハワードは、香り高い紅茶を一口飲み、そして一同を眺め渡した。
「まあ、彼の事情も考えなさい。今までの生活だってあるだろうし、それを片づけてくる時間は必要だ。検査の結果が出て、それからまあ一週間もあればこちらへ移って来れるだろう」
「いや俺、結果がどうだろうと家を出るつもりないですから」
思慮深く放たれた言葉を、ばっさりと否定する。
「何故だ?」
酷く驚いた声に、眉を寄せた。
「何で、って、そりゃ仕事もありますし」
「仕事?」
アイが、不審そうに繰り返す。
「エースはね、美味しいガレットを焼くんだよ!」
得意げにエムが口を挟んだ。
「美味いのは親方のおかげだよ」
苦笑しつつ、補足する。
「だって、先刻同い年だ、って」
アイには、十六歳、という年齢と、仕事という概念が結びつかないらしい。
「失礼だが、君の仕事はアルバイトなのだろう。辞職の意志を伝えておけば、辞めることに支障はないはずで」
「俺が、あそこで働きたいんだよ」
僅かに声に力を籠めて、エースは返す。
だが年の功か、初老の男は怯みもしなかった。
「エース。君はまだ未成年だ。本来なら、労働する必要もない。ここに来れば、何も不自由はさせないし、勉学だって充分に修めることができる」
「勉強は別に好きじゃねぇし、生きてくには今のままで充分だ」
少年は正直に言い放った。
「それは、機会を与えられなかったからだろう。一度与えられれば」
「俺はもう充分貰ってる。あそこには、マリア姉がいるし、マム・マリアもいる。離れる気はねぇんだ」
マリア・Bのことはよく知らないのだろうが、流石に昔この研究所にいた、そして既に故人であるマリア・エインズワースの名前を出され、大人たちは言葉を失った。
数十秒沈黙して、ハワードが溜息を落とす。
「……まあ、実際にはまず保護者の方にお話をしなくてはな……」
それが、彼らにとっても現実的な線だっただろう。
「姉貴が説得されると思うかい?」
皮肉っぽく、唯一、マリア・Bを直接知っているGに問いかける。
だが、Gは真面目くさった顔で口を開いた。
「マリアさんは、君が十六になっているから、君の意思を尊重すると言っていた。君が嫌がることを強制はしないだろうが、強固に引き止めてくれるという期待もしない方がいいんじゃないか」
つまり、エースの気持ちを変えられてしまえば、それまでだ。
少年は、渋い顔で黙りこんだ。
長い廊下を進む。
斜面地に作られた建物群は、廊下や階段で繋がっていた。距離が長いせいか、その半分は自動走行通路だ。
古い街に住んでいるエースには、それすらも物珍しかったが。
着いた先の建物には、消毒液の臭いが満ちていた。
「採血を四本ばかり。それから、細胞の採取をします」
全身薄水色の服に身を包んだ男が、事務的にそう説明する。
「細胞?」
「細い棒で、口の中を触る程度ですよ。痛みはありません。血液からも検査はしますが、念を入れろ、という指示ですので」
「痛くないよ、エースお兄ちゃん!」
安心させようとしてか、エムが大声を上げる。検査技師と、同行してきたGとが揃って苦笑した。
サー・ハワードとマム・エリノアは、食事を終えると仕事に戻っていった。エリノアは少々名残惜しげで、いつかマム・マリアのお墓に行かせて欲しい、と頼んできている。
それについては、マリア・Bの許可がいるだろう。
アイもさっさと席を立った。エムを一緒に連れて行こうとしたが、当人がエースについていくと決めたので、おかんむりだ。
採血と細胞の採取はすぐに済んだ。
「三日程度で結果は出ると思うよ」
検査技師が、それでエースの人生が激変しかねない事柄を軽く告げる。
その後は、支障のない範囲で施設の見学をさせて貰った。
レクリエーション棟や、職員の住居棟。エムは自分の部屋を見せたい、と言ったが、女子棟だったのでエースが入ることは不可能だった。一階のロビーまでがせいぜいだ。
そして、山の頂上にある、教会。
強い風が、髪の毛を乱す。
裏手にある墓地に、三人は向かった。
エムが、エースの手をぎゅ、と握る。
案内されたある一角には、真新しい台座と碑が作られていた。
あの日にはなかった、ものが。
