6.コルトー伯爵家(5)
私が王家を想像したことをジュール様は気付いているはず。
それなのにこうやって聞いてくるということは、私の答えが間違っているというの?
「……ジュール様は王家が怖くはないのですか」
「そうだねぇ。僕にはもっと怖いものがたくさんあるんだ」
王家よりも怖いもの?
「赤さびにうどんこ、赤かび! 僕の大切な小麦ちゃんを駄目にする病気は本当に恐怖だ! それに虫害も怖いし、刈り入れ時に熱病が流行るとそれも怖い! あと? あっ! 今年は豊作だと喜んだときに来るハリケーンとかも本当に勘弁してほしいっ!!」
「……病気は薬剤散布だけじゃなく、前作の小麦残渣に病原菌が越冬するため、すき込みや輪作、夏期の代かき・湛水などで残渣の分解を促進して伝染源を減らすといいそうです……」
「おおっ!?もしや、ブランシュは農業に興味が!?」
いえ、ただ当主の座を奪ってやる宣言をしたときに、少し勉強しただけです。
「他に怖いものがあるから王家は怖くないのですか?」
「いや? 僕の怖いものは王家も怖いんだ。作物が駄目になること。領民が飢えること。それらは不満となって領主に向かう。なぜもっと早く対策してくれないのか、天災なのだから何か補償はないのか、とかね。
そこで不満を食い止め、改善策が出せなければその怒りはいずれ王家に向かう。
民衆プラス貴族達の不満だ。領地の問題は国の問題。なぜ国は動かないのかと苦情が出る。
天災ならば、いくつもの領地に被害が出るだろうから大変だ。
みんな自分や家族の命が掛かっているから必死だ。下手をすれば暴動が起きる。
王家はね、みんなに支持されていないと王家ではいられないんだよ」
「でも、そういった対策は色々と想定して準備しているのではありませんか?」
災害の起こりやすい地域、天災の起きる頻度。過去のデータを基に割り出しているでしょうに。
「自然は人間ごときに操れるものではないよ。そうだろう?魔法使いくん」
「……そうですね。自然の猛威の前には、魔法使いだって役には立ちません」
「グラティアが各領地に一名いたら嬉しいんだけどなぁ。でも、魔法使いを酷使したとしてダカンの二代前の領主が捕まってからそれも難しくなった」
「そうなのですか?」
「ああ、君達の世代では知らないか。
うーん。要するに、能力のある人間はその才能をみんなのために使うべきか否か。というやつだね」
「それは……本人の自由なのでは?」
「それが許されない時代があったと言うことさ。で、話を戻すけど」
ごめんなさい、脱線させてしまいました。気になる内容だけど、今はこのお話ではなかったわね。
「要するに、王様とは権力はあるけれど絶対の存在ではないんだ。貴族や国民達の支持を得られなければ、次に替えられたり、酷ければ全員弑した後に完全に別の王が立つことだって考えられる。
だから彼らは民意を無視できない。
あ!そうだ、だから君はすごいと思ったんだよ!」
「はい?」
「知らないのかい?魔法使いと小さな淑女の物語だよ!」
……何かしら。ナタリーが好みそうな物語な気がします。
「公爵家のパーティーで、両殿下の目の前で王女のお気に入りの魔法使いを奪ったのだろう?君自身も王子の婚約者の座を蹴って」
「!!」
グルンッ!と勢いよくシルヴァン兄様の顔を見ると、ニッコリと鉄壁の笑顔を向けられる。
……なに。あの時のお話がそんなにも広まっているの?私はただ、ひと目の多い場所でひと芝居打てば後から覆すのは難しいだろうと思っただけなのに!
「ああいうのが効果的なんだよ。もともと健気とか純愛とか禁断の恋とか、こういうのは貴族、平民にかかわらず人気の題材だからね!
だからその後は王族からのちょっかいは無かっただろう?」
そうね、無かったですよ。でも、兄様に聞いたお母様のお話が衝撃的過ぎて、そんなことはきれいサッパリ忘れていました。
「だから君はこれからも隠れることなく堂々と外に出るといい。姿を見せないと好き勝手に噂を立てられていいように使われる。王家は困ったことに噂の捏造が得意だからねぇ」
「……でも、聖女はあまり役に立っていないのでは?」
「あれはタイミングを少し間違えたのと、ダンドリュー公爵家を見誤ったせいだろう」
「タイミング?」
「あの頃はまだ終戦していなかった。戦が終わり、英雄の凱旋に消されてしまったのさ。
それに、強く打ち出すには英雄の娘の犠牲が取り沙汰される危険もあったからね。
あとは英雄の彼。あいつを当主として仰ぐ人間は公爵家家門には存在しない。
公爵家の血を継ぎ、ここまで守り抜いてきたのは間違いなくデボラ様だ。
だから王家はデボラ様をぞんざいには扱えないし、彼女が庇護すると決めた君達のことも慎重にならざるを得ない。
さあ、これで少しは恐怖が消えたかな?」
ジュール様のお話はだいぶ楽観的だけど、言わんとすることは分かりました。
王家は世論や民意を無視できない。
だから、理由なく物事を進めることは難しいということ。そして私は公爵家のパーティーで名が知られたおかげで、強引な手は使えなくなったのね。
そして、公爵家の当主は実質的にはお祖母様のもので、家門の皆様もお祖母様を支持している。
「……ジュール様のお言葉を信じてよいのですね?」
「デボラ様は私達の大切な姫君だった。前公爵夫妻が流行り病に罹り、夫人が亡くなり、公爵様もなんとか命は助かったものの、後遺症が残り、すっかりと弱ってしまわれた。その隙を突いてきた王家を苦々しく思っている者は多いのだよ。
だからパーティーの話を聞いたときは、また我が家門を利用するつもりだったのかと憤ったし、9歳の子どもに負けたと聞いてたいそう胸がすいた!
君の今の不安は分かる。だが、君はしっかりと戦えているし、ダンドリュー公爵家だけでなく、その傘下の貴族達もいるんだ。もう、君一人を矢面に立たせることはない。
どうか私達を信じてくれないだろうか」




