「騙されてるんじゃないの?」
食堂は、廊下をしばらく進んだ先の棟にあった。
ここもコンクリートの打ち放しに、機能的な机や椅子が、適度な距離を置いて配置されている。窓は大きく、明るくて清潔だ。
孤児院の、重く、動かしづらい食卓や暗い照明の厨房とはかなり違う。
ビュッフェ形式にずらりと並べられたメニューを、Gの説明を聞きながら選んでいく。
「エースお兄ちゃん!」
と、人混みをすり抜けて、エムが駆け寄ってきた。
「お。検査、終わったのか」
「うん!」
満面の笑みで、幼い少女は頷く。
「どんなことしたんだ?」
「身長と、体重と、注射。泣かなかったよ!」
「おお、そりゃ偉いな」
得意げに告げるエムの髪を撫でてやる。ちらりと、視線を隣に立つGに向けた。
「採血だ。二ヶ月いなかったからね。血液検査をするだけだよ」
「二ヶ月で?」
「普段は月に一度はする」
訝しんで尋ねると、さらりと返された。
「ねぇ、エース、一緒にご飯食べよう!」
横からエムが手を引くのに、笑いかける。
「ああ、勿論……」
「止めなさいよ、エム」
エースの言葉を横あいから遮ってきたのは、長い金髪の少女だった。
憤った青い瞳が、じっと少年を見つめている。
彼女は先ほどエントランスで会った時の服装の上に、今は何故だか白衣を羽織っていた。
「なんでまだここにいるのよ。駄賃でも貰ってさっさと帰りなさい」
「アイ」
言い放たれた言葉に、Gが嗜める。
「……乞食扱いされたのは四年ぶりだな」
少しばかり新鮮で、小さく呟く。
「なによ。どれだけふっかけてきてんの、コイツ」
アイと呼ばれた少女は、挑発的に長身のGを見上げる。眉を寄せ、Gはそれに相対した。
「我々は、勿論、この二ヶ月のエムの生活費をお支払いする、と申し出た。だが、ブライアーズ孤児院の責任者は、それを固辞された。エムを、家族として扱っておられたからだ」
「それで籠絡されたワケ? どれだけ人がいいのよ、あんた。金じゃないなら、目当ては情報に決まってるじゃないの。それをホイホイここまで招き入れちゃって」
「アイ!」
青年が荒げた声に、気の強い少女は一瞬身を竦める。
無秩序にざわめいていた周囲も、しん、としてこちらを注視してきていた。
「彼を連れてくるにあたって、所長と副所長双方の許可は出ている。お二人が是非に、と望まれ、つい今までご一緒だった。お前は、被験者の立場で、彼らの決断に逆らおうというのか?」
褐色の肌。冷たく光る銀色の髪。長身で、体格もいい。
人当たりの柔らかさでごまかされていたが、その気になった彼の威圧感は相当だ。
大人の男というものに縁の薄いエースは、内心驚嘆していたが。
しばしの沈黙の後、アイは鼻を鳴らし、エムの手を取って踵を返した。
「食事を選んだら、二人とも私たちのテーブルに来なさい。所長からお話があるそうだ」
「はぁ?」
振り向いて、まだ何か言おうとしたようだが、Gの顔を見て、ただ肩を竦めた。
呆れた溜め息を漏らして、エースへと向き直る。
「悪かったね」
「俺のことは気にすんな」
謝罪に、軽く返す。実際、特に気に障った訳でもない。
「あの娘は、どうにもここ一、二年、扱いづらくてね。成長の一環だとは言われているけど」
「あー、あるある。女ってのは、現実主義と夢想主義を矛盾なく併用するからな」
知った顔で年下の少年が頷くのを、苦笑して見下ろした。
「行こうか。サー・ハワードとマム・エリノアが説得してくれるだろう」
そう促したGの選択は、賢明だった。
年頃の少女への対処を、責任者に丸投げしたのだから。
「何それっ!?」
不機嫌そうな顔を隠しもしないで、エースから離れて座ったアイは、ハワードの説明が始まってすぐに奇声をあげた。
「仲間? こいつが? 十五年前にいなくなったのが今頃見つかった? 嘘でしょ?」
「確かに今のところ、真実は不確定だ。が、可能性は高いと考えられる」
顔色一つ変えず、老獪な所長はそう告げた。
「騙されてるんじゃないの?」
半眼で、じろりとエースを睨む。
「検査の結果が出れば判る。細胞単位で、我々に詐欺は働けない」
淡々と説明された内容には言い返せなかったのか、少女は沈黙した。
「きちんと紹介しよう。エース、彼女はアイ。君と同じ、十六歳だ」
「自分?」
先程から気になっていたことを呟く。アイはきっ、と睨みつけてきた。
「言っておくけど、変な名前じゃないのよ! 東の島国では、〈愛〉って意味だって、マム・レイラが言ってたわ!」