「……マム」
泣き出しそうな声が、風に散る。
「マム・レイラは、エムの教育係でもあったから。この子がショックを受けるだろうとは思っていたんだ」
Gが小声で告げた。
「……まさかそっとしておいた隙に逃げ出すとは思わなかったけど」
続けられた言葉に、力なく笑う。
用意してくれていた花束を、台座に置く。
唇を引き結ぶ小さな妹の髪を、軽く撫でつけた。
「それで、お前は一体どこから冒険を始めたんだ?」
手を引かれて連れて行かれたのは、墓地の奥だ。
簡素な木の柵が一部壊れ、今はそこにロープが張られている。
「ここだよ!」
何故か得意げにエムが示す。
「なるほど」
小さく呟く。
「……エース」
そのまま、さっさとロープを解き始めると、困ったようにGが声をかけてきた。
「別に降りねぇよ。ちょっと見てみたいだけだ」
「いやそうじゃなくて」
「帰る前にはちゃんと戻しておくさ」
あまりしっかりとは結ばれていなかったらしく、話している間に全て解けた。慣れた動作で、エムが先に穴をくぐる。
その先は、一メートルほど先で崖となっていた。縁まで進んで覗きこむと、はるか下方に川の流れが見える。
「……垂直なんじゃねぇのか、これ……」
自宅から見上げた山の高さを思い返して、ぞっとする。
「上から見ると、険しく見えるものではあるからね。本当はそれなりに傾斜になっているはずだよ。まあ、私がここを降りろと言われても断るかな」
背後で、Gが声をかけてくる。
「エース、あそこ、おうち!」
が、この高さに全く怯むことなく、エムは腕を引いた。バランスが崩れそうで、ひやりとする。
眼下には、緑の山に囲まれた谷が広がっている。向かい側の山から流れてくる川が、アウルバレイの街とエースの住む土地との間を裂き、こちらの山の裾野に添って下流へと向かっている。ここから降りれば、川に阻まれて街には行けないが、上流へ向けてしばらく歩くルートなら、ブライアーズ孤児院とは地続きになっている。
建物は、ミニチュアのように小さい。
視線で道を辿り、孤児院を見つける。見知った家や、街の広場などを確認しては、顔をほころばせる。
「怖くなかったのか?」
しかし、ここから孤児院まで進んでいく労力を考えると、エースもGと同じで他の手段を選ぶだろう。
そう思って訊いてみたのだが、エムはあっさりと答えた。
「面白かったよ」
二人の兄が、思わず顔を見合わせた。
「あの時は、降りていくことだけ考えてたから」
そして続く言葉に、そのまま互いに眉を寄せる。
何を考えたくなかったのか。
エムの名を持つ彼女には、その感情が、その行動ががどんな意味をもつものなのか。
「……おそらく、だが。十五年前、マリア・エインズワースとセオドア・ラッカムはここを降りていったのではないかと思われるんだ」
話を変えようとしてか、Gはそう切り出した。
「ここを? 二人の子供を連れて?」
流石に驚いて、エースが問い返す。
「子供と言っても、乳児だったからな。しっかり背負っていくなりすれば、両手は使える。夜というのがかなり不安だが、充分に下準備をしていれば、不可能ではないだろう。あの時も、どうにかして表の道路を通り抜けていったのだとずっと思われていた」
「それで、マム・マリアはうちにきたのか……」
おそらく、エムと同じようなルートを辿ったのだろう。
もう一人の、セオドア・ラッカムという男は孤児院に留まらなかったのだろうが。
十五年前、自分がここを通ったのかもしれない、と思うと、酷く不思議な気分だった。
駐車場には、アイが膨れ面で待っていた。
「遅い! 何よ、人を呼び出しておいて!」
近づくなり、文句を言ってくる。
「大体の時間は伝えておいたんだから、その頃に来ればよかったのに。ずっと待ってたのか?」
教会を離れる時にメールを送っていたGの言葉に、顔を赤くする。
「そうじゃないわよ! 余計なこと言わないで!」
ばん、と背中を叩かれて、青年はやや顔をしかめた。
「忙しいところ、悪いな。そろそろ帰るから、挨拶しとこうかと思って」
エースの言葉に、不機嫌な顔を向ける。
「別に挨拶されるいわれはないわよ」
「エムのこと、よろしく頼んでおきたかったんだよ」
