29 世界最高のパン
29 世界最高のパン
じゅうたんのように敷き詰められた小麦畑、そこに金の刺繍のごとく浮かび上がる『レオピン』の四文字。
この仕掛けをしたのはレオピン本人ではなく、お茶目なあの娘だった。
あの娘のクラスはコムギソウの収穫担当をしていたのだが、その作業中、こんなことを言ったのだ。
「そうだ! ボクたちが扱ってるのはレオピン印の小麦粉なんだから、遠目からでもレオピンくんの畑ってわかるようにしたら面白いんじゃないかな!? それにレオピンくんが知ったら、きっとビックリするよ!」
あの娘の目論見は半分外れ、半分当たった。
狙ったレオピンではないものの、思わぬ人物の度肝を抜いていたのだから。
「はっ……はっさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!?!?」
青ざめるカケルクンに、記者たちは一斉に伝映装置を向ける。
「カケルクン校長! レオピンとはいったい何なんですか!?」
カケルクンは、ポーカーでストレートフラッシュが揃って勝ちを確信していたら、相手からロイヤルフラッシュを出されたギャンブラーのように、アワアワと震えていた。
思いも寄らぬレオピン側からの反撃に、完全にパニックに陥っていると、
「それは、うちの生徒の名前だ」
思わぬ方向から、助け船がやって来る。
落ち着き払った声でこの場の注目をさらったのは、他ならぬヴァイスであった。
「なっ!? ヴァイスくんっ!?」
カケルクンはどうやってごまかそうかと考えていたのに、ヴァイスはあっさりと認めてしまう。
記者たちはカケルクンそっちのけで、ヴァイスのまわりに殺到した。
「生徒さんの名前だったんですね! 畑に名を刻まれるとは、相当に偉大な生徒さんなのですね!」
カケルクンは「終わった……!」と、ヅラがズレるのもかまわず、頭を押えた。
しかしヴァイスは「いや、その逆だ」と涼しい顔で言ってのける。
「レオピンというのは、この学園でいちばんの落ちこぼれ。
落ちこぼれにできる仕事など、小麦畑の収穫くらいしかないから、専属でやらせていたのだが……。
どうやらあの落ちこぼれは、この僕の功績を横取りしようとしていたらしい。
ああやって畑に名を刻んでおけば、みなが誤解するとでも思っていたのだろうな。
やれやれ、落ちこぼれというのは浅はかで、心まで醜いというのは本当のようだ」
「うわぁ……」と嫌悪感丸出しの声が、記者たちのなかでおこる。
「最低ですね……! その、レオピンといかいう生徒……!」
「まったくだ! 他人の功績を横取りしようなどとは、人間の風上にもおけませんな!」
「でもちゃんと天罰は下りました! この中継は、フーリッシュの全国民が観ているのですから!」
「レオピンの悪名はいま、国じゅうを駆け巡っているでしょうな!」
なんとヴァイス、レオピンの名を校内だけでなく、全国的な落ちこぼれとして知らしめることに成功っ……!
ピンチをチャンスに変えた彼は、人知れずニッと片笑む。
――悪く思うなよ、レオピンっ……!
落ちこぼれのクセして賢者の僕に反撃しようとした、お前が悪いのだ……!
今やフーリッシュの国全体が、お前を嫌っている……!
これでお前はこの学園から追い出されたあとでも、どこにも居場所はなくなった……!
だがこの僕に手を出したからには、この程度では済まさないぞ……!
いままでのツケも合わせて、まとめて倍にして返してやるからなっ……!