「……そのマムって、一体何者なんだ?」
「アドバイスしたのは、実は他の研究員でね」
小声でGに尋ねると、苦笑しながら囁き返された。
「あんたにもあるのか? 名前に意味が」
「私のことは何も教えてくれなかったな」
「なに内緒話してんのよ!」
苛々と、アイが割りこんでくる。
「エース、なかまだったの?」
きょとんとして、エムが問いかけた。
「かもしれない、ってさ。もしそうだったら、エムとは本当の兄妹だ」
ふ、と視線を和らげて、告げる。
エムの顔がぱぁ、と明るくなった。
「やめてってば、そういうの。簡単に家族とか、言わないで」
しかし不機嫌なまま、アイは水をさしてくる。
「血は繋がってるんだろ?」
初対面の時には、彼らが無関係だと思っていて、それで拒絶したようだった。
ならば、血縁があれば、もしもそれが証明できれば、彼女の態度も変わるのかと思っていたのだが。
「血が繋がってるだけの人間なんて、たくさんいたわ。でも、そいつらは能力を発現できずに追い出された。あんな奴らと一緒にしないでよ」
「そんなことを言うものじゃないわよ、アイ」
棘のある言葉を、やんわりとエリノアがたしなめる。
つん、と顔を背けただけの少女には、堪えた風もなかったが。
「それで、あんたの能力は何なのよ?」
「さあ」
「発現してないんでしょ?」
軽く返した言葉に、アイは珍しく嬉しそうに笑みを浮かべる。
「心当たりはさっぱりない」
「ほら! ただの人間の分際で、あたしたちと家族なんて思わないで欲しいわね!」
この少女、酷くプライドが高いようだ。
「……まあ、妹なら初めてじゃないしな」
傍らでサンドイッチを頬張るエムを見ながら呟く。
「は? なによ、あんたよりあたしが歳下な訳がないでしょ?」
根拠もなく変なところに張り合ってもくる。
「姉だったら、尚更間に合ってる」
薄く笑んで、告げた。
がたん、と音を立てて、アイが立ち上がる。
「座りなさい」
半ば疲れた声で、Gが告げるが、しかし彼女は聞き入れなかった。
「ただの人間が、偉そうに! このあたしとの格の違いを思い知るがいいのよ!」
ばさ、と乱暴に白衣を脱ぎ捨てる。
「あたしはアイ。能力名は、〈透明化〉! 見てなさい!」
びし、とつきつけてきた人差し指が、存在感を失くしていく。
肌が、爪が、揺れる髪が。
骨があり、筋肉があり、内臓がある肉体が。
厚みの違う部位が、色の違う箇所が、どんどんと薄れ、存在感を消していった。
「……すげえ」
アイの背後の様子までうっすらと見えるようになって、ようやくエースは言葉を漏らした。
消え行く少女が、得意げな表情を見せる。
「決意してから消え始めるまで、やっぱり三分以上はかかるんだけどね。ずっと君に見せたくてうずうずして準備してたんだろうな」
「余計なこと言ってんじゃないわよ、G!」
苦笑しながら説明する青年に罵声が飛ぶ。
「で、服だけ残ってんのは?」
空中に、彼女が身に着けていた黒の服と、床の上に靴が残っているのを示す。
「服にまで意思を行き渡らせるには、もっと時間がかかるんだ。だから、試験着は面積が少なくて、かつ、消えにくい黒い色の服になってる。測定しやすいからね」
「へえ」
「人のことべらべら喋らないで!」
肉体自体はすっかり見えなくなったアイが、怒鳴る。
白衣が宙に浮くと、ずんずんとその場を去っていった。
「……今度は何だ?」
「今、身体から先に消えていっただろう? 元に戻るのも、身体からなんだよ」
「だから余計なこと言わないでよ!」
一際大きな声が響いて、そしてドアが勢いよく閉まった。
十分ほどして、物凄く釈然としない顔で、アイは再びテーブルについていた。
「サー、マム、エースにおうちを案内してもいい?」
エムがハワードとエリノアにおねだりをしている。
「場所によるよ。どこに行きたいんだね?」
「エムのお部屋! それに、お風呂!」
「お風呂?」
首を傾げたエリノアに、頷く。
「自動浴槽が珍しいんだって、最初にお風呂に入った時に言ってた!」
「ちょっと待って何言ったのいま」
険悪に眉を寄せると、アイが身を乗り出してくる。
「お風呂は今でなくてもいいでしょう。夜に、彼が入るときに見せてあげればいいわ」
「えー」
諭すような言葉に、エムが肩を落とす。
アイの視線をすっぱりと無視して、エースは口を開いた。
「あのさ。俺、今日は遅くならないうちに家に戻るつもりなんだけど」