一言続けるごとに、アイは気分を害していくようだ。
相性が悪いのかな、と流石に思う。
「それこそ、頼まれるいわれはないわ。そうやって、家族面しないでちょうだいよ」
「だからさ。あんた、能力のない奴、嫌いなんだろ」
ずばり、と遠慮なく言われて、流石にこの強気の少女も怯む。
「……だからなによ」
「エムは、まだ能力が使えないって聞いた。でも、それなのにあれほど心配してくれてるんだったら、あんたに頼んでいけば安心だと思ったのさ」
エースの、論理的に告げられる声に、どんどんとアイの顔が紅潮していった。
「……あんた、本当に、いけすかないわね」
「エムを好いていてくれりゃいいよ」
肩を竦め、そう返す。
そして、隣に立つ幼い少女に向き直った。
「じゃあな。エム」
手を、柔らかな髪に乗せる。
「……エースお兄ちゃん……」
今にも泣き出しそうな顔で、見上げてきた。
「大丈夫。大丈夫だ。みんな、お前を大事にしてくれる。何かあったら、すぐに連絡しろ。俺もマリア姉も、すぐに駆けつけてやる。表から入れてくれなくたって、あの崖を登ってきてやるさ」
「いや流石にあそこはきちんと補修するから」
Gが少し慌てたように口を挟んだ。
エムが、二人を見比べて、小さく笑う。
よしよし、と髪の毛をかき回し、そしてその手を離した。
「じゃあ、頼むよ。G」
彼を自宅まで送っていくのは、またこの青年の役目だ。
帰りの車の中は、また会話が少なかった。
行きと違って、緊張感はない。ただ、話すことは話してしまっていたし、エースも流石に疲れていたからだ。
何とか寝ないようにはしていたが、徐々に暗くなっていく空がまた眠気を誘う。
「……エース」
「ん?」
Gの声の重さに気づかないように、軽く返す。
「私は、その、立場として公平じゃないとは思うが。それでも、もし君が失われた弟だったとするなら。私たちのところへ来て欲しい、と、思うよ」
「その誘い方はちょっと卑怯だな」
苦笑いを浮かべて、視界の隅に兄の顔を収めた。まっすぐ前を見ている彼は、いつものように生真面目な表情を崩さない。
ブライアーズ孤児院に着いたのは、もう陽も暮れてしまった頃だった。
橋の手前で、車は停まる。
どうしたのか、と見やると、運転手は手を延ばしてダッシュボードを開いた。
「私は、悪いけどここで失礼するよ。君について正式なことが決められるまで、私が情報を出す訳にはいかないんだ。これを、マリアさんに」
中から取り出した、白い封筒をエースに手渡す。
「これは?」
「所長たちが、今の段階で君の保護者に伝えられることを書いてある。あとは、君が見聞きしたことをお話しするといい」
少しばかり荷が重いことを告げられて、判った、と返す。
「……我儘を言っちまってたけど、俺も、あんたたちと無関係になりたい訳じゃないんだよ」
ぽつり、と漏らすと、あからさまにまじまじと見つめられた。
「エース……」
「じゃあな。今日はありがとう。一日時間をとらせて、悪かった」
口早にそう言うと、扉を開いた。
石畳の上に降り、そのまま閉めようとして、もう一度車内を覗きこんだ。
「でも、楽しかったよ。気をつけて帰りな」
マリア・Bはダイニングで一人、酒を飲んでいた。
「マリア姉。仕事は?」
少し驚いて尋ねると、肩を竦める。
「家族がどうなるか判らないのに、自宅待機できない職場にはいないよ」
「今日も休んだのか……」
ちょっと呆れた気持ちで、彼女の前の椅子を引いた。
「俺が帰ってこないわけ、ないだろ」
「お前も一人前の年齢だ。それに、男の子の気持ちがどう転ぶかなんて、私に判る訳がないだろう」
からかうような口調に、目を細めた。
テーブルの上に、白い封筒を置く。
「……マリア姉。全部、知ってたんだな?」
「マム・マリアからあらかたは聞いていた」
楽しげな、試すような視線を向けられる。マリア・Bは、実に軽く封筒を取り上げて、封蝋をつついた。
「それで? どんな様子だった?」
数秒間睨みつけていたが、諦めて溜息をつく。
「向こうの兄妹は、信じられないほど毒気が少ないよ」
「そりゃいいことだ」
明るく、長姉は笑い声を上げた。




