76 4000キロの彼方から
76 4000キロの彼方から
俺の視界は、オネスコの潤んだ瞳でいっぱいになっていた。
濡れた睫毛の本数まで数えられそうなほどに、近くにある。
花のような甘やかな花の香りに、俺は思う。
女の子って、なんでこんなにいいニオイがするんだろうな……。
そしてついに、吐息までもが混ざり合う。
「……れ……レオピンくん……ありが……と……」
それは、口から魂を移すかのような声だった。
そして静寂。一拍の間を置いて、
「にっ……にぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!?!?」
猛犬に追いかけられた猫みたいな悲鳴が、空から降ってきた。
俺はとっさに、オネスコの身体をはね除ける。
「きゃんっ!?」と横に転がるオネスコ。
直後、入れかわるようにして、
どっしぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!
黒頭巾の少女が、俺の腹上で尻もちをついた。
彼女は小柄で軽いのだが、さすがに腹に渾身のヒップアタックを受けてはたまらない。
俺は「ごふうっ!?」と声を絞り出し、身体をくの字に折った。
「し……シノブコさん!?」とオネスコ。
シノブコは俺の上で、カタカタと震えていた。
「にっ……にんにん……くっ、黒豹が、木の上にいたでござる……!」
「ああ、それはたぶん、トムくんね。レオピンくんのペットだから大丈夫よ」
オネスコがなだめるように言いながら、俺のところに戻ってくる。
シノブコは木から木へと飛び移るモモンガのように、シュバッとオネスコに抱きついた。
オネスコはいきなり抱きつかれても驚きもせず、「ああ、よっぽど怖かったのね。よしよし」と頭を撫でている。
そして俺に向かって、日常のように言う。
「シノブコさんは怖い目にあうと、こうやって私に抱きついてくるの。怪談話なんかした夜には、朝までこんな調子なのよ」
シノブコはジト目のコアラのように、オネスコにしがみついたまま、首をふるふる左右に振った。
「にん、そんなことはないのでござる。拙者が抱きついたように見えたでござるが、それは目の錯覚でござる。
本当は逆で、オネスコが拙者を抱きかかえたのでござる。これぞ忍法『こなきじじいの術』。にんにん」
「はいはい、わかったわよ」
子供をあしらうような様子で、オネスコは立ち上がる。
倒れたままの俺を、いつもの吊り目で見下ろしながら言った。
「そろそろ、モナカ様のところに戻るとするわ。
いちおう、お礼だけは言っておくわね。
あなたのことは駄馬だと思ってたけど、これからは、普通の馬だと思うようにするわ」
「にんにん、それでさっき跨がってたでござるか」
「そ、そんなわけないでしょ! あれはただの事故よ!
シノブコさん、そんなふしだらなことを言うと、夜に『ふしだらオバケ』が来るわよ!?」
「にんっ!?」
シノブコはカミナリを怖がる子供のように、オネスコの胸にサッと顔を埋めていた。
オネスコはその後ろ頭を撫でつけながら、器用にスレイブチケットの冊子を取り出す。
その中から一枚破り、気まずそうに頬を染めながら、俺にピッと差し出してきた。
「受け取りなさい。でないと、私の気が済まないわ。
でも、勘違いしないでよね! これは、ちょっとした感謝の気持ちに過ぎないんだから!
じゃ、私はもう行くからね!」
オネスコは有無を言わせず立ち去っていく。
まだ抱っこされているシノブコは、
「次に会ったときは、殺し合いでござる」
母コアラの威を借りる、子コアラのような体勢で言った。
渡されたチケットに視線を落とした俺は、額面を見てギョッとなる。
そして、知らずにいた。
この『ちょっとした感謝の気持ち』が、俺の知らない遠方で、とんでもないハプニングを引き起こしていることに……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
この時、ネコドラン校長は『王立開拓学園』にはいなかった。
学園から4000キロ以上も離れた土地である、王都にいた。
王城の会見場に設置されたステージで、いつも以上のおめかしをして立っている。
ステージの上には、こんな横断幕が掲げられていた。
『リークエイト王国 王立開拓学園 教育成果発表会』
ステージの前には、この国だけでなく、隣国の記者たちまでもが詰めかけている。
校長は魔導拡声装置を手に、魔導真写装置のフラッシュを浴びていた。
咳払いをしながら、笑顔で切り出す。
『うおっほん! ひさびさの王都は、文明の香りがして良いでありますな!
