空回る魔女(3)
「当然よ。さあ、さっさと飛行船とやらに案内なさい」
高飛車に言い放ったのに、何を思ったか、見覚えのない子供が、てて、と近付いてきて、魔女の顔を覗き込んだ。
「アンタ、迷子みたいな顔だな」
「なっ……!?」
まだ幼さの抜け切らない子供に指摘されて、ガッと顔が熱くなる。
落ち着け、相手は子供だ。怒鳴るなどみっともない。……ところで、本当にこの子は誰なのか。いや、今はそこは気にすまい。
ふるふる震えながら(もちろん恐怖からのものではない)、笑顔を浮かべる。余裕を持て、お前は魔女だ。と自分に言い聞かせる。
「アタクシ、が? ほほほ、面白いこと仰るのね。アタクシは薔薇の魔女よ?」
目の前の子供はピンときていないようであったが、もはや気にしなかった。
そうだ、自分は最強を誇る魔女なのである。この人数差ではさすがに勝てはしないが、しかし負けもしない。偉大なる魔女だ。
隙を見て魔道書を奪って逃走することなど造作無いこと、──あれ、でも彼らの魔王城が目的地なら、逃走も何もなくないか? 自分の目的地も魔王城だ。
ぐるぐると考えている魔女を余所に、飛行船が動き始める。
たった五名という人数を運ぶにしてはやけに大きな飛行船は、雲を掻き分けて、進んでいく。目的地はハッキリしているようだ。
「オレの村の方向?」
「あァ、あそこが一番渡りやすそうだったからなァ」
村という言葉に、窓から外を見る。一面に緑が広がる光景に、つい目が奪われるが、今重要なのはそこじゃない。
“渡りやすそう”──今、彼はそう口にした。その感覚は界層渡りでもできない限り、分からないものだ。
界層を渡るのに必要な資質が何であるかは、未だに解明されていない。魔力量ではないのだ。できる者は、初めからどうやればいいのかを知っている。誰に教わるわけでもなく。
(この男も……?)
先程の思考を再開させる。幾分か冷静にはなっていた。
“癪ではあるが、本格的に、ここで潰しておいた方が良いかもしれない”。
そう考える程度に、冷静に。
界層渡りの資質を持つ者。そして勇者の力。魔王軍の下っ端では足止めにもなりはしない。実質、魔王対彼らという図になるだろう。
きっと、その時、“彼”は魔王の隣に立つだろう。大した力も無いクセに。
ならば、と。魔力を研ぎ澄ます。
捏ねて、練って、形を作り、
タイミングを合わせて──
「止めておけ」
肩に手を置き止めたのは、賢者だった。無意味に命を散らすな、と言う。
普段であれば憤ったであろう言葉は、しかし今回ばかりはひどく的を得ていた。
飛行船は今、空の中ではなく、異空間を移動している。この中で迷えば、どの界層にも行けずに、死ぬまで彷徨うだろう。いかに界層渡りの能力を持っていても回避できない。
魔女は、自分の身を犠牲にしてソレを為そうとしていた。
「偉大なる魔女殿、貴方ほどの実力ならば、そのような誰も助からぬ方法でなくとも、やりようがあるだろう」
「……誰も助からないわけじゃないわ」
にんまりと魔女は笑う。
シュバッ、と、ジュボッ、の間のような音がした。景色が変わる。
広大な土地。
草木は無い、乾いた土地。ひび割れた地面の上を飛び越え、魔物の群れが走っているのが見える。
戻ってきたのだ。
……戻ってきて、しまったのだ。
笑えばいいのか。泣けばいいのか。
今すぐにでもこの界層から逃げたい感覚に駆られ、寸前で抑え込む。
──魔道書を奪えば。
しかし今は、それさえも言い訳のような気がしてならない。
結局、何かしらの理由を付けて、帰ってきたかっただけなのかもしれない。
あの人の隣に誰かがいるのか。誰もいないなら、その場所を自分のものにしてしまってもいいか。それを確かめるキッカケが欲しかっただけなのかもしれない。
「迷子、か……」
言い得て妙である。
飛行船から降りる。うわあ、慣れ親しんだ渇いた空気! 早速水が欲しい。喉が渇いた。
気付かなかったが、どうやら魔女の身体は地上界に合わせて変わっていたようだった。
「いっそコレで城に突っ込ンでも良かったんだけどなァ?」
「帰れなくなるから止めろ」
賢者がギロッと睨んだ。ククク、と笑う剣士にさして困った様子は無い。魔界でも生きていけると思っているのか、あるいは先程の考察通り『自分だけは帰れる』と思っているのか。
残りの二名は物珍しさからか、きょろきょろと周りを観察している。
「見ろ! あの木、実がなってる!」
「あぁ、それは手を出しちゃ駄目よ。水分補給するつもりが、逆に吸われるからね?」
干からびたくないでしょう、と脅し付ければ、少女は素直に頷いた。けれども物自体が気になるのか、チラチラとそちらを見ている。
「面倒見いいのなー」
「別に面倒なんて見てなんか無、」
くい、と少女に服の裾を引かれた。何よ! と声を荒げるが、それに対しては特に気にした様子もないまま、なあ、と不思議そうな顔を向けられる。
「あの実、食べてるやつがいるぞ?」
言われて、まさか、とそちらを見る。
やけに太い幹から分岐している、幾本もの枝先を見る。たわわに実ったそれらを、無造作にもぎ取り、外の皮ごとガリガリと齧る、猿型の魔獣。
白目も無く、ただ全体的に黄色い目がこちらを向いた。
「あ、俺これヤバイ予感する」
魔女が何か言う前に、勇者が察した。さすがは勇者だ。褒めてつかわそう。
「いいこと? あいつは雑食なの。でも肉の方が好きよ。どうやって獲物を狩るか、教えてあげましょうか」
「聞きたくないけど、ドーゾ」
猿が、がぷりと果実を口に含む。ぷっくりと膨れた頰。あの果実に含まれる水分を奪う成分は、猿型魔物には効かないので、飲み込んでも問題無い。
勇者は腰を低くする。いつでも動ける準備はできた。
「水分を奪う果汁を口から噴き出して、相手を弱らせてからイタダキマス、よ」
「げっ、マジか! 嫌だ!」
ぷぷぷぷっ、と猿が口から粘っこい黄色い液体を吐き出した。勇者がそれよりも早くに跳ぶ。
魔女は避けるのではなく、ぐい、と少女の掴んで、魔法壁を展開した。壁に、ベチャッと音を立て、ドロリとした液体がぶつかる。気持ち悪い。
こんな猿いたら、全力で走って逃げる。




