第二十六話
「が、げほっ、こほっ……!」
瓦礫の中で、アリシャは身体を起こした。
あれだけの攻撃を受けながら、アリシャの展開した魔力の膜は彼女のことを守り切った。
アリシャの身体には擦りキズなどは見られるものの、骨折の一つもない。
卓越した魔術の才能があったからこそ生き残れた。
「な、んで……」
土煙の中、瓦礫の崩れる音がする。
アリシャが弾かれるようにそちらを見ると、シェリーの姿があった。
「どうして、私なの……」
「ユル……ナ……ィ」
もはや男か女かも分からない、細いようで太い、低いようで高い、複数の声が幾重にも重なった奇妙な声で、シェリーは怨嗟を口にする。
「私は、なにも……」
「ユ……ルサナ、イ……ァアアアアアアアアアア!」
シェリーがアリシャに襲いかかる。
奮わる腕を、アリシャは魔術で強化した身体能力を限界まで酷使してどうにか避けた。
避けたシェリーの腕は地面を殴りつける。
すると、轟音と震動が生まれ、地面が大きく抉れた。
「っ……!」
余りの威力に、アリシャが瓦礫とともに吹き飛ばされる。
地面に落ちたアリシャが、慌てて身体を起こす。
「う……っ」
アリシャは、先程まで自分がいた場所に目をやった。
目を見張る。
「冗談……でしょ……」
シェリーに殴られた場所には、およそ家一軒分の穴が出来ていた。
「っ、どこに……!?」
シェリーの姿がないことに気付いて、アリシャが視線を巡らせる。
瓦礫の影から、シェリーが飛び出してきた。
「くっ……!」
シェリーの爪が、アリシャに振り下ろされる。
アリシャが魔術で盾を作り出した。
盾は、シェリーの一撃を見事に受けとめる。
続けてシェリーが盾を殴りつけ、打ち砕くが、その時にはアリシャは後ろに下がっていた。
「どうして私なの! 私はなにもしていないのに!」
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
アリシャの言葉など聞かず、シェリーは咆哮を上げる。
鼓膜が破れるような大音量に、アリシャが身を竦ませた。
その隙をついて、シェリーが飛びかかる。
「――!」
迫ってくるシェリーの姿に、アリシャは死を覚悟した。
その爪が自分の身体を引き裂く瞬間を想像し、子供のように泣きわめきたくなる。
だが……覚悟や恐怖よりも強く湧きだすものがあった。
「やだ……」
小さくアリシャが呟く。
「死にたく、ない」
生きたいと、アリシャは死を目前にして強く思った。
思いに従うように、アリシャの身体は勝手に動く。
アリシャが腕を掲げる。
突如空中に出現した巨大な炎の矛がシェリーへと放たれた。
炎がシェリーの身体を吹き飛ばし、包み込む。
魔術の炎だ。
アリシャは無意識のうちに魔術を行使してしまったのだ。
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
炎に焼かれ、シェリーは悲鳴を上げながらも、ゆっくり立ちあがる。
「あ……」
焼かれていくシェリーの姿に、アリシャは自分がなにをしたのか、遅れて認識した。
「わ、私……そんなつもりじゃ!」
アリシャは慌ててシェリーを包んでいた炎を消した。
「だって、襲ってくるから……!」
誰にでもなく、自分に言い訳をする。
傷つけてしまった。
その事実に、アリシャが一歩後ずさる。
それに合わせてシェリーは再びアリシャに襲いかかった。
魔術で作り出した魔力の膜がアリシャを包む。
シェリーが何度も膜を殴るが、魔術が砕ける様子はない。
「やめて! やめてよ!」
膜越しに何度も拳を振るうシェリーに、アリシャは叫ぶ。
「どうしてこんなことするの!?」
「ユ、ルサ……ナ、ィ……!」
「なにを! なにを許さないって言うの!?」
シェリーの言葉の示すところが、アリシャにはまるで分からない。
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
シェリーが魔力の膜に、両手を押し込んだ。
爪が、魔力の膜に食い込む。
シェリーの両手が魔力を掴み、それを左右へとゆっくり広げていった。
限界以上の力を引き出しているのだろう、シェリーの手にいくつもの裂傷が走る。
アリシャは、ただ震えていた。
もうなにがなんだが、なに一つ、どうしようもないくらいに意味不明だった。
「なんで……!」
アリシャが、ひっくり返った声で叫ぶ。
なにもかも、わけが分からない。
まるで悪夢を見ている気分だった。
「どうしてこの病気が、また……っ!」
涙をこぼしながら、アリシャは感情を吐きだした。
「なんで私が襲われなくちゃならないの!?」
次々に溢れだす。
「邪神ってなんなのよ! 呪いって!? なんで皆が死ななくちゃ……私は、私はただ誰かを助けたいだけなのに、どうして! どうしてっ!?」
「ユルサナィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」
「なにをよ!?」
シェリーの言葉に、アリシャが金切り声で問う。
「――お前が全部奪ったからだろ」
答えたのは、いつの間にかシェリーの背後、瓦礫の陰から姿を見せたクロトだった。
「あなた……今の、どういう意味……?」
「そのままの意味だよ」
クロトの口元に、鋭い笑みが浮かぶ。
「お前は、そいつの全てを奪ったんだ」
クロトがシェリーを見やる。
シェリーは魔力の膜に穴を開けていく。
「私はなにもしてない!」
「しただろう? お前は、そいつを生き返らせた」
「――……え?」
「本当に自覚がないんだな」
呆れた様子で、クロトは小さな溜息をこぼした。
「もういい加減、気付くべきだろう? あるいは、ただ目をそらしているだけか?」
「なにを……言って……」
「言ったろう。あの病は、呪いによるものだ、と」
「……」
「そして病は、お前の故郷と、この村を滅ぼした。これだけの情報があれば、気付くには十分すぎるだろ?」
「……うそよ」
「嘘じゃない」
「だって私、そんなの……」
「そうである、という自覚がないやつも稀にいるんだよ」
「なら私は……」
「願ったことはないか? 魔術の才が欲しいと」
「……っ」
アリシャは、故郷で魔術の鍛錬に励んだ日々のことを思い出した。
その頃はまだ魔術を上手く扱うことが出来ず、もどかしい思いをしていた。
だから心の底から願っていたのだ。
もっと魔術が使えるようになりたい、と。
「願ったことがあるんじゃないか? 立ち向かう勇気が欲しい、と」
それはクロトと共に夜の村に出た日のこと。
悪魔に相対するということへの恐怖心を乗り越えたいと願った。
すると、不思議なほどに強い心になれた。
「願ったことがあるんだろう? もう戦わないでくれ、と」
クロトの呪いを初めて目の当たりにした時、戦いで消費されていく命を見るのが嫌で。
願ったのだ。
「願ったよな? 死なないでくれ、生きてくれ、と」
「……」
「そして、よく考えろ。その後には、なにがあった?」
魔術の才を願った時。
――故郷が滅んだ。
勇気を願った時。
――再びあの病が人を殺した。
戦わないで欲しいと願った時。
――病はさらに多くの人を殺した。
生きて欲しいと願った時。
――村がまた一つ滅んだ。
「あ……」
理解した。
理解してしまった。
これまでの経験が、アリシャの中に答えを出した。
病は、まるでアリシャの願いに対応するように犠牲を出していた。
それは、つまり……。
「そんなこと、ない」




