「本当に、大切にしてくれたんだね」
翌朝、八時少し前にブライアーズ孤児院へ続く橋へと着いたGは、呆れ顔のまま、車から降りた。
「そちらまでお伺いするつもりでしたが」
「なに、手間が省けるでしょう」
シャッターを抜けて、橋の上で待っていたマリア・Bが片手を挙げて返す。
無論、その隣にはエースとエムがいたのだが。
エムは、孤児院の子供達が着ていた服を着用している。手には、お気に入りのぬいぐるみを一体。紙袋に、初めて会った時に着ていた喪服一式を入れていた。
「準備はいいかい?」
Gの言葉に、硬い表情でエムは頷く。
「あの、G、さん。ちょっといいですか?」
「なんだい?」
エースが緊張しつつ話しかけるのに、Gは柔らかに笑んだ。
「俺、一緒に連れて行って貰えませんか?」
「……それは」
驚いた表情のGに、たたみかける。
「エムを最初に見つけて、ここへ連れてきたのは、俺です。俺が飯を作って、風呂に入れて、起きている間の面倒を見てました。……その、半分だけだけど」
「風呂?」
僅かに訝しげな表情を向けられるが、しかし、こういうことは勢いだ。
エースはまっすぐにGを見つめて、言い募る。
「エムの家を、エムがずっと住んでて、これからも住む家を、俺、自分で見てみたいんです」
Gは、やや困惑した表情を保っている。
「それは……いや、それで君が安心してくれるというなら、こちらは断る理由はないよ。しかし、レディ……」
視線を向けられて、マリア・Bはひらりと片手を振った。
「レディは止めてくれないか。そんな柄じゃない。貴方は、サーとでも呼ばれたいとでも?」
「私にサーの称号は早すぎますよ」
苦笑して、Gが返す。
「ともかく、エースはもう十六だ。自分のことは自分で決められます。……これが一年早かったら、絶対に許可は出さなかったがね」
ぴり、と一瞬、マリア・Bの言葉に含むものが刺さって、エースは小首を傾げた。
「保護者の同意が得られているなら、問題はありませんよ」
しかしそれには気づかなかったのか、あくまで穏やかにGは答えた。
頷いて、マリア・Bはエムの前にしゃがみこむ。
少女は既に泣き出しそうな顔をしている。
「エム。いつでも連絡してきていいし、いつでも会いたいと言ってくれていい。結構近いんだ、私はいつでもお前に会いに行くよ」
「マリアお姉さん……!」
とうとう目に涙を溜めて、エムはマリア・Bに抱きついた。よしよし、と、その柔らかなストロベリーブロンドを撫でてやる。
「エース。エムを頼んだぞ」
「ああ」
頷くと、エムの肩に手を置いて促した。
後部座席に収まってからも、窓ごしに手を振るエムに、にこやかに手を振り返す。
Gと別れの挨拶を交わし、滑らかに走り去る車を見送った。
「戻って、くるだろうか……」
しばらくの間、車内は静かだった。
エムはごしごしと目を擦り、エースはぼんやりと窓の外を見ていた。
車は、すぐに広場に入り、そして通過する。
親方には迷惑をかけてしまった。
昨夜のうちに休みたい、とは連絡したものの、もう今日の仕込みを始めてしまっていたかもしれない。
今夜にでも、また電話をかけて謝らなくては。
やがて、車は街の境界線である川に差しかかった。片側二車線のそれを渡っていく。
近代に掛け替えられた橋はコンクリート製だ。Gが、片手で見慣れない操作をした。
一瞬、ふわりと身体に浮遊感を覚える。
「わ?」
思わず出てしまった声に、隣に座るエムがきょとんとした顔になり、そしてくすくすと笑いだした。
「空気に切り替えたんだ。振動がないだろう?」
運転席からGが声をかける。
確かに、タイヤから伝わる振動は減った。エンジンによるものが、僅かに感じられる程度だ。
「コンクリートの上を走るのも初めてだな……」
小さく呟くのに、怪訝そうな視線をバックミラー越しに送られた。
「俺は、アウルバレイから出るの、今日が初めてなので」
「初めて? 今まで、一度も?」
「はい」
「旅行とかは?」
「うちの孤児院はかつかつなんですよ。今年からは俺も稼いでるし、人も減ったからやっていけてますが」
総勢三十四人だった頃は、大変だった。
無論、最年少のエースにとっては、さほどの苦労があった訳ではないが。
「エムね、ナレインフットに行ったことあるよ!」
得意げに、少女が告げる。
「お、凄いな、エム。俺より経験豊富だ」
乱暴に頭を撫でてやると、嬉しげにえへへ、と笑う。
穏やかな目でその様子を伺っていたGが口を開く。
「本当に、大切にしてくれたんだね」
「家族ですから」
「家族、か……。エース」
「はい」
「そう言う、堅苦しい話し方は止めてくれないか。私はエムの仲間で、君はエムの家族だ。もう少しくだけた関係でいいと思うがね」
思いがけない申し出に、ちょっと戸惑う。
「……あんたがそう言うなら」
「頼むよ」
目が笑ったのがかろうじて見える。
「〈神の庭園〉の仲間たちには、昨日連絡していてね。君に会ってみたいと言っていた。だから、今朝、実はこちらから同行をお願いしようとしていたんだ」
