第63.5話 諜報員の日常
パルマーがミラー公爵領の次に目を付けたのは、エストアニ王国の首都であるエストアニ公爵領だった。そのエストアニ公爵領の情報を仕入れるため、元孤児の諜報員の1人であるウェインはエストアニ公爵領へ潜入する。
既にディール王国が元孤児の諜報員を活用していることは一部の国にバレているため、ウェインはこの世界にもある化粧を用い、青年から皺の多い老婆へと変装をする。元から女顔ではあるが、皺を入れるだけで完全に老婆になり切れるウェインは、老婆への変装を多用していた。身体的にひ弱な老婆であれば、余所者であっても警戒心が下がるためだ。
ウェインは、ディール王国のことが好きではなかった。確かに元孤児という身分で、パルマーに取り立てて貰った恩義はあるが、クヌート教の教徒を追い詰め、従順でない者に対して過剰なまでに過激な対応をする部分は他の王と比べた時に異質な王だ。はっきりと言ってしまえば、狂暴で凶悪な王だと思っていた。
しかし地震という大きな災害の後、評価はガラリと変わった。あっという間に震災の被害から復興したディール王国に対して、エストアニ王国は未だに震災の復興が延々として進まない。ディール公爵領と同程度の被害だったエストアニ公爵領では、未だに野宿みたいな生活をしている者も多い。
仮にも領国首都で、復興が国で一番優先されるべき地域でこれである。強固な独裁体制は、非常時に強い。それは戦争だけではなく、災害時にも適用される。エストアニ王国は王がいる王権国家だが、その王権は限定的であり、封臣達に対して強い命令を出すことは出来なかった。
同じ王国でも、王の力が強いか弱いかで国の体制というものは大きく変わる。既に絶対的な王権という、高い王権レベルに上げようとしているパルマーは、伯爵や公爵の戦争を許可制にしており、自由に転封させることも出来る。
逆らおうとする封臣は最早おらず、反乱は男爵級以下の封臣や封臣の封臣しか行わない。完全に恐怖による支配だが、これが震災からの復興時にも役に立った。犯罪行為をしようとしたり、混乱に乗じて大儲けをしようと思う人間が、圧倒的に少なかったのである。
対してエストアニ王国はまず封臣達から納められる税が、ディール王国より少ないカルリング王国よりも少ない。地震が起きた時、封臣達はまず自領の立て直しを行ったため、首都の機能回復が遅かった。火事場泥棒も横行し、貴族層が混乱に乗じて殺される事件も相次いだ。
そんなエストアニ公爵領の露店で、ウェインはある話を盗み聞きする。武器を扱う露店の店主に対して、仲良さげで大きな男が話しかけていた。
「おい、聞いたか?第二王子のゲルグナー王子の派閥が王座の要求をしたってよ」
「ああ。エストアニ家の次男は戦上手らしいし大きな内戦になるかもな」
「隣国に付け入る隙を与えるぐらいなら、さっさとゲルグナー王子に王座を明け渡して貰いたいものだがねえ。第一王子の方は頭がアレなんだろ?」
「いや、それは初耳だが何かあったのか?」
「知らないのか?先月の………………」
そしてその会話の中で、不可解な点を発見する。この国の第一王子と第二王子は例に漏れず不仲だが、元々の評判では第一王子の方が評価は高かったこと。それに加えて、第二王子は別に戦上手なわけではない。既に情報の操作が始まっていると感じたウェインは、より詳しく調べようと思いそこから立ち去ろうとして、先ほど店主と会話していた大きな男がこちらに近づいて来る。
「ただの老婆じゃねえな。何者だ」
「そちらこそ何者だ。第二王子の派閥の者か?」
ウェインは店主に話しかけていた男と対峙するが、相手の方が大柄であり、自身より力がありそうだと感じる。つかつかと歩いて距離を縮める大男は、唐突にウェインの頬を思いっきり殴った。
あまりの衝撃に、横の壁に打ち付けられるウェイン。そこへ大男は、腹部への蹴りを追加で放った。普通の老婆であれば、間違いなく死ぬ攻撃。それを大男は躊躇なく行い、蹴りを受けたウェインはその脚へしがみつく。
「なっ」
「ふんっ」
即座に懐から短剣を取り出したウェインは、しがみついた脚へ容赦なく短剣を突き刺した。大男の断末魔が響き、崩れ落ちた大男を、ウェインは蔑んだ目で見つめる。
「もう一度聞く。どこの者だ」
「……アノン王国だ」
「嘘だな。次はないぞ。どこの者だ」
ウェインは懐にある魔力球を光らせ、これは嘘が分かるアーティファクトだと嘘を吐く。喉元に短剣を突き付けられた大男は、改めて所属を聞かれ、マシア王国だと答える。エストアニ王国の南にある、比較的大きな王国であり、ディール王国にとっては未知が多い国だった。
そのマシア王国が、エストアニ王国に仕掛けていると知り、良い報告が出来そうだと思ったウェインは、憲兵達が迫って来るのを感じ取り、すぐにその場から逃げ出す判断をする。その際に5個の煙球に火を付け、ばら撒いたため、辺り一帯は煙で包まれた。
この煙には有毒ガスが含まれており、多量に吸い込めば気絶し絶命する恐れもあるが、ウェインには効果がない。現場に到着した憲兵達は路地裏の一角が煙まみれになったことでウェインを逃がしてしまうが、その煙が有毒性だったことで、ディール王国の諜報員が来ていたということを認識する。
そしてその場で気絶していた大男は、マシア王国からの諜報員ということで捕らえられた。




