宝石と声
どれほど、泣いたのだろうか。
暫くの間地下牢ですすり泣く音が聞こえていた。
ミモザは涙を拭ってから改めて格子の前でセイデンの名を呼んだ。
「ねえ、セイデン。貴方が言っていた宝石のこと……教えて頂けますか?」
「宝石…………」
「はい……貴方の様子が変わってしまったのも、宝石商の方と仕事を始めてからでした。私はね……貴方が望んで私に傷をつけるようなことをすると、今でも思っていません。もしかしたら……貴方が持っていた宝石の影響があったりしませんか?」
ミモザの言葉にセイデンは一度顔を歪めながらも、静かにミモザを見つめていた。その瞳は後悔に染まってはいたが、先ほどのように虚ろな目ではなかった。
「…………そう、だな……あの宝石を持っていると……不思議と自信にあふれたよ」
レイギウスや他の兵に緊張が走った。
何度尋問しても吐かなかった言葉をセイデンが紡いでいるからだ。
「宝石商の名は恐らく偽名だ。会う度に違う者がやってきたから大きな組織だろうと思っていたが……それすらも今では分からない。ただ、彼等は訪れると幾つかの宝石を売ってくれたんだ。破格の値で美しい宝石を、だ。小さな飾り物にするだけでも十分な価格を取れそうなぐらい素晴らしいものだったんだ。偽物かと思って鑑定士を呼んでも本物だと言う。それを、特別に自分に与えてくれると言っていた。喜んで取り引きしたよ……フォックス家の事業は失敗していたし、金銭に焦っていた頃だ。それこそ、君との婚約を先延ばしにしてもらうぐらい……困窮していた」
「……………………」
ミモザは答えることが出来なかった。
当時の事を思い出す。深刻な表情を浮かべ、資金繰りに駆り出されていたセイデンの姿をミモザは覚えていた。手助けできるほど大きくないエタンフィール家の令嬢は、ただ待つことしか出来なかった。
その中で、セイデンは嬉しそうに告げた。新しい事業が出来ると。資金難となっていたフォックス家を再興出来るのだと。
それはもう、嬉しそうにミモザに言っていたのだ。
「最初の間は大儲けだった。見たこともない鉱石に興味を持つ方は多かった。けれど、それでは二束三文の足しにしかならなかった。だから、もっと大きな仕事を掴まなくてはって…………」
セイデンは黙ると、か細い声で囁いた。
「欲が出たんだ」
「欲…………」
「君と一緒になれるための、金が欲しい……有り余るほどに金を得たいと。その時からかな……思考が次第に浸食されていくような感覚が訪れた」
表情に翳りが帯びた。
「金が欲しい。君を自分の物にしたい。それだけが頭をよぎった……何もかもがうまくいくなんて、そんな考えに憑りつかれて……気が付けば……」
セイデンの瞳から、涙が伝い落ちる。唇は震え、悔恨に顔を歪ませていた。
「君に癒えない傷を……負わせてしまった」
「…………セイデン」
「ごめん……謝っても済む話じゃないことは分かっている。それでも……!」
振り落ちる涙を偽りだなんて思わない。
彼がどれほど優しかったか、ミモザが知らないはずもない。
それでも、どうしても。
ミモザには許すと言う言葉が言えなかった。
「……宝石商の行方は……分からない。いつも足取りを残さないやりとりばかりだったから……」
「そう、ですか……」
「フォックス卿」
ミモザから少し離れたところで話を聞いていたレイギウスの声だった。彼は、僅かに格子へ近づくとセイデンを見据えた。
「君は思うに宝石の呪力に囚われていたはずだ。どうやって正気を取り戻したんだ?」
「…………え?」
「繰り返すが、君が扱っていた宝石は普通の宝石ではない。呪術に使われるような禍々しいものだと思って欲しい。その呪術に憑りつかれた君がどうやって元に戻ったのだろうか。何か切っ掛けはないか?」
「切っ掛け……ですか」
セイデンは少し俯き考えてからミモザを見つめた。
目が合ったミモザは首を傾げる。
「…………その、彼女を襲った時こそ……最も憑りつかれていた時と言えたと思います。けれど、ミモザを前にして、彼女の声が聞こえたんです」
「声?」
「ええ……欲に囚われてから、何一つ周囲の声なんて聞こえやしなかったのに。どうしてでしょうね……ミモザの泣いている声が、叫びだけが……耳の残りました」
襲われた時のことを思い出せば……確かにミモザは彼の名を呼んでいた。
悲しみと、どうしてという想いに押しつぶされそうだった。それでも彼を、セイデンを信じたいと願ったことだけは忘れもしない。
そうして願った末、奇跡のようにセイデンは動きを止め、その場で泣き崩れたのだ。
「声……」
ふと、レイギウスは何かを考えだすと突如顔をあげてミモザを見た。
「君、歌を歌わなかったか?」
「はい?」
「歌だ。アレッシオ卿が言っていた。歌がどうとか」
「あ…………」
思い出した。
アレッシオが記憶を失う前に、彼に歌を歌って欲しいと頼まれたことを。
「君の声が切っ掛けになっているのではないだろうか」
「ですが、この間アレッシオ様に歌った時には何も……」
言葉を続けようとした時。
遠くから大きな騒音が響いた。
地割れするほどの大きな音に、地下牢の天井がパラパラと崩れた。
「何だ……!」
「ミモザ、無事か?」
格子の先で声を掛けてくるセイデンに、ミモザは頷いた。しかし未だにドン、ドンと何処からか音が響いている。
「上に戻る」
レイギウスが足早に扉へと向かっていく。ふと、思い出したようにミモザに向かい「君も来たまえ」と呼びかけられた。
ミモザは頷くとセイデンへと振り向き、少し屈んで彼を見つめる。
セイデンが黙って見つめ返した。
以前と変わらない、幼馴染の瞳。けれどもう戻らない大切な人。
「…………セイデン。私ならもう、大丈夫です」
「ミモザ」
「私ね、大切な人が出来ました…………もう、大丈夫ですよ」
許すとは言えない。けれど、セイデンの気持ちは痛いほど分かってしまう。
彼は優しい人だからミモザの傷が癒えないことを、ずっと苦しんでいくのだ。だから、せめて少しでも……その苦しみから解放されてほしかった。
「ミモザ…………」
「もう、大丈夫です。セイデン……貴方とこうして話が出来て良かった」
「…………うん。俺もだ…………」
彼からまた、涙が一筋頬を伝った。
それ以上の言葉は無かった。
ミモザは立ち上がるとレイギウスの後を追った。未だに響く地響きと騒音は地下牢を出ると更に響いて聞こえた。
それ以上にミモザとレイギウスを驚かせたのは、空の色だった。
「どういうことだ…………」
レイギウスの表情は青褪め、声は震えていた。
無理もない。
彼が見上げる空は薄暗く、先ほどまで晴れていた青空は消え失せていた。
そして何より恐ろしいのは。
薄暗い暗闇から一筋の光が降り注ぐようにして落ちている王城の屋根に。
甲冑の騎士が立っていたからだ。