ヴァイスはこの世の春を謳歌するウグイスのように両手を広げ、さえずるような調べで記者たちに言う。
「さて、と。お目汚しをしてしまったあとは、口直しといこうではないか。
この賢者である僕が指導して作らせた小麦畑は、見た目だけでなく、中身も最高品質だ。
最高の小麦粉を使って焼いた、最高のパンをご覧にいれよう」
ここで案内役は、カケルクンからヴァイスへとバトンタッチ。
ヴァイスは居住区の大通りにある、1年12組が経営するカフェ『永遠のトワネット』へと記者たちを導く。
貸し切りになったテラス席にヴァイスが着席すると、菓子職人姿のトワネットがやってきた。
その手には当然、例のガラスケースが抱えられている。
テーブルに置くと、まわりにいた記者たちから「おおっ!?」と歓声がおこった。
「す、すごい……! なんてキレイなパンなんだ……!」
「本当、宝石みたいにキラキラしてる!」
あまりの美しさに、記者たちは取材を忘れて見とれてしまう。
ヴァイスは足を組んで説明する。
「最高の小麦粉を、最高の職人であるトワネットさんにパンにしてもらいました。
これは最高の人間だけが口にできる、最高のパンといえるでしょう」
「では、ヴァイス様! ぜひ召し上がってみてください!」
「そのパンを口にできるのは最高の人間だけなのでしょう!? ならばヴァイス様をおいて他にはいません!」
「そうですね! きっとこの中継を見ている国民も、味のほうが気になっているはずです!」
ヴァイスは最初のうちは「いや、これはお披露目用で、食べるためのものではないのだ」と断わっていたのだが、記者たちにおだてられ、とうとうガラスケースを開けてしまう。
隣に立っていたトワネットは、「食べてはなりません!」と何度も小声で言い続けていたのだが、その声は熱狂する記者たちによってかき消されていた。
ヴァイスは足を組み直し、最高の決めポーズを取りながら、記者たちに告げる。
「では特別に、このパンを口にするとしよう。ただ僕くらいになると、このクラスのパンは毎日のように口にしている。
成功の味というのは、新鮮みがないものさ。だから、過度なリアクションは期待しないでほしい」
ヴァイスはそう断ってから、黄金色に輝くパンを口に運ぶ。
中継の伝映装置がその様子をアップで捉えるだけでなく、真写装置のフラッシュが幾重にも焚かれた。
しかし最高のパンをひと口かじったヴァイスの顔が、サッと青ざめる。
――な、なんだ、このパンはっ……!? ふっくらどころがゴワゴワで、まるで雑巾のような食感じゃないか……!?
味にいたってはもう、アレとしか表現できない……!
ヴァイスは記者たちに悟られぬよう、パンを口から離してチラリと視線を落とす。
パンの中には、二度見しても足りないほどの、信じられないものが詰まっていた。
――ご……ゴミっ!?
なんでパンの中に、ゴミなんかが……!?
ヴァイスは横目でトワネットを睨む。
しかしさっきまで彼女が立っていた場所には、もう誰もいない。
首を捻ってまで探すと、縦ロールの髪を振り乱してスタコラサッサと逃げる、彼女の姿が……!
記者達たちはいぶかしがった。
「ヴァイス様、どうされたのですか!?」
「ヴァイス様がパンを召し上がるところを、いま全国民が注目しているのですよ!?」
「ささ、残らずぜんぶ召し上がってください! そのお姿だけで、国民は大満足なのですから!」
「ぐっ……!」
パンの中にはホコリや残飯、ヘドロや虫の死骸などの、ありとあらゆるゴミが詰まっていた。
このパンの前には人間どころか、ドブネズミでもそっぽを向くであろう。
しかしヴァイスはこのドブネズミすら食べないものを、食べなくてはならなかった。
なにせここで拒否してしまったら、この小麦粉が食べられないほどマズいということになってしまうからだ。
――ゆ、許さんぞ、レオピンっ……!
このツケは、10倍にして返してやるからなっ……!
ヴァイスは心のなかで、レオピンへの恨み言をぶちまけていた。
やがて覚悟した様子で鼻をつまむと、パンを一気に口に押し込む。
ひと息でぜんぶいくつもりだったのだが、全身全霊が口に入れるのを拒絶したせいで、半片だけにとどまる。
紅潮した頬をめいっぱい膨らませ、ごしゅ、ごしゃ、と、とてもパンとは思えない音で咀嚼。
「ぼ……僕くらいになると、このくらいのパンは、毎日……食べ……」
涙ぐんだその表情は、食べ慣れたパンを食べているようにはとても見えず、拷問を受けているかのよう。
そしてついに、その時がやってきた。
「うぷっ!」
ヴァイスはたまらず口を押えて立ち上がり、道端にあった木桶に飛びつく。
そして……!
「ば……バケツに、いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」














