46 この作品に登場するサーキットは、あくまでもフィクションです。
「菊池サン、勝利条件が……」
レースの勝利条件は『対戦する運転手全てのリタイア』、敗北条件が『味方1人以上のリタイア』となっていた。
「カオザツ、なんとかなるわよ」
標準的な実力のカオザツは問題無い。よほどの事が起きなければ想定内の疾走をするはずだ。フォローはたやすい。問題は『僕やりますよ』オーラを全開にする離凡だ。
このワールドクエストも中断すると失敗扱いとなり、やり直せない。出した干しハマグリが返って来るかも不明だ。せっかく設立した法人もどうなるかわからない。
確実なのは、せっかく味方(?)になったカオザツが菊池の元を去ることだ。もしそうなっても、利害がかち合わない限り敵対はしないとは思う。
挙動不審の割りには目が笑っているカオザツを見る。彼女の人脈は広い。菊池のスペアはいくらでもいるはずだ。万智緒だってその1人だったはずだ。
レースを受けない選択肢は無い。問題はひとつずつ解決すれば良い。
「白菊ちゃん……頼む。仲間を助けてくれないか?」
「もちろんよ。ただね……」
離凡よりも大きな問題が2つ。乗るちくわの選択肢が少ないのと、コースの全容がわからないこと。
「菊池さん、あの操舵室に登れそうですよ。コースを上から見られるんじゃないですか?」
離凡が向ける指の先にエレベーター。
『この上が操舵室です。コース全体を上から見たい方はご自由にどうぞ。クリームソーダガチャあります』
そのような貼り紙がある。
「し、親切設計ね」
今はガチャを回す状況では無いだろう。
「ちくフルの設定とかクエストの脚本ってイカレてますね」
実はこれでもマシな方だ。
3人はエレベーターに乗ろうとする。
「「「待ってくれッッッッッ!」」」
ちくわを1本ずつ担いだ乗組員NPCが追いかけてきた。ちくわは1本1tと言う設定だ。
「「「俺たちがコツコツ作り上げた鮭のちくわだッッッッッ!もし良ければもらってくれッッッッッ!」」」
「ありがとうございますッッッッッ!」
受け取った離凡は……下敷きになった。死にはしないが色々ヒドい。
菊池とカオザツは、右手を開き、手のひらを空に向け顎の前に置く。そしてろくでなしが歌うブルースのように揃って舌を出した。
鮭素材の特徴は3つ。上り坂で加速しやすく、下り坂で加速しにくい。そしてちくわがしなりにくい。
Mリスペクトを最大限に生かせそうではある。が、本当にラリーくらいしか菊池には使い道が無い。【クバリに託す!】の時にあればもう少し楽できたかも知れない。
離凡はあくまでも体操のトレーニングにちくフルを利用している。シートの上で鞍馬の技を使った時にちくわが小刻みにしなるのを見て、菊池は鮭素材を勧めようと思っていた。
上り坂向けの素材は他にもある。鱒系と鮎、鯉などだ。ちくライダーはしなりにくい鮭を避ける。アンチPTAカテゴリを使いにくいからだ。またしなりにくいと衝突時の衝撃が逃げないのでリタイアしやすい。
一般のプレイヤーにとっては食材向けと認識されている。鮭が嫌い、と言う人は他の魚に比べて少ないからだ。あくまでもVRなので寄生虫の心配が無いので、ログイン中に生で食べる人も多い。
(天然鮭の生食は本当に危険なのでやめましょう。生で食べられる養殖サーモンは生産者が徹底管理しているからなのです)
話を戻そう。
レーシングちくわの素材として鮭の人気は低い。プレイヤーの間でまず取り合いにはならない。食材としてはもはや定番。相場もほぼ固定されている……と言うよりあって無いような相場なので、プレイヤー同士でのトレードでトラブルが起こりにくい。よっぽど離凡が舐めた態度を取らない限りは大丈夫だろう、と菊池は考えている。
現状、【ハマグリ資本連合】では素材が高騰しているが、鮭の相場にはそれほど影響が無い。クエストで、特にイクラはたやすく手に入りやすいので、プレイヤーはわざわざ買わないからだ。リアルの牛鮭定食の消費は増える可能性は微粒子レベルであるかも知れないが。
