10.感謝の手紙
「これでいいかしら」
「あら、どなたへのお手紙ですか?」
「お祖父様よ。お話したいことがあるのにちっとも帰ってきてくださらないから催促しようかと思って」
「それは……」
ナタリーとマルクにはすでにお母様達のことは話しました。ナタリーは涙目になりながらも、『絶対にご無事ですよ!』と言って笑顔を見せ、マルクも『当たり前です』と言いながら、ナタリーにハンカチを差し出した。
マルクの予備のハンカチは、最近ナタリー専用になっている気がするわ。
「お祖父様が戻ってきたらワガママを言ってみようと思うの。盛大に駄々をこねるつもり」
「……ブランシュ様から初めて聞くワードですね」
「でしょう? でも、いい子ちゃんはやめたの。だったら次はワガママくらい言わなきゃ」
与えられなかった権利を略奪しただけでは足りない。だって、相手はもっと無慈悲に私から搾取し、罪悪感という贈り物を突きつけてくるんだから。
「残念ながら、お祖父様は趣味が悪いのよ。ドレスを買いに行ったときに気付くべきだった」
「ドレスはとってもお似合いでしたよ?」
「あれは、お金の出どころはお祖父様だけど、選んだのはシルヴァン兄様だもの。
お祖父様はね、リボンとフリルがいっぱいの、私の好みなんか無視したものばかりを押し付けてきたわ。
ああいう、ちょっとしたところで人の本性って出るんだなって、今なら分かる」
「なるほど。相手の気持ちは考えず、自分の好みに染めたい公爵と、ブランシュ様を喜ばせることを一番に考えているエルフェ様との違いですか」
「そ。マルクだってプレゼントするときは相手が喜ぶ姿を想像して選ぶでしょう?」
「普通はそうだと思いますが」
「世の中にはいろんな考えの人がいるんだなって理解したわ。だから世の中から争いはなくならないのね」
プレゼントひとつでこんなにも違うのだ。
そこには悪意はなく、それぞれの心の中には確かに好意があるのに。でも、受け取る側からすると別のものに変質してしまう可能性もあるのだから不思議よね。
「でも、『彼の色に染められたい!』という女性もいるんですよ。摩訶不思議ですよねぇ」
「要はしっかり相手と向き合えということではありませんか? 上辺だけを見て思い込みで行動せず、わかり合う努力を惜しむなということでしょう」
なるほど。人の数だけ真理があって、その人にとっての正解も無数にあるのだもの。理解する努力は必要ね。
「でも、人にやられて嫌なことはしない。たったそれだけのことだと思うんですけどねぇ。
だって、相手を自分の色に染めたい人は、自分が無理強いされることは嫌がると思いません? だったらどうして自分だけは許されると思うのかっていう話ですよ!」
「……ナタリーは真理を突くのが本当に上手だと思うの」
「ええ? だって小さい頃からそう教わってますもん。『自分がやられて嫌なことをしたら駄目でしょ!』って、イタズラとかしたあとによく言われましたよ?」
「確かに。私も拳骨付きで言われましたね」
「……そうね。私もエマにそう教わったわ」
皆が当たり前に幼少期に教えられているのに。
「高位の貴族家では教えないのかしら」
「そうですねぇ。特権階級というか、どうしても上下関係がありますから、誰にでも対等という考えはないのかも?」
「……じゃあ、私はお母様に感謝しなきゃいけないかしら」
私はエマに育ててもらえた今の自分のほうがいい。
貴族や平民の立場の違いは理解できるけど、そんなもので上だの下だのと判断したくない。でも、この考えは貴族の中では正しくないということは覚えておかないといけないのかも。
でも、特権かぁ。それは相手を踏みにじっても許される階級ではないはずなのにね。
「それがこの世界の道理なら、私はそれに反する存在でいいわ」
「私はそんなブランシュ様が大好きですよ」
「ですが、危ないと思ったときは絶対に止めます。命あっての物種ですから」
そこまで危険なことをする気はないつもりだけど。
「ただの家族へのワガママを言うだけだよ?」
「でも、公爵様って怖いですよね?」
そういえばミュリエルも怖がっていたわ。ある意味野生の勘を持つ二人が怖がるのってどうして?
「ナタリーはお祖父様のどこが怖いの?」
「え!?」
「だって、叱責されたとかではないでしょう? だから不思議だなと思って」
「……えっとですね、なんだかチグハグな方だなって」
「チグハグ?」
「はい。たとえば、初めてお会いしたときは優しいお祖父様という雰囲気でしたよね? でも、そのすぐあとで、子ども達の前で平気でご両親を裁いたじゃないですか」
「……そうね」
「本当に家族思いの優しい人ならそんなことはしないかなって思いました。それに、国王陛下の下された罰をさらに厳しくしたと言っておられたのを聞いて……実の娘にどうしてそこまで? と怖くなったんですよね」
てっきり世間体のために厳しくしたのかと思っていたけれど、言われてみると色々とおかしいのかも。
……お祖父様は本当はどんな方なの?
「私の意見を言ってもよろしいですか」
「なに?」
「たぶん、公爵様は演技をなさっています」
「……どんな?」
「彼は根っからの武人です。その根本は荒々しいものなのだと、剣を交えていると感じます。
ですが、ふだんは朗らかで気さくな人柄のようでしょう? それがあの方の処世術なのかと思っていましたが、あまりに正反対な人物像の演技なので長続きしないのだろうなと思っていました」
……ああ。私は思い違いをしていたのかもしれない。今、聞いたことが本当なら。
「ナタリー。手紙を書き直すわ。新しい便箋をちょうだい」
『拝啓 吹く風も夏めいてまいりましたが、ご健勝にてお過ごしのことと存じます。
この度は私達兄妹のために素晴らしい後見人を選定してくださり、誠にありがとうございます。
ジュールおじ様は、とても朗らかでお優しく、また、博学多識でいらっしゃるので、初めてお会いしたのにもかかわらず、お話が尽きませんでした。
お祖母様にも報告したところ大変喜んでくださり、まるで新しい祖父母ができたようで胸がいっぱいです。
このような出会いを与えてくださったお祖父様に心より感謝申し上げます。
できましたら、直接お礼を申し上げたいと思っております。ご都合をお返事いただければ幸いです。
末筆ながら、ご自愛のほどお祈り申し上げます。 敬具』
よし、これでいいかな?
「ちゃんと意味に気がついてくれるかしら」
私の予想では、慌てて戻ってくると思うのだけど。
だって、たぶんお祖父様は───
手紙を送ってからしばらくして、『もうすぐ帰る』というお返事が届きました。