しかし我輩の『王立開拓学園』も、もうすぐこれくらいの文明になるのである!』
会場中に響き渡る声に、「おおっ!?」と歓声がおこる。
「開校して1ヶ月にもならないのに、もう魔導装置の導入に目処がつきそうだとは!」
「さすが一族のなかで、期待のホープといわれたネコドラン校長だけありますね!」
「もしかして、後ろにある魔導装置は学園で開発されたものなのですか!?」
『いや、これはこの国の魔導研究所から借り受けている「魔導ボード」なのである!』
「そのボードには、『資産ランキング』とありますね!
もしかして、それが今回初導入となる、学園の生徒たちの資産を順位付けしたものですか!?」
校長が『うむ!』と頷くと、また記者たちから歓声が。
『資産ランキング』の1位に注目が集まる。
1位 1年19組 46,315,300¥
「すごい! 1位は4千万¥を遥かに越える資産があるぞ!? 開校1ヶ月で、そこまで稼ぐとは……!」
「1年19組といえば、ミコのコトネ様がリーダーをつとめるクラスじゃないか!」
「うん! どんなに優秀な学園でも、100万を稼ぐのがやっとなのに……!
さすがは優秀な令息や令嬢が揃っているだけあるな!」
「ところで校長! そのランキングボードの2位から下は、なぜ布で覆われているのですか!?」
『ああ、それはまだ「王立開拓学園」の情報が、支援者に限定されている期間だからである。
このランキングボードの内訳は、この国の市場相場や、保護者のご家庭の立場に大きな影響を及ぼすのである。
みだりに公開しては、多くの方々にご迷惑をかけてしまうのである。
でもまったく公開しないのはアレでからであるからして、特別に1位だけ公開したのである』
「なるほどぉ……!」と記者たちはおもむろに納得する。
しかし言うまでもなく、これは建前にすぎない。
1位のすぐ下、布で覆われている2位は、絶対に見せるわけにはいかなかったのだ。
校長はほくそ笑む。
――なんとかうまく誤魔化せたのである。
このままいけば、あのゴミの存在が外部に漏れることはないのである。
やっぱり、教頭を連れてこなくて正解だったのである。
あの男は最近、おかしいのである。
何かあるとすぐに発作をおこし、奇声をあげて暴れ始めるのである。
早いところ切り捨てておかなくては、こっちの身が危ないのである。
ずっとこの発表会の準備のために、てんやわんやであったが……。
これが終わったら、急いで新しい教頭を探すのである。
そうすれば体勢は盤石となり、我輩は伝説の校長となれるのである……!
今回の発表会は、その伝説の幕開けにふさわしい、大成功を収めるのである。
いくらあのゴミでも、4000キロ離れた場所には、手出しはできないのである。
そんなことができるのは、神様だけ……!
ゴミはゴミ捨て場に埋もれているのが、お似合いなのである……!
イッヒッヒッヒッ……!
彼はいまだに侮っていた。
彼がゴミと罵ってやまない少年は、ただの少年ではないというのに。
少年がその気になれば、いつでも、この場にひょっこりと顔を出すことなど、たやすいというのに……!
『それでは今日の発表会は、このへんで……。次は、記者会見に移るのである』
校長が締めの言葉とともにステージを降りようとした瞬間、突如として背後のランキングボードが動き出した。
『なっ……!?』
校長は慌ててステージへと駆け戻る。
まさかとは思うが、念のためにランキングボードをすべて布で覆ってしまおうと、飛びかかろうとした瞬間。
ヤツが、ひょっこり顔を出したっ……!
1位 特別養成学級 51,200,000¥
……ガタンッ! と更新されたランキングに、校長は魚屋に追いつめられた泥棒猫のような叫びをあげた。
「にっ……にぎゃぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
「面白かった!」「続きが気になる!」と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への評価お願いいたします!
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つでも大変ありがたいです!
ブックマークもいただけると、さらなる執筆の励みとなりますので、どうかよろしくお願いいたします!














