68 デコトラ横転
「岐阜はん、このマンホールやで」
クバリと岐阜は、力を合わせマンホールの蓋を持ち上げる。
まだ地下水路から出ない。薄い隙間から外を覗く。
地上は暗い。暴徒の叫びや足音は遠い。そっと蓋を開け地上に出た。マンホールの蓋は閉じておく。ここが避難経路になる可能性が高い。暴徒の菊池への怒りが、子供たちに向けられないとは言い切れない。
抜き足、差し足。遠くからなぜか猫の鳴き声。
「……あいつら」
「クバリ殿、どうなさいました?」
「いや、なんでもあらへん。白菊嬢ちゃんのガレージはこのへんやろ。さっさと行こか」
人のいない通りを抜ける。プレイヤーは自分のガレージにでも避難しているのだろう。NPCはなぜか見当たらない。菊池がいれば『ご都合主義』と呟いただろう。
「デカイ家……ガレージやな」
干しホタテ貝柱によって増築された菊池のガレージは、ちょっとした豪邸のような外観となっていた。
「庭にドーベルマンとか離しておらへんやろな……」
「いませんから」
岐阜はズカズカと、しかしどこか優雅に庭を進み豪邸の玄関に入る。クバリも居心地悪そう着いてくる。
「ワイ、貧乏性やねん」
「まあ、緊張しますよね……」
某人間国宝の御自宅はもっと広いが、岐阜は『言わぬが花』を決め込む。
「おかえりなさい。…………白菊先生は?」
玄関では鎌倉がにこやかに迎える。いや、目は笑っていない。暴徒がプレイヤーのガレージのある区域を取り囲んでいる状況は、岐阜の予想通り把握しているようだ。
「さあ稚児たち、綺麗なお姉さんがエア紙芝居を始めるわよ」
仙台は……彼女なりに子供を和ませようとしている。
「「「「「エア紙芝居ッッッッッ!ウェ~イッッッッッ!」」」」」
自称綺麗なお姉さんのパフォーマンスはウケているらしい。おかげで子供たちは落ち着いている。
「エア紙芝居?」
岐阜も彼女が口にしたパワーワードが気になって仕方ない。
「エア紙芝居、めっちゃ気になるけどなぁ、皆さん……ちょっと外出しまへんか?」
クバリも気にはなっているようだが、それどころでは無い。鎌倉が岐阜を見る。岐阜は頷く。
「白菊先生……まことの国士であったか」
それは大げさだが、鎌倉は菊池が状況打破のために何かしてくれていると察したようだ。
「クバリさん。今はエア紙芝居を優先すべきです」
この状況で、と言いかけたクバリに鎌倉が耳打ちする。するとクバリが青ざめた。
何らかの気配を鎌倉は感じているらしい。ここに留まる方が悪手だと、岐阜とクバリは思っているが。
トラック、トラック……
岐阜も、仙台も、鎌倉も、この狂った効果音の正体をまだ知らない。彼らはそれほどちくフルをやっていない。
さすがにちくわの排気音はおかしいとは思っている。他の効果音が狂っているのには、想像が及ばない。
「鎌倉はん、今すぐ……」
クバリだけが異常を理解している。
トラック、トラック、トラック、トラック……
「ちくわを出して、子供をッッッッッ!」
トラック、トラック、トラック、トラック、トラック、トラック、ホーホケキョッッッッッ!
もう遅い。
体育館のような部屋の壁が崩れる。
飛び込んで来たのは、デコトラ。
「貴様ッッッッッ!やはりッッッッッ!」
叫んだクバリが轢かれる。
《このデコトラは人を轢いても安全な素材でできております。お父様、お母様、ご安心ください》
コンプライアンスに関する公式の言い訳に突っ込む菊池はいない。
笑いを誘う軌道で飛ぶクバリを岐阜が受け止め、仙台が子供たちを避難させる。
鎌倉は止まったデコトラの前に立ち、フロントガラスの向こうの運転手へと弓を構える。正確には弓無しで構える。濃密な殺気が岐阜と仙台に、剛弓の軋む弦とつがえられた矢を幻視させた。菊池やカオザツには見えなかっただろう。殺気は感じても。ある程度の強者でなければ視えまい。
当然データの塊でしか無いNPCにも、鎌倉の行為は理解できない。
《ムービーを開始します》
いつの間にか鎌倉、岐阜、仙台、クバリは、黒づくめの男に床に押さえ付けられ、後ろ手に縛られている。
「どういうつもりだ!」
クバリが芋虫のように身を揺する。押さえている黒づくめの男の覆面が(…………………………色々不自然だが)外れた。
「雇われ店長の分際でッッッッッ!」
鎌倉たちは知らないことだが、先日蟹100%のちくわに股がりながらも菊池に不運と踊らられたNPCだ。
「アンタのおかげで今は無職さ」
現在無職でありながらも、頭上のネームに『雇われ店長』と冠しているNPCは、まるで連続殺人犯のように笑った。すでに顔が暴かれている、と言うのにだ。
色々矛盾してはいるが、雇われ店長は親指をデコトラのコンテナに向けた。他の黒づくめが、やはり連続殺人犯のように……それもこれからまだ殺りますよと、考え抜いたトリックを使いますよと言わんばかりに笑い、泣き叫ぶ子供たちをコンテナに放り込んで行く。
……念のために述べておくが、この物語に密室トリックなど無い。殺人も起こらない。ちくフルクオリティの鬱展開は………………彼ら次第である。
岐阜は何か言おうとしたが、ムービー中なので何もできない。仙台もだ。だが彼らは、自らの師の怒りを感じていた。
「クバリ、アンタは指を咥えて見てな」
デコトラがバックでガレージを出て行く。
《ムービーが終了しました》
取り残された4人。
嘆くクバリ。
岐阜、仙台は鎌倉に指示を仰ごうとする。
鎌倉の動きは早い。すでに膝を曲げて縛られた手を前に通す。結び目に足をかけ、強引に縄から手を引き抜く。すぐさま彼は立ち上がった。
「「先生ッッッッッ!」」
岐阜と仙台も遅れたが、同じように縄を抜けた。仙台はクバリの手をほどく。岐阜は飛び出した鎌倉を追う。
鎌倉はガレージ外の雨樋から屋根に昇る。岐阜が追い付く頃には、殺気を込めて存在しない弓を構えていた。標的はデコトラの群れ。
「許さん」
NPCに殺気は通らない。NPCはプログラムでしかない。そのくらいは岐阜も知っている。しかし、こうなった鎌倉を止める手段は無い。
「天誅」
右手から存在しない矢が飛ぶ。
デコトラの群れの前から3台目が横転した。
「嘘でしょう……」
「岐阜、追うぞ」
デコトラを走って……いや、止めても無駄だ。
「鎌倉はんッッッッッ!ちくわや!ちくわで追うんやッッッッッ!」
地上で叫ぶクバリの側には、すでにちくわが3本用意されていた。素材は、塩だ。




