73 観念世界にて
ちくわの上に立つ鎌倉の両手にはコントローラー。それを弓のように構えて、フルスイングに向けた。
フルスイングは心の目で物を見過ぎるタイプだーーいわゆる中2病だ。存在するはずの無い第3の目では、鎌倉の持つコントローラーがRPG終盤に手に入るやたら豪華な弓に見えた。
第3の目の中で鎌倉は矢を放つ。
第3の目は高性能だ。視るばかりでは無い。聴覚、触覚、嗅覚、味覚まで備えている。耳の脇を通り過ぎた矢から血の味がした。もちろん中2病患者特有の幻覚だ。
「やってくれる……」
フルスイングはコントローラーを重ねる。彼の脳内で彼はユニフォームを来ていた。金融業者が所有するチームに合併された、牛のチームのユニフォームだ。
ペロリと唇を舐めて、コントローラーを持ったまま左手を上げる。
すると存在しないボールがフワリと浮いた。中2病患者特有の幻覚だ。医者も両親も諦めている。
存在しないボールが重力に牽かれてゆっくり沈む。コントローラーを重ねた両手の……存在しないバットを振る。第3の目から快音が脳に届いた。
「手応え、あり」
あるはずが無いが、彼の中にはある。
そして……ノックで飛んで来た存在しないボールを、ちくわの上での鮮やかな宙返りで避けた鎌倉にとっても、脅威として存在した。
「「やはり同類かッッッッッ!」」
同類なのだろうか?
どちらが深刻なのだろうか?
年齢の分だけ鎌倉の方が深刻だろう。
蟹の赤と塩の白。2本のちくわが横転などの理由で停止したデコトラや家屋の間を、縫うように疾走する。
フルスイングが存在しないボールをノックで放つ。鎌倉は弓を構えているだけで反撃はしない。しかし、ちくわ捌きがわずかずつ洗練されていく。
フルスイングの額に汗。普通は何度も何度もサーキットで疾走って、失敗して、反省して、研究して、練習して、修得して、また失敗する。それの繰り返しで上手くなっていく。
なのに弓を構える鎧武者ーー鎌倉は、向かい合って疾走るだけで……徐々にではあるが洗練されて行く。異常な成長速度だ。
理由はわかる。菊池フルスイングが水準以上のちくライダーであり、善き手本になっている。
長引くとまずい。フルスイングだって菊池白菊と同じように、異なるワールドクエストを受けている。失敗は致命的だ。
フルスイングはエスケープに設定したシートに膝を付き、軽いダウン。それを3度繰り返す。弓を向ける鎌倉が先行する。
鎌倉の駆るちくわの原料がまさかの『塩』だとフルスイングは知らないが、スペックが劣っているのは察している。
ならば背後を取る方が有利。ましてチートとも呼ぶべき蟹ちくわ100%。
「だがアクティブシザーは使わねー!」
プライド由来の舐めプレイでは無い。素性のわからないこの敵に学習させるのは危険だ。
敵だ。ワールドクエストにて、敵対しているのだ。恐らく利害が一致することは、遠い将来にしかあり得ない。
「あくまでもッッッッッ!」
別のワールドクエストを受けているにしては、あまりにも鎌倉は稚拙。絶対に別の誰かーートップクラスのちくライダーが背後にいる。蟹ちくわの情報は、もうこれ以上与えられない。
トップクラスのちくライダーが、たとえば『菊池毒皿』や『光線銃』だったら……
フルスイングは考えるだけで身震いする。あの2人がこの『第3の目が覚醒した鎧武者』と連携すれば。
一応説明しておく。
鎌倉の謎弓技は、殺気を対象に送ることで成立する。ただし対象が殺気を知覚しなければ意味は無い。気配とか気とか感じ取れなければ効かない。
従って、菊池白菊、カオザツ、菊池毒皿、菊池光線銃、ママの仇討ちには通用しない。
菊池フルスイングに効いたのは、彼がイメージを強く受け取りやすい性質の持ち主だからだ。
逆に菊池フルスイングの謎ノックも鎌倉くらいしか通用しない。岐阜と仙台は……どうだろう。
…………離凡は、イメージを受け取り……曲解するのならば圧倒的に上回っている。
別に鎌倉とフルスイングは超能力者とかでは無い。
「ここでぶちのめすッッッッッ!」
杞憂であっても本人には深刻。そして深刻さがフルスイングの力を引き出す。
小刻みに体を動かして重心を変え、最大効率でデコトラやその他諸々を避けて仙台を追う。蟹ちくわはちくライダーにとって鬼に金棒。
鬼ぃさんと化したフルスイングは、あっさり仙台の背後を取る。
「知っているぞッッッッッ!」
若君が逃げるアニメで見た。
「弓を持ってる奴はッッッッッ!」
フルスイングがクロック。シートの背もたれに掴まりフルスイングは立った。仙台はシートに股がったままだ。
「右斜め後ろはッッッッッ!」
左手に弓を持ったまま馬に股がった状態で射とうとすると、体を捻り切れないからどうしても。
「死角になるッッッッッ!」
存在しないボールを左手で浮かせる。
同時に仙台が体を捻ろうとする。
「俺の勝ちだッッッッッ!」
存在しないバットを握りレベルスイングで振ろうとしたが。
「甘いぞ」
仙台は斜め後ろに弓を向けていた。
体が柔らかいわけでは無い。とても単純な話だ。
通常は、ほとんどの人は、左利きであっても弓を左手で持ち、右手で矢をつがえる。(逆のケースも無いわけでは無いとは思うが、作者は見た記憶が無い)
鎌倉は右手に弓を、左手に矢を持っていた。正確に記述する。右手に存在しない弓を、左手に存在しない矢を持っていた。
存在しない弓を持ち変えた。それだけだ。
こうして簡潔にまとめるとたいしたこと無いように思えるが、弓の持ち変えは普通はやらない。野球のスイッチヒッターよりも難しいのは確かだ。
そして矢は放たれた。
《菊池フルスイングがリタイアしました》
そう。
けして、別の作品と混じったわけでは無いのだ。




