5.コルトー伯爵家(4)
王家への不信感がずっと消えない。
もともと信じてなどいなかった。でもそれは、自分達を利用しようとしているのではないかという、今思えばその程度の話だとしか思っていなかった。
……まさか誰かが死ぬかもしれないだなんて考えもしていなくて。
だから、シルヴァン兄様が王都で手に入れてきたお話は、そんな甘くて未熟な私に現実を突きつけた。
「オレリー様は魔力暴走を起こしたんだ。王太子妃の前で」
王太子妃への暴行の真相。それは嫉妬による暴力ではなく、魔力の暴走なの?
「その場所が王宮でなければ、王太子妃は死んでいたかもしれない。
その時は王宮の防御魔法が発動して未然に防げた。だから王太子妃は避けようとして転んで怪我をしたという、少し情けない負傷なんだけどね」
それは兄様が作ったという魔法?
いえ、さすがにそんなにも前なら違うわね。でも、まさかそんなことがあったなんて。
「大人になってからの暴走はとても珍しいことなんだ」
「……どうして?」
「10歳になると魔力の鑑定とともに魔力の限界値を超えないようにする魔法が掛けられる」
「えっ?!」
「魔力器官は10年で完成する。だから、幼いうちには上限が分からないから掛けることができなくて」
「そうじゃなくて!そんなことをしているなんて今まで聞いたことがありません!」
「そうだね。これは王家と魔法塔の一部の人間にしか知らされていないことだ」
それはそうよ。だって、治療以外で人に長期の魔法を掛けることは禁じられているわ。それなのに、魔法の根源である魔力機関に永続的な制御魔法が掛けられていたなんて。
「非人道的だと思う?」
「……人を守るためですか」
「うん。まず、魔力があっても魔法が使えるとは限らない」
それは知っています。もともと魔力が少なかったり、魔力があってもそれを魔法として放出するための勉強をしていないために使い方が分からなかったりするから。
「だが、そんな人でも強い感情の爆発に引きずられて魔力を放出することがある。
それは相手の死を願うほどの怒りや……自分の死を願うほどの絶望だ。
長い人生のうちに、そういった感情を持つ人間はどれだけいるだろう」
「『死』が引き金なの?」
「そういった症例が多く出たのは戦場だよ」
「!」
それは考えてみれば当然のことだ。だって戦場は死で溢れている。次は自分の番かもしれないという恐怖。受けた傷の痛み。死にたくなくて奪ってしまった命への悔恨。
兵士だってもとは平和に暮らしていたのかもしれない。愛する家族のためにと出兵した人だって多くいただろう。
そして、同じ思いの人間同士で殺し合う。
それは、心が壊れて当然の環境だ。
「……兄様も?」
だってまだ13歳だったのに。
「私は前線ではなく後方支援だったから大丈夫だよ」
そんなふうに優しく笑わないで。
何を言えばいいのか分からなくて、でも少しでも兄様を癒やしたくてギュッと抱きしめる。
この小さな体が恨めしい。苦しみから覆い隠してしまいたいのにこれではなんの役にも立たないわ。
「……ブランシュは温かいね」
「子ども体温よ」
それでも、こんなちっぽけな体でも兄様を温めてあげられるならよかった。
「オレリー様にも、こうやってただ抱きしめてくれる人がいたらよかったのにね」
「……お父様は違ったのかな」
「オレリー様は魔力暴走の後遺症で色々なことが分からなくなっていたらしい」
「…なにがわからなかったの?」
「愛していた王子や恨んでいたはずの王太子妃の姿を忘れたし、大切だったはずの公爵夫人やレイモン様との思い出もあまり残っていない。
オレリー様を構築していた記憶が穴だらけな状態だったらしい」
お母様が殺したかったのはお母様自身だったのでしょうか。
そのあとはもう話を聞くことができなかった。
これ以上聞いたら生きていけないような、そんな不安に押しつぶされそうで。
私はいくつも魔石を作り出すことしかできなかった。
あれから私は怖いという感情を知ってしまった。
「不安そうだね。僕のことが怖いのかな?」
……ジュール様が怖いのではない。ただ、私を取り巻くすべてのことが疑わしく思えてしまうだけ。
「いいぞ、それは正しい本能だ!」
「え?」
「初めて会う人間が信じられない。それは当たり前のことだよ。だってまだ互いのことを何も知らないし、なにより、君は子どもで私は大人だ。どうみても僕の方に分がある。うん、君はやっぱり賢いなぁ!」
……え、確かにそうだけど。でも、どうして?そんなに簡単に認めて、それどころか褒めてしまっていいことなの?
「君のことを知った時、こう言ってはなんだが、とても哀れな子だと思ったよ」
分かっていてもキツイわね。私はそこまで憐れまれるような境遇だったのか。
「だってそうだろう?君は命の大切さも、その重みも何も知らなかったのだから」
「……え?」
「知らないから自分の命を賭け、知らないから辺境行きになった母親を見送った。違うかい?」
……そう言われると否定できない。確かに、あの頃の私は命の大切さなんて知らなかった。
「だが、今の君は怖いと言う。それはきっと、命の大切さだけでなく、その命がとても重く、そして吹けば飛ぶほどに軽いことも理解してしまったのだね」
「……やはり、命は軽いですか?」
「いや、とっても重いものさ。だが、その重みを軽々とふっ飛ばすモノが存在する。
さて、今の僕の言葉を聞いて、君は何を思い浮かべたかな?」




