第55話 繊維
カルリング帝国の軋む音が聞こえる中、ディール王国の王都では国内初の製糸工場が稼働を始める。工場とは言っても1つの場所に人を集めて効率的に糸と服を作っているだけだけど。それでも効率面では、今までと比較すると段違いだろう。道具は全部俺の懐が用意しました。税収が落ちている中での出費は、地味に痛かったのは内緒。
蚕のような虫は存在するし、何なら綿花もある。それらから糸を紡いで服にするまでの工程を、国が一元管理して大量の雇用を創出。戦争がなくて暇になった奴隷とかも働かせて、ひたすら服の量産を続けるのだ。
……日本で初めての工場も、富岡製糸場という製糸工場だった。繊維関係の工業化は、国が貧しい内は必ず成功する。というか工業大国が必然的に通る道筋の1つだ。その最大の理由は、繊維業は人を大量に雇用することが出来るからだろう。
あと人件費を安く抑える必要があるから、国が発展していないことも条件の1つに入って来る。人件費が高くなると、絶対に元が取れないからな。産業革命期を迎えた欧州。戦前の日本、少し前までの中国。全部、この繊維関係の工業化に伴って発展してきたから実績はある。
そして何より、他国はまだ繊維業の工業化を行っていない。これが意味することは、他国の繊維業を破壊することが出来るということ。ちょっとでも貿易摩擦の知識があれば、誰でも思いつく嫌がらせだな。
どうあっても、安くて質の良いものというのは流通する。わざわざ関所を設けたのは、他国からのスパイ防止とか情報の流出、食料の流出を防ぐためが主目的だけど、自国の産業を守る意味もある。だから将来的には、特定の物品の流入は防ぐようになるだろうね。
今の状況は、自国には税関があるが他国には税関が無い状態。こんな美味しい状況、現代人なら利用するしかないわな。
「……このような上等な服を、他領に持って行って安価で売るのは勿体ないですわよ」
「自国領にも流通はさせるし、他領にまで持って行くことに意味があるんだ。他領でこの服が流行すると、どうなる?」
「そもそもカルリング帝国の民に服を買う余裕があるとは思えませんが……ボルグハルト王国やエストアニ王国、レナート帝国ではこの服が流行るでしょうね。安価で買えるのであれば、庶民でも買いますわよ」
「そうなると、他国で服を作っている人はどうなる?」
「……まさか」
「分かったなら、シュルト公爵家にいる服職人は全員こっちに呼んで。たぶんもう、他領で繊維業に携わる人は生きていけないから」
リンデさんに、噛み砕いて説明してあげるとすぐに服職人を移住させるよう実家へ手紙を書き始めた。実際には、ブランド力や人脈のある職人とかは生き残るとは思うけど、それ以外だとマジで絶望的だからな。
ただまあ、農民は服の自作もするし、被害を受けるのは都市圏の人間だけか。他国にどれだけの実害があるかは計算出来ないけど、偽造通貨ほどの効果はないな。
問題は、他の国が産業の乗っ取りにいつ気付くかだけど……現段階の文明レベル的に、手遅れになるまで問題視されないだろうな。もちろん、他国が失業者対策をきっちりと出来るなら今回の手はそこまで効力がない。しかし労働集約型の繊維業で負けることの不味さを、把握している国があるとは思えないんだよな。
あとは海運を使いたいから、早めに内陸国から脱したいけど、カルリング帝国を切り崩していくしかないか。シュルト公爵家と領土が接すれば、シュルト公爵を臣従させることで海に面するけど、素直に臣従してくれるかは謎。
そもそもシュルト公爵領までが遠い。あと公爵領2つは切り取らないといけないし、絶賛飢餓中の領土はあまり支配下に置きたくない。負担も大きいし、もっと人が減ってから取り込みたい。
「シュルト公爵領より北の海は、分厚い氷の大陸以外ありませんわよ?しかもその氷の大陸、とても遠いですし……」
「単純に、この大陸の南の領土に運ぶとかにも海運は活用できるでしょ。
……南の海の先は、別大陸だっけ?」
「そのようですわね。南の情報はあまり入ってきませんが」
「レナート帝国の南にある、アノン王国の南に教皇領があるってことしか知らんわ。だけどその教皇領が、海に面しているんだよな?
……もう少し、探索範囲は広げるか」
南はエストアニ王国があって、その東にアノン王国がある。アノン王国の南にクヌート教の教皇がいる領土があるということは、ディール王国から見て教皇領は南南東の方角だ。そこまで辿り着けるのに、あと何年かかるかな。
本の虫だったリンデさんも、南の大陸のことまでは知らないし、俺の元にも入って来ていない。というか色んな情報は集めているけど、東の山脈を抜けた先にもカルリング帝国と同じ規模の国があるみたいだし、海の先にも大陸はある模様。その東の大陸と南の大陸は、同じ大陸っぽい。
世界は広いけど、まずこの大陸が広いからもしかしたら地球よりも地表面積は大きいかもな。そもそも、地球と同じ大きさとは限らないし、下手したら地球の数十倍という可能性も……。
もしかしたら、もっと文明が進んでいる国が他にあるかもしれない。だけどこの周辺では、製糸工場を稼働出来た時点で俺の国が一番になるはず。外貨を稼ぐついでに、他国の基幹となる経済を破壊し、弱らせてから襲おう。それが一番、確実なはず。