「俺?」
少しばかり驚いて、尋ねる。
今までの人生において、彼は大抵誰かのおまけだった。義母や義姉たちや、親方などだ。
「そうだよ」
「どうして俺を?」
素朴な疑問に、しかし珍しくGは言い淀んだ。
「それは……、いや、着いてから話してもらった方がいい。ちょっとややこしい話になるからね」
更に首を傾げるが、とりあえず更には問い質さなかった。
「それはそうと、あんたとエムが『仲間』って、どういうことだ?」
代わりに気になったことを口にする。
「どう、とは?」
だが、Gは思いがけないことを聞いた、というように、繰り返した。
「あんた、エムとは家族じゃないのか? それで保護者って名乗ったのか?」
返答次第では、エムを連れて引き返すことも考えなくてはならない。
内心で、割と物騒なことまで計画しているとも知らず、ああ、とGは呟いた。
「私たちが住んでいるのは、ある種の施設だ。孤児院とは違うが、でも趣旨は似たようなものかな。私たちは、ある目的のためにそこに住んでいる。そうだな、関係性は、家族というよりは仲間というのがしっくりくるね」
だからと言って、エムを大事にしていない訳ではないよ、と続ける。
「その辺は、一通り、レディ……ええと、マリアさんにお話してあったのだけど」
「姉貴は隠しごとが上手くてね」
肩を竦めて、返す。
「ともかく、その施設が、あんたのいう、〈ガーデン〉てところなのか」
「正式には、〈神の庭園〉という。略して、〈ガーデン〉、とだけ呼ぶことが多いね。あと、一部の人たちは、〈エデン〉とも呼ぶよ」
楽園。
その大仰な名前に、何となく気圧されてしまったのは、確かだ。
幹線道路から、高速道路へと進む。
さほど長い時間そこを走っていた訳ではないが、エア・カーの滑らかな加速に、エースは少々驚いていた。
やがて再び一般道路に戻り、ちらほらと建物の密度が高くなってくる。
「ナレインフットに入ったよ」
その報せに、改めて窓の外を見る。
見慣れた黄色い石の建物は、殆どない。
伝統的な民家自体が少なく、直方体にそびえ立つ建築物が目についた。
と言っても、せいぜいが十階建て程度のものだったが、しかしエースは街の教会以上に高いものを、映像以外で見たことはない。
空を、山の稜線以外が切り取るのが物珍しい。
そして、人が多く、動きが早い。車の数は言うまでもなかった。
「ほら、あの山の向こう側がアウルバレイだ」
いつの間にか眠ってしまったエムを起こさないように、Gが小声で告げながら、西の方を示す。
断崖絶壁だった見慣れた山と違い、こちら側は緩やかな斜面に、木々が茂っている。頂上付近に、見覚えのある純白の建物があった。
そして中腹辺りから、似たような建物がちらほらと散見できる。
車は、やがてそちらへ向けて進路を変えた。
ふもとの辺りで、頑丈な高い塀と扉が行く手を阻む。
門扉の手前で車が止まると、脇の詰所から門衛が姿を見せた。
Gとの短いやりとりと、身分証明書らしいカードの提示で、門が開く。
「……厳重だな」
これは、抜け出すのにエムもこちらのルートを取らない訳である。
「君のところと大差ないよ」
滑らかに車を発進させながら、Gは返す。
「うちに門番を雇う余裕はねぇよ」
苦笑して、エースはそう答えた。
車は頂上までは向かわず、中腹の辺りで枝道に入る。すぐに、十台ほどが停められるガレージが現れた。
「エム。着いたぞ」
静かに揺り動かすと、小さな呻き声を漏らして、エムは顔を上げた。
「着いたの……?」
「ほら、しっかりしろ。久しぶりに会うのに、よだれ垂らした顔とか嫌だろ」
「垂れてないもん!」
一瞬で目を覚ますと、エムはエースに食ってかかる。
小さく笑い声を漏らしたGにも、憤然とした視線を向けた。
「おかしくないかな?」
車を降りて、そわそわと幼い少女は尋ねた。
「ちゃんと顔は拭いたぜ」
「エースの意地悪!」
ぷい、と顔を背けるエムに、まだ笑みを浮かべたままGが口を開く。
「大丈夫だよ」
不審に満ちた顔で二人の保護者を見ると、エムはくるりと向きを変えた。ガレージから見える、四階建ての白い建物に向かう。
すぐに二人もエムに追いつく。ポーチに足をかける頃には、Gが先頭を歩いていた。
ふいに、エムの小さな手が、ぎゅぅ、とエースの手を握る。
勇気づけるようにそれを握り返すと、不安そうな目で見上げてきた。
「ここにいるよ」
小声で囁くと、俯いた。
この小さな手が、ここから出ていくことを決意した原因は、まだ、本人の中から消えてはいない。
Gが、扉横の金属製の壁に、掌を当てた。電子音が微かに鳴って、解錠されたがちゃん、という振動が続く。
「さあ、エム」
静かな声で促されて、エムとエースは扉をくぐる。
屋内には照明も点いておらず、酷く暗い。
「どうなってるんだ、G?」
長身の青年は、無言で扉を閉めた。
「G……?」
重ねて声をかけたその瞬間に。
闇の中、幾つもの破裂音が響き、そして火薬の臭いが満ちた。




