76 一方その頃
ほぼ同刻。
ログインした離凡は、【連合ちくわベース】にある自身のガレージを出て柔軟体操を始めた。
リアル体操選手なのだ。俊敏にあちこち曲げて靭帯を伸ばす。VRなのであまり意味は無いが……
「あっ、菊池さんからメールが来てる……どこ?」
某最後のファンタジーの3作目で言えば、風薫る水晶に出会ったばかりの離凡である。どこやねんッッッッッ、と突っ込むだけで精一杯だった。
「風のような人だなぁ……色々教えてもらって、あわよくば勝負してもらおうと思ったのに」
少しずつ、そして深刻にちくわカラーに染まりつつある離凡。
「ピューマ……じゃなかった離凡さん」
背後から女人の声。
まさか僕のファン?ハーレムの始まりだッッッッッ!
電光石火で振り向く。そこーー電柱の陰から覗いていた女性は、離凡にとって恋愛対象から最も遠い人物だった。
「チッ……カオザツさんかぁ」
「舌打ちに納得がいきませんけど置いといて……なんか菊池さん、他の都市に食い倒れに行っちゃったみたいですね。通貨を工面しておくべきでした。そうすればそこいらの高級レストランで爆食いしてたでしょうに……」
食い倒れ。的を得ている、と離凡は思った。彼の予想に反した出来事が菊池には色々起きているが。
「離凡さん、もしよかったらなんですが……」
満面の笑みを浮かべたカオザツは、獲物を見つけたハイエナのように距離を詰めた。
「何か(離凡の持っている素材は調理して)食べません?」
声に出さない括弧内を鋭い直感で見抜いた離凡は、距離を取ってから疾走りの練習をすると言って後ろを向き早歩きを始めた。なんとなくカオザツとは合わないと離凡は感じている。
「そんなこと言わずに、ね」
すぐ後ろーー背後霊の距離からねだる声が聞こえた。離凡は早歩きを軽いジョギングに変えた。
「綺麗なお姉さんとお食事ですよぉ」
読者にとって既視感を感じる一人称、降りきれない。離凡はジョギングの属性をパワハラ体育会系に変えた。早い話、速度を上げた。
「ウフフ、離凡さん。外食が良いんですかぁ。たまには良いかも知れませんねぇ」
引き離せない。いつの間にか離凡がエスコートする前提になっている。離凡はジョギングをダッシュに変える。
「ちょ、ちょっ、早い、速いですよ離凡さーん」
背後霊が剥がれない。離凡は決意した。国際レベルのアスリートの力、見せてやるッッッッッ!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……」
メダリストは本気で走った。
本気だった。
全力だった。
サーキットの前で止まる。
結構走ったんだ。僕に着いて来れる素人なんて、いるはず……
「あらあら、離凡さん。断り文句じゃなくて、本当にレースがしたかったんですねぇ!」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!」
このゲームのジャンルはちくわレースである。ちくわにスペック差はあるが、それを操るアバターには……無い。リアルの運動神経は反映されるかも知れないが、スペックは身長以外同じである。
「もう、ひどいなぁ。女の子を置いてくなんてぇ!めっ♪」
腕に抱き付こうとするカオザツを、離凡は闘牛士のようにいなす。
「どうして避けるんですかぁ♪」
離凡の本能がアラートです告げる。直感だけはいつも裏切らない。
実際この時点ですでにカオザツは、離凡がメダリストだと完全に把握しており、恩を売るためにスポンサーを用意していた。それも超絶ブラックな水産企業だ。
親切では無い。寄生虫のように張り付き、骨までしゃぶるつもりだ。
「あーん♪離凡さんのイヂワルゥ~♪」
集まるギャラリー。肉食獣のように離凡に絡むカオザツ。その動きにだんだん慣れてきた離凡は一切触れさせない。
「あいたぁ~♪ひどいよぉ~♪離凡さ~ん♪」
とうとうカオザツが転んだ。
この隙に少しでも遠くへ、と離凡は駆け出したが、立ち塞がる影が1つ。
「貴様ァァァァァ!」
その男性アバターの目には血涙。
「リア充が見せつけてんじゃねぇッッッッッ!」
切実な叫び。その人物のネームは『ママの仇討ち』。離凡は2度見した。集まるギャラリー、立ち止まった離凡にしがみつき『当て』ようとしたカオザツも2度見した。
「こちとらなぁッッッッッ!ママのッッッッッ!仇をッッッッッ!討とうとッッッッッ!ちくフルくんだりまでログインしてんだよぉッッッッッ!」
「いや、僕に関係無い「うるせえええええッッッッッ!人の気持ちを考えろッッッッッ!」
ママの仇討ちーーカタキは離凡の胸ぐらを掴む。暴力行為を止めようとNPCが集まるが。
「お前らあああああッッッッッ!良いのかッッッッッ!公共の場でッッッッッ!イチャつくカップルをッッッッッ!仲が良いとこ見せびらかしてるクソどもをッッッッッ!許せるのかッッッッッ!」
魂の叫びに、NPCたちが固まった。
「おいッッッッッ!女ァァァァァッッッッッ!」
「ワタシですか?」
「そうだッッッッッ!『顔を会わせれば雑談するくらいの友人』ッッッッッ!」
作者も忘れかけたが、それがカオザツの正式名称である。
「何なんだよッッッッッ!そのネームふざけてんのかッッッッッ!」
お前が言うか。誰もが叫びたかったが、大河のように流れる血涙がそれをさせなかった。
「萌えると思ってんのかよッッッッッ!」
「「「「「萌えねえからッッッッッ!」」」」」
こちらには同調した。




