「心配、したんだからね」
一瞬の後に、周囲に光が満ちる。
「早! 早いよもう!」
「お、お帰りなさい、エムちゃ……」
孤児院の個室であるなら、二つ以上は優にあるエントランスの奥に、八人の男女が立っていた。二十代から三十代といったところか。Tシャツやジーンズというラフな格好の上に、全員が白衣を羽織っていた。
そして彼らが見たのは、紙テープや小さな紙片を頭からかぶり、背後にエムを庇って立っている、少年の姿だ。
エムは、目に涙を溜め、ぬいぐるみをぎゅっと胸に抱えて、片手でエースの腕を掴んでいる。
彼らの一メートルほど手前に、ぽつんと一つのクラッカーが落ちていた。
「………………ええと」
双方から、小さく呟きが漏れた。
「ぐだぐだだな」
小さく、Gが漏らす。
「あんた知ってたのか?」
「た、タイミングが悪かっただけだよ! ほら!」
また双方から同時に声が飛んだ。
男女は、身体の前に、『おかえりなさい』と書かれたカラフルな横断幕を持っている。
とりあえず、身構えなくていいのか、と、エースは姿勢を正した。
「ごめんね、驚かせて。いや、驚かせるつもりではあったんだけど」
「お帰りエムちゃん。泣かないで」
口々に話しながら、集団がそろそろと近づいてきた。
ふと、眉を寄せる。
照明が点いた時点で、彼らとの間は、五メートル以上開いていた。
しかし、クラッカーはエースたちのすぐ前に落ちている。
クラッカーを鳴らし、即座にその場から走り出した気配はなかった。
内装は白いコンクリートの打ち放し。無駄な家具などはなく、周囲は見通しがいい。どこかに人が隠れているということも、ない。
「なあ……」
その、形にならない疑問を口にしようとした時に。
「いつまで手を掴んでんのよ! 離しなさい、この変態!」
甲高い罵声が、その場の空気をつんざいた。
いつからそこにいたのか、白衣の男女の後ろに、一人の少女が立っている。
歳はエースとさほど変わらない。十五、六ほどに見える。長い金髪を、二つに分けて左右のこめかみで結っていた。
気圧されたように道を空ける一団の中を通り抜け、エースの前に立つと、彼女は威嚇するように両手を腰にあてて胸を張った。
その姿は、胸の下からへそまでを露出させたチューブトップに、ホットパンツ。色は、両方黒。三センチほどのヒールのついた黒のショートブーツを履いている。
数度瞬いて、エースはその少女を見つめた。
「聞いてんの? あんたに言ってんのよ、変態!」
「……自己紹介?」
「何でよ!」
呟いた言葉に、激昂される。
「いやそんな格好してるし、俺は変態じゃないし」
「こ、これは試験着なの! 女の子の手を掴んで離さない男のどこが変態じゃないって!?」
「掴んでるのはエムだ。俺じゃない。そもそも、家族なんだから」
「誰が!」
更に言葉を継ごうとして、凄まじい勢いで遮られる。
「血も繋がってないのに、誰が家族よ。そんなことを簡単に言う奴なんて、信用できない」
吐き捨てるような言葉に、口を閉じた。
「いい加減にしなさい」
溜め息混じりに、Gがたしなめる。が、じろりと長身の青年を睨みつけると、少女は強引にエムの手を取った。
「行くわよ」
「あ、えっと、あのアイちゃ」
「待って待って、そんないきなり」
「ご、ごめんね、君!」
エムと白衣の集団が、おろおろしながら少女の後に続く。
「早く検査するの! 身体がどうなってるか、判らないんだから」
「でも、あの、エース」
「心配、したんだからね」
こちらを見ながら連れて行かれていたエムが、少女の呟きに小さな抵抗をやめた。
「……ごめんなさい」
小声で返して、そしてこっそりとエースへ手を振る。
エントランスには、ぽつんとエースとGとが残された。
「……すまん。その、悪い娘ではないんだが」
ばつが悪そうに、Gが弁解した。
「あの娘も仲間なんだろ? そりゃ心配してるさ。判ってる」
少しばかり寂しげに、集団を見送る。
しかしこれからどうしたものか、と思ったところで。
「おや。終わってしまったのかな?」
呑気な声と共に横手の扉から姿を見せたのは、一組の初老の男女だった。
扉の奥は、応接室のようだった。
壁や床はやはり打ち放しで、シンプルなモノトーンの家具が置かれている。
Gが、ある棚の中からコーヒーやジュースをトレイに乗せてやって来る。
「エース、所長のサー・ハワードと、副所長のマム・エリノアだよ」
ジュースをエースの前に置きながら、Gが紹介する。
「エムがお世話になったようで、本当にありがとう」
「先ほどは、若いのが悪ふざけが過ぎたようだ。すまなかったね」
エリノアはにこにこと笑んで、ハワードは威厳を保ちながら、そう話しかけてくる。
「いえ、大したことは」
エースは、今まであまり組織の上の方にいる人間と関わったことがない。強いて言えばパーシヴァル・ヒギンズだが、彼は少々規格外だ。
柄にもなく、少しばかり緊張する。
「ええと、その、俺が今日連れてきて貰ったのは、エムの暮らすところを見てみたかったからなんですが」
それに許可は要るかもしれないが、所長、副所長が揃って面談する必要は、多分、ない。
鷹揚に、ハワードは頷いた。
「今日のところは、エムの検査も一時間ばかりで終わるだろう。すぐにこちらに来るよ。そして、この施設の内情だが、そう簡単に他人には明かせないものだ」
その言葉に、不思議はなかった。
だが、それだけなら、朝、Gはエースの同行を拒んだ筈である。
相手を無言で見つめていると、エリノアがテーブルの上に何かを置いた。
「お願いがあるの。ここに、しばらく指を置いてくれないかしら」
それは、名刺大のプラスティックの板だった。
厚みは二ミリ程度。横長に置いて、下部三分の二程度に、銀色の金属板が貼ってある。上部の三分の一は、液晶画面のようだった。何かを映すには少々狭いが。
「これは?」
「簡単に言えば、人の特性を読み取るものだ。被験者に危険が及ぶことはない」
別にそんなことは心配していない。が、そう思えば、この程度のことで危害を加えられる可能性がある施設なのだろうか、ここは。
エースがやや眉を寄せる。
だが。
「その結果によって、君に話せる範囲が決まるのだよ」
と言われては、応じるよりなかった。結局、その行動で自分の何が不利になるのか判らなかったからでもある。
右手の人差し指から薬指までを、揃えて金属板の上に乗せる。
「結果が出るまで数分かかるのだ。古い機械でね。どうだろう、その間、エムがそちらでどう過ごしていたか、聞かせてもらえるだろうか」
その要請は想定されたものだった。頷いて、エースは口を開く。
廃屋に入りこもうとしていたところを見つけたこと。
仕事場に連れていき、今では彼の手伝いまでしていたこと。
親方や馴染み客に可愛がられていること。
大人しくて人形遊びが好きだが、エースが休みの日などは、庭で駆け回って遊んでいたこと。
エムとの、さほど長くなかった生活は、しかし多くのものを残していっている。
何度目のことか、寂しさに視線を伏せた時に、手元から小さな電子音が発せられた。
一同の視線が、集中する。
薄い機械は、その液晶部分に角ばった文字を映し出していた。
ABSTRACTION――〈抽象化〉