そもそも買う者も、菊池やカオザツのようなリアルでドカ食いをする者くらいしかいない。実際……イクラだの白子だのハラミだの、Kg単位で出されても辛いだろう。
エレベーターで操舵室に登り、サーキットを見下ろす。
コーナーが多いがストレートは長い。ピットインは1ヶ所。甲板から見た時はは小さな傾斜が目立った。モヒカンどもの疾走する方向からして、下りが多い。
モヒカンどものちくわの疾走が緩い。あちらも比率は不明だが鮭素材を使用しているはず。外見が世紀末風なのは演出だ。
1番気になるのは、目に見える部分だけでコースが完結していないことだ。モヒカンどもは船内に下るスロープに入って行った。
「菊池サン、合体する時に縮尺が変わるロボットって、昔ありましたよね?」
「ええ。古き良き時代にね」
ここから見た光景だけで判断すべきでは無いとカオザツは言いたいのだろう。
菊池は腕を組んで考える。
「1列に並んで疾走るのが良いわね。先頭がアタシ、真ん中に離凡君、後ろはカオザツで」
菊池の態度で離凡の実力のおおよそを推測しているカオザツも賛成した。少なくともこのクエスト達成のために最大限の努力はしてくれるようだ。
「もしも追い付かれたら、アタシが最後尾に回るから……カオザツ、先頭にスイッチできる?」
「難しいですね。離凡サンの疾走を実際に見ていないですし」
カオザツの視線はちくわの穴に向けられている。
たった1人のリタイアでクエスト失敗になる。勝負の鍵は離凡のリタイアの徹底回避となるだろう。
せめて初見のコースでなければ、いくらでもやりようはある。全く把握していないコースでは、ターンリフトで背後を見張りながら見ずにコーナーを攻められない。
ちくライダーの技術はコースの完全理解が前提となる。
「僕の役割はありますよね?」
これから飛び込み営業に回ろうとする新入社員のように、根拠の無い自信を込めて離凡が言う。
なんだかんだ離凡の屈折したプライドは高い。中の人はメダリストなのだ。
「そうね……」
実力よりもプライドが高い者を下手に素人として扱うと、ふて腐れて勝手なことをしかねない。想定は絶対に越えてくる。
「ねえ、離凡君」
菊池はしっかりと離凡の目を見た。
「はい」
「ちくフルは、ちくわに乗ってレースをするのは楽しい?」
万智緒とのレースを見た後、離凡に微妙な変化があった。カオザツから観客席でのことは聞いている。
「「「「ヒャッハーッッッッッ!」」」」
「「「「助けてくれえええええ!」」」」
4本のちくわが下から飛び、操舵室の窓ガラスの前で自由落下を始める。地下の様子がどうしても想像できない。ジャンプ台のような物でもあると言うのか?
「まだ……わかりません」
窓の外からちくわが見えなくなるのと同時に離凡が答える。
「ですが僕なりに、菊池さんのように疾走してみたいです」
菊池は窓から離凡に視線を向けた。
普通にタイムを競うだけならどうとでもなる。今回は条件が悪過ぎる。離凡が最低限の疾走をそれなりに行うのに賭けざるを得ない。
「3つ約束して。まず、1周目は絶対にカオザツに着いて行くこと」
「菊池サン、ちょっと待ってください」
カオザツが反論する前に菊池が言う。
「カオザツ、力を貸して。ここは生半可なコースじゃ無いわ」
むぐう、とカオザツはうつむく。
「次に、何かしようとするときは、絶対に迷わないで」
はい、と力強く返事する離凡。中途半端に何かするよりも、思い切ってもらった方がフォローしやすいだろう。
「最後に……」
離凡の喉から唾を呑み込む音が響く。
「どんな時でも最大限に楽しむ努力をするッッッッッ!…………アタシもできているとは言いがたいけどね」
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