あと少し
エリザヴェータは二人に近寄る前に一度足を止めた。
どちらにも冷徹な自分の顔を見せたいとは思わない。
しかし、小さな影である方のノクトが歩き出すと、そのすぐ後ろに大きい影であるハルカもついてきてしまった。
「終わったようですね」
「お疲れ様です」
「……ああ、ここでの用事は片付いた。ハルカたちのお陰で大助かりだ」
「そうですか。お役に立てたようで何よりです」
ハルカが穏やかに笑う。
出会った時は緊張ばかりしていたが、相手をいつくしむような笑い方は、ハルカによく似合っているとエリザヴェータは思う。そして同時に、人を威圧して言う事を聞かせているばかりの自分とは大違いだとも思う。
きっとノクトもそんなハルカたちの近くは居心地が良いのだろうと想像すると、心がチクリと痛んだ。
「ロルドから聞きましたよ。手紙を出していたそうですね」
「うむ、外堀から埋めていこうと思ってな」
「大規模に埋めていくのやめてもらえませんかねぇ、恥ずかしいので……。おかげでロルドに笑われました」
迷惑だったか、とエリザヴェータが一瞬黙り込むと、ノクトは小さく息を吐いて障壁に座って浮かび上がる。目の高さを合わせたノクトは、腕を伸ばしてエリザヴェータの頭をポンと叩いて笑う。
「元気ないですよ」
「そんなことはないが」
「子供のころから見てるのだからそれくらいわかりますよ。元気な時ならもっとちゃんと言い返してくるでしょうに」
「たまにはしおらしくしてみるのも良いものだ。こうして慰めてもらえるのならな」
エリザヴェータはにやりと笑って返事をする。
計画通りではないがうまくいったのだからそれでいい。
「そうそう、それでいいんですよ」
手を引っ込めたノクトは気の抜ける笑い声を漏らす。
ノクトも随分と穏やかになった。
おそらくハルカの気の抜けたところがうつっているのだろう。
割と厳しめに育てられたエリザヴェータであったが、ノクトにはこれくらい穏やかでいてもらった方が嬉しい。変化が起きたのが自分の横でなかったのは少しばかり寂しいのだけれど、戦いばかり繰り返しているのでそれも仕方がない。
もう少しだ。
もう少しで国内の大きな問題のほとんどにけりがつく。
そうすれば今よりは時間が作れるようになることだろう。
「リーサ」
名前を呼ばれ、そんな気持ちが見抜かれたかと内心動揺したエリザヴェータであったが、続く言葉は叱責ではなかった。
「ハルカさんと話したんですけどねぇ……。【竜の庭】の方がちょっと落ち着いてるので、今回の件が片付くまでこっちに残ろうかなと思ってるんですよ」
「【フェフト】にか?」
「いえ、リーサの所にですけど。今回の件で【フェフト】との関係が良好であることは公にしてよくなりましたし、そろそろ僕が一緒にいたって余計な反感は買わなくなるでしょう?」
「……随分と、急な」
嬉しいより先に驚きが来ているエリザヴェータが目を丸くする。
「正念場だと思うのですよねぇ……。どうも無茶しそうな予感もしますし、すぐ近くに治癒魔法使いがいた方がいいでしょう。ハルカさんに依頼してもいいですけど、あまり拠点を空けるのも良くない。僕がいれば今後のリーサの方針の表明にもなりますしねぇ」
あれこれと理由を述べていくが結局のところノクトの気持ちを総評すると一つの言葉にたどり着く。
「心配してくれてるのか」
「そうみたいです」
エリザヴェータの言葉を先に肯定したのはハルカだった。
ノクトはふわふわと浮かびながら苦笑している。
「師匠、ロルドさんとか……、コリンに色々言われたんですよ。珍しく反論もなく聞いてました」
「それは手紙を送ったかいがあったというものだ」
「別にそれだけが理由というわけではありませんよ。物事というのは最後のあと少し、というところが一番危ないんです。小さなころから見守ってきたんですから、僕がリーサを心配するのは当然のことでしょう」
「うむ、そうだ。心配するのは当然のことだ」
エリザヴェータは腕を伸ばすと、ノクトを捕まえて抱きしめる。
ノクトはそれを受け入れて足をぷらんとしていたが、表情はやや不満そうである。
「僕はぬいぐるみじゃないんですけどねぇ」
「ぬいぐるみだなんて思っていないぞ。……そういえば爺、この間も思ったのだが少し体重が増えたか?」
「重たいなら下ろしていいですけど」
「小さいから重たくはない」
本来魔法を日常的に使っていれば、肉体は健全な状態を保つものなのだが、ノクトの場合本当に食べては昼寝、食べては夜寝と、のんびりたらたら過ごしているので、魔素による身体の適正化が追い付いていないらしい。
「ハルカの方の神殿騎士の件は落ち着いているのか?」
「最近は特に」
「行成の方も片付いて、〈混沌領〉も問題なしか」
「あ」
「なんだ?」
明らかに何か報告忘れがあったような反応に、エリザヴェータは呆れて問い返す。
この妹弟子は頼りになるが、だいぶ抜けているのだ。
「……ええと、遺跡探索を得意とする冒険者が仲間に加わったのと、アラクネと交流することに成功しました」
「〈混沌領〉はほぼ全域制したか」
「制したというとなんというか」
「ハルカは大きなことをしている割に、相変わらずだなぁ。昔の爺だったらもう少し何か言いそうなものだが。なぜハルカのことは注意しないのだ?」
「僕はハルカさんの冒険者の師匠でしかないですからねぇ」
「なるほど。まぁ、その辺りのこともこちらが落ち着いてからまた相談するとしよう」
「リーサ、下ろしてください」
自分を抱き上げたまま歩き出そうとしたエリザヴェータを、ノクトが肩を叩いて止める。
「仕方がない」
もちろん、止められるとわかっての行動ではあったのだが。
エリザヴェータはノクトを障壁の上に下ろすと、先ほどよりも随分とゆるりと上向いた気持ちで、皆が楽しげに騒ぐ声が聞こえる方へと歩き出すのであった。





